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死ぬるがよぎるお年頃

節度のある暮らしができない甘えん坊です。
30才をすぎて怒涛の子育てをしたあたりから、自分の正確な年齢がわからなくなってはや何年が経つのかもわかりません。

はじめちゃんのパパは、「忘れたくても思い出せないのだ」と大好きな名言を残してくれていますが、何を隠そうパパは41歳。私よりもいくぶんも若い。

寄り道をしてしまいましたが、何の話かというと、節度のある暮らしができない甘えん坊なので、人生最長でも80才と換算すると、もう完全に折り返し地点を折り返している身分だということです。

だいぶん若い頃から、死ぬることについてはあれこれ考えてきましたが、自然に死ぬることがいつあってもおかしくなくなってきているように思います。

私の人生の礎にあたる大切な人たちとのお別れもだいぶん経験してきました。

一方で、我が子というまだフレッシュな人生の礎もあり、まさに中年というところの、生きているということや、死ぬるということを、まじまじと見つめざるを得ないお年頃なわけであります。

私が死んだら墓はいらない、樹木葬にするようにと、何気ない雰囲気で家族に話をしたところ、長男は「そういうわけにはいかんやろ」と言いました。

私のいろいろな大切な人の法事への参列を経験してきて、当たり前のように「墓」はあるべきだろうと感じているのかもしれません。

「お前の父は次男坊で墓を新設せねばならない。そのためには数百万円の費用がかかるうえに、建ててしまうと今度は未来永劫の維持をするために精神的肉体的金銭的に呪縛されることになるのやで。」というようなことを伝えると、「この話はまぁいいわい」とビー玉のような純真無垢な瞳で話を逸らしてゆきました。

呪縛とは罰当たりな表現になるのかもしれませんが、全くもって本心で、実家義実家両方の墓守りができる地点に住んでおりますが、何度想像を重ねても、全くもっての本心は揺るぎません。

ご存知ですか。仏壇を買い替えたり、場所を移動したりするだけでも、宗教的なことで数十万円がかかる現代の日本文化を。私は、亡くした大切な人を毎日思い出したり、季節外れのチョウチョウや蛍がひらひらと近くを舞うときには、その人をすぐ側に感じたりするほど、亡くした人を思い、偲び、また会えたらどんなにいいかと、考え始めたら涙が浮かぶほどの、寂しくて恋しくてたまらない毎日を送っています。そのうえで、日常を保つようにして生きています。墓や仏壇をペッカペカに保つことが、亡くした人や先祖代々を大切にすることになるのだという信仰がどうしても合点がゆかないのであります。
(大切にしている思いがあるから、墓や仏壇をペッカペカに保っているのだということは、合点がゆきます。それが現代文化ですもの。)

私自身も、父母の法事に参列したり、墓や仏壇の世話とはするものなのよと教えられたりして育ったのですが、それでも我が身となれば全くもって不要と思うのです。

「リメンバー・ミー」という大好きな映画があります。誰にも思い出されなくなったときに、完全な死が訪れる世界でした。全くもってそれがよいなと思います。私の存在の未来永劫の供養など、ちっとも望みません。遺された我が子や、私にとって大切な遺された人が、またいつか会いたいと糧にしてその人生を終えてくれるのならば本望というものです。きっと私はお墓や仏壇にはおりません。

私もできるのならば、チョウチョウや蛍になって、ときどき大好きな人の近くをチラチラと舞って、勇気付けたい。不可能ならばそれでも構いません。私がそういう思いをもって死ぬることができたのならば、それが全てになると思います。出逢うために生まれてきた、生きた、死んだ。

それが紡がれてゆくだけで十分すぎると思うわけです。

「出逢うために生まれてきた」
もう、それだけで十分に幸せな、幸せだった証になる信念ではないでしょうか。

墓守りやら、仏壇の世話やら、どう計算しても無理になってくる令和の時代。選択は人それぞれですが、合点ゆかぬまま引き継がせることのないよう、胸を張って身軽に生きる選択肢を激推ししできる中年でありたいと思っています。


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