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「不適切保育」について考える話

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今後も起こってくるであろう「不適切保育」について

私もまとめていきたいと思います

「不適切保育」とは


「いじめ問題」の時にも同じようなことを言ったのですが、

「不適切保育」には基本的には「虐待」「傷害」といっても差し支えないものだと考えています

「不適切保育」と呼ぶことで「犯罪行為」であるという認識が薄まっている印象です

今までの表沙汰になった「不適切保育」の事例の性質は

暴力的な行為:保育士が園児に暴力を振るう行為

食事の強制:保育士が園児に食事を強制する、制限する行為

言葉の暴力:保育士が園児に対して暴言を吐く行為

放置:保育士が園児を放置する行為

差別的な扱い:保育士が特定の園児に対して差別的な扱い、言動をする行為

などではないでしょうか

こういった行為はいかなる理由があろうと許されるとは思っていません
理由としては、

・犯罪行為であること

・それを行ったことにより、他の保育士の努力などが無に帰してしまうこと

が私の中では大きいです


「不適切保育」の原因を考えると


「犯罪行為」は許されないこと

ですが

必ずそれにつながる原因があります。それを改善しなければ今後もこのような事態が起こり得るものである

と考えられます。それはどのようなことが原因か


よく「不適切保育」の問題が議論される際に、「保育士個人の資質」の話が出ることがあります

私は「資質の問題」は「ある」と思っています。そして、その「資質の問題」と「環境の問題」がごちゃ混ぜになってしまっている現状があるのではないでしょうか

それなぜそうなっているかと言えば、

そもそも犯罪行為である「不適切保育」への正当性を少しでも高めようとするなら、「環境の問題」をあげることが一番うやむやになるからです

「不適切保育」と呼ばれるものは突き詰めると「根拠のない保育、支援」になります

例えば

・お子さんがご飯を食べないので、お昼寝をさせないで食べるまそこにいることを指示した

・オムツが取れないお子さんに対して「あかちゃんだもんね」という言葉をかけた

という保育があったとして、そこになんの裏付けがるのでしょうか

私にはわかりません この保育、支援の根拠は何でしょうか

・ご飯が食べられないのであれば、味覚の過敏さなどの原因を探る

・オムツが身体的な理由で取れないお子さんもいるので、ご家族から聞き取りや今後の方針を話し合う

など

こういった保育士や支援員であれば当たり前に持っていなければならない知識を実践の場に反映できないスタッフに「資質がある」と言えません。環境のストレスでやってしまったなら「なおさら」です

自身の「根拠のない子どもへの関わり」を「環境の問題」にすげかえる行動自体が自身の成長も、問題解決を遅らせる原因であると考えられます

よって私は

「環境問題が解決」しても「資質の問題」で起こる「不適切保育」はなくならない

自身の子どもへの関わりがおかしいのを環境のせいにしてはいけない

と考えるのです

そもそも保育環境を整えることを訴えている資質のある保育士の方は

「不適切保育を防ぐことをはもとより、「より保育の質の向上する」ために環境の問題を訴えています 

明確な「必要な保育、支援のビジョン」が見えていっているのです

知識、技術、経験という「資質」に裏づいた保育士の訴え と 環境によるストレスで「不適切保育」につながる保育士の

訴えをごちゃごちゃにしてはいけませんよね




とはいっても、保育環境、支援環境が関わるスタッフの動きを制限し、ストレス材料になり、そのストレスへ適切に対応できないスタッフが「不適切保育」に向かっていることも間違いありません

資質は誰でも最初からあるわけではなく、子どもとの関わりや、そこから学び取ろうとする姿勢から生まれていきます


スタッフ個人のストレス耐性もまた個人差があるので、資質が育つ前に
あきらめてしまう、「不適切保育」につながってしまうこともあるのだと思います

保育環境の問題の一つに配置基準の問題もあります

YAHOOの検索欄に「保育士配置基準」と打ち込んでみてください。75年以上変わっていない、戦前基準の配置基準がすぐ見れます

4歳以上30人に対して1人以上

これは今の「個別性」「インクルーシブ」「合理的配慮」を謳う社会からあまりにかけ離れているのです

上記のようなことを「大切にしよう」とするなら、今までの体制では不十分であることは明白なのです

しかし、体制側、国の方針として、「配置基準に従っている」「これが限界である」と言われればそれまでです

保育現場でより実践的に関わる、勉強してきた保育士、支援員はより一層「必要な支援」が分かりますし、「実現できない無力さ、危険さ」

に気づくのではないでしょうか

子どもを傷つける前にやめる、事故を起こす前にやめる、という考えになっても「しょうがない」と思えるのです



そして、家庭と園の求められることのズレと共有不足も見過ごせない問題です

SNSでよくみられる光景ですが、ご家族と敵対するような呟きもよく見られます

信用失墜行為でそれも「資質のない行為」ではありますが、あえていうなら

支援する側として、「どこまでできて」、「どこまでできないのか」をはっきり明確にすることが重要だと考えます

合理的配慮の記事でも語りましたが、ご家族、被支援者側からの希望、要望が、実際に「必要」なのか「要求」なのか

は支援者側がしっかり判断しなければなりません

その見極めもせず、なあなあに「あれもできる、これもできる」「あれもいいい、これもいい」と詰め込みすぎ、最終的に被支援者側への憎しみになっているのであれば

本末転倒だと考えます

これは今の「学校現場」にも言えることだと考えています

今後、合理的配慮を進める上で、この問題は決して避けて通れないのです


まとめ…内面的な話をすると…

自分の保育、支援がチームで行われ、情報が共有され、根拠があれば、「不適切保育」という騒ぎに過剰に反応しません


なぜなら、「しっかり説明できる」し「誰に見られても恥ずかしくない」からです

逆に大きく反応し「自分のやってきたあれもこれも不適切保育ではないか」と不安になってしまうということは「そこに明確な根拠がなかった」からではないでしょうか 

どんなに年数を重ねている人でも「まだこんな保育してるのか」という人がいるくらい、見直さないと惰性で進み続けるものです

それは本人しか分からないことです

しかし、もしそうなら「自分の保育、子どもへの関わり」を見直すこと方が先なのではないでしょうか

以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
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