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教員が生徒に行ういじめ問題について怒りに任せて考える話

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note マップ – おがさんの絵本 (ogasan-ehon.com)

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最初に書いておきたいのは、私は「いじめ」という言葉は「暴行」や「障害」「脅迫」という言葉を

隠すためのものである認識があります。なので、今回の事件もお子さんに対しての犯罪行為だと思っています

教員の名前の公表がないのも、「隠蔽」とも取れますし、改善に本当に真摯に取り組む姿勢があるのか甚だ疑問です

そんな気持ちで書いている記事なのでいわゆる気持ちを吐き出す駄文です それでよければ…













昨今、福祉・介護の現場でも暴行が起きたり、利用者への不当な虐待が起こっています

よくあるのは

・この事件の背景には教職員、福祉従事者の労働環境の悪さが起因している

・子どもをまとめ上げるために必要だ

・教員も介護者も子ども、利用者から不当な扱いを受けている

という理由で「正当化」しようとする考えの人が現れます。私は基本的に認めていません

なぜなら、いかなる原因があっても、他者を傷つける理由にならないからです。してはいけないからです

ここを許してしまうと「じゃあこういう理由があればいいのか」という大義名分が生まれてしまい、必ず悪用する者が生まれます

支援や、教育に携わる者は、最低限のモラル、人格が求められます。ここがその分水嶺なのではないでしょうか

話は戻りますが、今回の事件をみて感じたことを以下にまとめます。私は憶測や推測で書きたくはありませんが、今回は書きますね。普通にイライラしています

・他の被害者がいる

誰しもが持っている「発達特性」。この教員は「発達障害」と「それ以外」と分けることで、クラスの秩序維持を行ったと推測されます

「苦手さがある」ということを「責める大義がある」と周囲に認識させることで、お子さんの不満の留飲を下ろさせる方法です

ここに大人と子どもの縦の関係が加われば、遺憾ではありますが、この方法で子どもの集団ははいともたやすくまとまってしまうのです

これは、技術や知識、モラルのない支援者が簡単に陥る方法です。あまり言いたくはありませんが、今回のことは「たまたま」表面化しただけで

他にも同じやり方で被害にあった方がいるのではないかと思っています



・「発達障害」という言葉の悪用

誰しもが持っているのが「発達特性」です。そのグラデーションの強弱で「強み」になったり「苦手さ」になったりします。いわゆる「障害」にまでなってしまうことがあるのです

今回の件、モラルのない教員に使われた「発達障害」「ADHD」という言葉 教員の口からきいた子ども達や、報道を通して知った人たちにどう響いたのでしょうか

少なくとも私は今まで積み上げてきたものを台無しにされた気持ちになりましたね。
ゆっくりと、丁寧に、適切に伝えようとしていたものが、まるでそれが「悪い」と捉えられる、捉えかねない表現で駆け巡ったわけですから…

この教員はその教員人生の中で、どれだけ子ども達と関わってきたのでしょうか。その子どもの数ほど、こういった指導法がなされたと考えると本当に怒りしかわきません

よく福祉の世界では「この言葉は不適切だから使わないほうがいい」と議論になることはあります。大抵の場合、こういったモラルや知識のない人間が使用することで、言葉のイメージが悪くなると考えています

言葉を狩るのではなく、こういった指導者、大人を減らすことが重要なのです




「主任業務の忙しさから」が背景として考えられる

再発防止のための研修をしていたが効果がなかった

市教委で指導を徹底していく

もう聞き飽きているいるんですよこんな言い訳

いつまで同じ理由で事件を起こすつもりなのか

私にとって教育委員会・教員界隈が自浄作用がないのはもう「事実」であって、信用がないのです

第三者の目にさらされる以外に、この環境の改善の余地は私は考えられません

本当に何とかしようと考えているようにも見えません

被害にあったお子さんのケアはもちろん、関わったお子さんのケアが適切に行われることを願うばかりです

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