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英米学生が初タイタニックを映画館で見た話(主観的考察)

 初めまして。只今帰宅し、映画ノートに感想を記すついでに初noteを試みてみようと思います。

 今、タイタニックの公開25周年を記念して、日本各地で3D仕様のリマスター上映が2週間限定で行われていることを知っている方は多いと思います。

当時実際に見た人、サブスクで見たけど映画館では初めてだという人、完全に初見の人、様々な方が見に行っているかと思いますが私は完全に後者で、世代でもなければ事前知識も全くなく、今回が人生初めてのタイタニックでした。

「タイタニック」を見る前の私の心境※長い&本編に関係無い為飛ばし推奨

私は2000年代以降生まれの大学生といういわゆる「Z世代」に該当する世代ですが、私と同世代にあたる人たちにとって、公開当時に実際に映画館に足を運ぶことの出来た世代の大人達と比べて同じように「タイタニック」を映画館で見た事のある人はそれほど多くないと思いますし、それどころか私のように見た事のない人も多いのではないでしょうか。(と言っても昨今のサブスクの充実度&千代に八千代に人気の衰えることを知らないレオナルド・ディカプリオ様の知名度も相まって、映画の名前すら聞いたことがないという方はさすがにマイノリティだと思いますが)

特に精神が脆弱な私の場合、自身のメンタルを保護するべくいわゆる「感動映画」に値するジャンルものをここ数年はもっぱら避けており(見ると頭痛をきたすレベルで嗚咽するため)そもそもこういったジャンルの映画すら耳に入ってこない具合でした。

しかし数日前中学の頃の同級生に「なんか今タイタニックやってるらしいよ」とお誘いを受け、リバイバル上映は大好きだけど、あんまりつらい映画だったらいやだな…と若干懼れていたのですが、なんといってもタイタニックは彼女の人生でダントツ一番の映画らしく、見に行くことが決まりました。ちなみに彼女は今回のタイタニックは二回目で、一回目はサブスクで見たらしいです。

タイタニックが世界的に類を見ないほど有名かつ人気なことは私も理解していたものの、特にレオ様のファンというわけでもない上に上記の精神面での理由も相まって特にこれといった期待も心構えも(事前知識も)ないままに普段映画を見に行く感覚で見に行きましたが、その結果今noteに高速で筆を走らせるほどに、私の中のレジェンド映画へと化してしまったというわけです(映画館を出てすぐに薬局に涙でびしょ濡れたマスクの替えを買いに走るとは思いもしませんでした)

感想

一言、物凄い物語でした。
皆さんの仰ってた意味が痛いほど分かりましたし、特に後半は直視出来ないほどとにかく辛くて途中退出を迷ったほどでしたが、本当に素晴らしい映画でした。単に「素晴らしい映画」として形容してしまっていいのか、冒涜にならないかと心配してしまうほどの名作です。

まず映画が終わった直後の感覚としては、この物凄い一連の惨事が現実に起こったのだというショックと混沌が頭を回りましたが、その最中に登場人物たちが示してくれた確かな「教訓」と「愛」を通じて、ある種の絶望、しかしそれを上回るくらいの暖かみを全身で憶えたという感じです。

それと同時に素晴らしく二面性のある、またその二面性が奇跡的にマッチしている、精密に設計された映画だと感じました。

具体的に言うと、ローズとジャックの恋物語(フィクション属性)と、タイタニック号沈没事故(ノンフィクション属性)としての双方の割合が、あまりにも上手く絡み合い、「愛」を考えさせられ、また「時代」「事故」「人間としての倫理性」をも考えさせられるという複数のトピックを、そのどれもが存在感を薄めることなく表現されていたように感じます。

分かりにくい説明で申し訳ないですが、自分の想像していたより十倍も二十倍もあまりにも圧倒されてしまい、今のところ私の感情そのものを上手く形容できる単語が見当たらないのですが、私がこの映画に対して感じた「物凄まじい衝撃と迫力」は、こういった要素から来ているように思います。


この映画を通して、特に印象に残っている

・タイタニック号調査チームの立ち位置
・時代背景
・ジャックの運命

この三つについて、つらつらと感想及び私の主観と解釈を書かせて頂ければと思います。


1.タイタニック号調査チームの立ち位置


 映画の始まりは現代(1997年)、タイタニック号を潜水艦で調査している場面から始まりますよね。その時、ブロックが本物のタイタニック号を目前にし興奮する姿や、お目当てのダイヤを発見するべく水揚げした金庫に何も入ってなかった時の落胆、またルイスがタイタニックが沈没した過程をローズ(事故経験者)に向かって淡々と話していた姿など、現代の人間たちの頭には事故の悲劇など微塵もない描写が伺えますが、これはその男性単独でのキャラクター描写よりかは、あらゆる歴史に対して冷静に「起こったもの」として冷静に対処しその中の新たな考察や発見から利益を生もうとする現代の私たち(=事故を経験していない者)の視点の全体比としての隠喩であるように感じました。(終盤にローズの説明を聞いたブロックの放った「3年間タイタニックのこと以外考えてこなかったが、僕は何にも分かっていなかった」といった台詞にも、私的には点が繋がりました)

つまりこの調査チームの立ち位置こそが、この映画の全体構造を「回想」という構成に落とし込んだ一つの理由だったのではないかという私の解釈です。
真相は分かりませんが、普段私たちが話している歴史上の事件・事故は「実在した」のだということを、映画上に良くも悪くも冷淡な現代人という存在から生まれる対比描写によって、より事故の重みを感じさせることを試みたのではないかという感想です。

2.時代背景

これは帰ってきてからWikipedia諸々実際の事件ページを読んで知ったことですが、映画の中の印象的なシーン全て(ローズとジャックの場面以外全てと言ってもいい)が、実際の記録に大変忠実だったということです。(勿論映画というエンターテインメント上本物の事故と相違している部分は存在しますが)この部分には大変リスペクトと感動を憶えました。
一等船客室、二等船客室に繋がる通路を妨げる仕切りによって逃げ遅れる三等階級の者、上等階級から順に船が譲られていく姿、沈没する直前まで演奏を続ける演奏家、銃を空に向かって撃ちパニックを収めようとするクルーだけでなく、衝突時に散らばった氷の塊で即席サッカーを始める者の姿や、逃げる事を諦め正装でブランデーを飲みながら死を待つ紳士の姿まで、ありとあらゆる描写全てが「存在した」人々・記録であること、これは「真実を伝えたい」という制作陣の確固たる意志を感じます。これらの拘りが、タイタニックという映画をまるで実際の事故一連を動画に収めたかのようなドキュメンタリー性質と実在した緊迫感の付随する映像を生み出せたのではないでしょうか。

タイタニック号沈没事故が主軸ではありますが、これほどに一瞬一瞬を「あったもの」として描写する姿勢は、人間の善悪や前時代的不条理などを、教訓として表している非常に重要な一部分であると感じます。

3.ジャックの運命

これは私の一番書きたかった箇所と共に、制作陣の深い意図を感じてなりません。

作中何度もジャックが死のフラグに晒される場面があり、私も毎度息の止まる勢いでどうか助かってくれと祈っていましたが、結果的にジャックは溺死の危険を逃れた後に、まさかの低体温症で亡くなってしまいますよね。本当に涙の止まらないシーンで、映画を見終ってからも友達は「あそこまで生き残ったんだからハッピーエンドでいいじゃん」「水に浸らずローズみたいに瓦礫に乗っておけば良かったのに」と大号泣しながら話していましたが、私はこのエンディングこそが「タイタニック」なのではないかと感じます。

まずジャックの死因が「低体温症」なことについてですが、実際の事故で一番多かった死因が「低体温症」であることと関連しているように思いました。私たちは映画の主人公(すなわち自分の知る人、大事な人、助かってほしい人)としてジャックを見ますし、奇跡が起きて生存できるんじゃないか、ジャックに限って大丈夫なんじゃないか、という期待と祈りを込めてしまいます。なぜならジャックはローズにとって、そして私たち視聴者にとって大事な人であるからです。そんなジャックが無慈悲に低体温症がゆえ亡くなる運命、またそれを見た私たちが感じるこの絶望こそが、実際に亡くなった乗客の家族、恋人、親友に投じられた運命であり、それが現実であったことのだということを、私たちにおける「大事な存在」の対象あったジャックの死を通して、無差別に人の命が奪われることの悲惨さを訴えかけているように思えるのです。

作中を通して一番に物凄く辛い場面に違いありませんし、執筆している今も思い出しては涙が出そうなほどに苦しいですが、このシーンを見た途端、あまりにも事故の“むござ”が近しいものとして心に哀訴してきて、またそれが映画を内包してしまうレベルの強烈なメッセージ性があると、ある種の恐怖を感じました。

またジャックがずっと水に浸り続けた部分ですが、これはローズに対するジャックの深い愛、ただこれだけがひたすら心に痛いほど伝わるシーンだと思います。
映画一連を通して私が感じるもう一つのテーマに「自己犠牲」がありますが、これに関しては先にローズが行動していたと思います。ローズは二回ほど一等客船への乗船を断りジャックと一緒にいる(“沈むときは一緒”というセリフ)ことを選んでいますが、これはローズがジャックを本気で愛していることが伝わるシーンです。この場面でローズは、もし助からなくともジャックと沈むならそれで構わない、とジャックとひと時も離れないという強い意志を見せますが、ジャックも自分なりにこれを示していたのだと思います。

他の場所へ行って自分が瓦礫に上がる事よりも、水面に浸りながらでもローズの手を握り続けることを選んだ彼の選択には、生死を超えた愛を感じました。私はここで一番涙が止まらなくなってしまいました。

賛否両論ある結末ですが、タイタニック号において多くの方が実際に経験された運命であり、実際ジャックもその一人でしかないのだという「死」への価値観をまるっきり変えさせられる凄まじい展開だったと思います。

事件や事故のニュースなどの「死亡者〇人」といった無機質な数字には誰かの人生が無慈悲に奪われ、誰かの人生が終わったのだという現実があまりにも端的に伝わりすぎてしまうな、といったことを普段から思っていますが、改めてこのシーンを通して、記録の奥にある犠牲というものへの解釈の仕方や受け取り方などを、強く再考させられました。


終わりに


ものすごく長い間書いてしまった上にずいぶんと分析的というか考察的な仕上がりになってしまいましたが、それほどタイタニックには色々と考えさせられる部分があったので、部分的にでも書き記すことが出来て良かったです。

そしてこういう作風で書いていてなんですが「考えるな、感じろ」的見方を基本的にする人間なので、ここに書いてあること以外(恋愛部分は特に)は理屈的な楽しみ方でなく、純粋にタイタニックをロマンスとして感情論で楽しんで見ていた気がします。

そして何よりも言えるのが、”私の初タイタニックが映画館で良かった”という事です。

私のような世代が1997年の映画をこうして当時さながらに(3Dではありますが)楽しめた事は一生の思い出になると思いますし、サブスクでしか見た事のない方や初見の同世代の方に是非とも映画館へと足を運んで欲しいと思いました。(友達も「映画館で見ると全然違う」とまつ毛を濡らしながら言っていました)

冗長な駄文にお付き合い頂きありがとうございました。また期間中に時間を見つけて見たいと思います。

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