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メンターの不在を嘆く

昨日から今日にかけて
嬉しいことが続いている。

ひとつは、庭の外構工事が
DIY部分も含めてひと段落し、
庭の見た目が劇的に良くなったことである。


もうひとつは
Twitterを使用したライフワークにおいて
純粋に怒りを覚えられる投稿を見かけたことである。



感謝の気持ちを忘れないよう
過ごしていこうと気持ちを新たにしている。


僕の生きる原動力は
怒りと憎しみである。


断言するのもどうかと思うが
事実なのだから仕方ない。


僕は幼いころ
父親に見捨てられ
母親とその他の家族から
虐げられて育った。

彼や彼女たちへの怒りは
乗り越えつつあるものの、
まだまだその途上だと感じている。

以上の文章は僕が
要は親にひどいことをされたから
年中怒っていてもカンベンね☆
と言い訳しているに過ぎない。


優しい人なら
「そんなに辛いことがあったんだね。
そりゃあ怒りたくなるよ」と
同情してくださるだろうし、
その余地もあるにはあるだろう。


だが僕は思うに、
たぶん僕はもともと
血の気が多い人間なのだと思う。


いろいろな背景から怒りが
原動力になってしまったから
年中他者や社会に怒っているが、
おそらく違う育ち方をしていたとしても
何かしらに結構アグレッシヴな反応を示して
毎日を過ごしていたのではないかと思う。


さてそんなわけで
先日見かけた怒りを覚えた投稿は、


配偶者と家族の許可を得て
風俗に通っている。

そこで風俗嬢と話すうちに
彼女たちは自身から望んで
性風俗業に従事しているとわかった。


なんたらかんたらブラブラブラ


みたいな内容であった。

まず、
配偶者と家族の許可を得て
風俗に通っているの部分で
ぶちり、とヒューズが切れるのを感じた。



投稿主さんのプロフィールを見ると
どうやら福祉関係の仕事というか
まあなんか広めよう的な
アレがそれでコレをしているようだった。


産まれる前からやり直してこい。


投稿を読み
彼のやろうとしていることを知ったあと、
感じたのはそういった怒りだった。


そもそも論になるが
風俗に通っているとか
不倫しているとか
そういうことを、
公の場で言ってしまうことは
クソダサしぐさなのである。


また、
投稿主さんは自身の顔と名前を
Twitter上で明かしている状態で
「妻と家族の許可を得て
風俗に通っている」と言っている。

そうなると家族は周囲の人たちから

「この人の旦那さん、風俗にいってるんだ」
「どんな事情があるのかわからないけど
風俗に行くのを許可しなきゃいけない家庭環境
なんて、気の毒だなあ。可哀想に」
「Aくんの親父って風俗行ってんだ~うわ~」

という、いらぬ猜疑や好奇の目に
さらされてしまうことになりかねない。


貴様が風俗に行ってることはどうでもいいが
その公言の仕方だと家族に迷惑がかかるだろうに。


また、風俗に従事している方の抱く心理や
背景にある事情などを全く理解しておらず
勉強もしていないように見受けられた。


それで福祉?
へえ~~~~


である。



一通り投稿主さんに怒ったあと、
ふと僕は思った。



風俗に行ってることだとか
家族がそれにどう反応してるだとか
自身が不勉強であることを
発露してしまうことだとかを、


「ダサいことだから
改めた方がいいぜ」

と注意し、たしなめた上で
かっこいいやり方を指南してくれる人が
存在しないことも悪いのかもしれない、と。



僕は数年間
あるセレクトショップの常連だった。


店長は僕に
買う買わない関係なく、
似合う服・流行りの服・
組み合わせ方の参考になる服を
好きなだけ試着させてくれ、
その都度
色味や合わせ方なども
丁寧に教えてくれた。

世界のファッション事情だとか
ファッションにおける作法も教えてくれた。


勧めらたものを買わなくとも
態度が変わるというようなこともなかった


(もちろん一定の額
そのお店で購入はしていた)。


店長の薫陶のおかげで
僕はコーディネートに迷うとか
自分に何が似合うかわからないとか
そういう悩みを感じることがない。


例えば結婚式にお呼ばれしたときも、
手持ちの服を合わせることで
招待してくださった方々に対して
恥ずかしくない服装を選ぶことができる。


新しくドレスや鞄を買うとか
そういうことをしなくても、
新郎新婦のご両親に
「素敵なお洋服ね。
今日のためにわざわざ買ってくれたの?」
と言っていただける服装ができるのである。


店長と接した経験が
どんなにか僕を助けてくれているか。


だけどそれは僕が
たまたま幸運で、あのお店に出会えて
通わせてくれるパートナーを得ていたからで、
世の中全員が得られる経験ではないのだろうとも思う。

そもそもあらゆることに対して
店長のような人が存在してくれるわけではない。

また、メンターが存在していたとしても
出会えない人もいるだろうし
かかわりを続けられない人もいるだろう
(いい先生がいるから通いたいけど
お家のお財布事情的に厳しい、など)。


そう考えていくと
件の投稿主さんも、
今までいろいろ経験して
生きてきた中で

「君のこういうところは
恥ずかしいことなんだぜ。
だからこうやって直していこうぜ」

と働きかけてくれる他人と
出会えなかった、
それだけなのかもしれない。


あるいは
出会っていても無視していたか
メンターの価値に気づくことが出来ず、
助言を受け入れられなかったのか。


いずれにせよ、

「それはクソダセェからやめときな」

と教えてくれる人が、
他者に教えられるだけの技量を持つ人が
世の中から減ってきていることも
問題の根源にはあるのかもしれないと感じた。












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