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陶芸で自分をゆるめる
陶芸をはじめてもうすぐ3年になる。
最初はおじさんの趣味、くらいにしか思ってなかったのに、ひょんなことで始めてみたらこんなにもどはまりしてしまった。
土に触れ、こねて、くっつけて、削って、、、
子どもに戻ったみたいに無心にひたすら形をつくるうち、あっという間に時間が過ぎる。
釉薬をかけて焼くと、偶然にすてきな色に焼き上がってきたり、はたまたへんてこな代物になるときもあり、コントロールできない部分がまた面白い。
次はこうしたい!ああしたらどうかな?と、試行錯誤するプロセスにわくわくが止まらない。
こんなに静かに熱くなれるものに40歳になって出会えるなんて幸せだ。
でもわたしが陶芸にこれほどはまってしまったのは、ものづくりの過程が楽しいから、というだけではなく、
自分より若い陶芸の先生の話が示唆にとんでいて、その度に味わい深いなぁ、面白いなぁと感動してきたからなのです。
陶芸の話をしているのに、どんなことにも通じる話。
なので今日はその中のほんの少しですがシェアできたらなと思います。
マグカップなどをつくるとき、持ち手をつけます。
粘土で細いひもをつくり、本体に傷をつけて、「どべ」というどろどろの粘土を塗り、そのひもをくっつけます。
すると、持ち手と本体の隙間から「どべ」がにゅるりとすこしはみ出てくるのです。
これをきれいにするのに、すぐにヘラでぬぐい取らずに
「一晩寝かせるといいんですよねぇ、、、
なんでもね」
と先生がおっしゃる。
一晩寝かせると、しっかりパーツとコップ本体がどべといい感じになじんでくれてよくくっつくし、どべも乾いてくるので、ヘラでなでつけるとベトベトせずきれいになるというもの。
それはそうと、
「なんでも」かぁ。。。
なんかイラッとすることあっても。
もやっとしても。
これはどうなの?と思うことがあっても。
その時にすぐ口にせずに、「一晩寝かせる」。
寝て起きると、
まっいいか、と流せたり、
伝え方も、感情的にならずに、頼みたいことを伝えるにはこう言えばいいか、と冷静になれたり。
はたまた、時間をおいたら状況が変わって
勝手に解決したり。
普段、なにか困ったことがあると、
解決するにはどうすればいいのかとすぐにスマホ検索して早くどうにかしよう!としてしまうのだけど、
' 一晩寝かせる ' って
ほんといいよなぁ、大事よなぁ、
なんて自分を省みる。
先生、自分より結構年下なのに
なんでこんなに達観しているのだろう。
すごいな。
陶という、思うようにいかないものを相手にしていると、そう考えるようになってくるのかな?とも思えてくる。
また別のある日。
作ったものが歪んだり、釉薬がぶくぶくになって焼けたりして不思議な作品ができてしまったときに、先生が、
「なんか、落ち込んだときにですね
不恰好な作品がその辺にころりと転がってると、それを触ったり眺めたりして、なんかいいなぁと思えたりするんですよね」
最初は、へぇ、そんなものなのかっておもったけれど
実際自分の器を生活で使ったり部屋に置いたりしていて、確かに納得、と思う。
なんだか、完ぺきにできた!と思うものは
作って満足するのだけど、
そのあと近寄りがたいというか
なんだか、愛嬌があって
ちょっと不恰好でいびつなもののなかに
愛すべき器がたくさんあって
使う度になんだかほほえましいような
のんびりした気持ちになる。
人もそうかもしれないな
完ぺきそうな人は近寄りがたい。
不恰好でいびつなまんまで、
いや、いびつなまんま が、
いいのかも。
最後に。
最近先生にいわれた言葉。
「前のめりになりすぎない」
・・・うぅ、そうですか。
ほんと陶芸って性格でるのかなぁ。。。
一歩ひいて、客観視、が必要なようです。
色んな意味で(陶芸も人生も?)修行の日々、
ゆるく楽しく試行錯誤していきたいな。
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