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短編小説「終点のユートピア」

毎日同じ時間に起き、同じような仕事をして刺激のない日々を送っていた。

そんなある日。

ポツンと心の糸が切れたような感覚に襲われた。

通勤電車にて、仕事をほってどこか遠くの方へ行ってしまいたい気持ちになったのである。

そういうわけで、仕事場の最寄駅は通り過ぎ、終点まで行くことにした。

どこでもいいからどこか遠くへ。

そんな気持ちで辿り着いたのはエメラルドグリーンの海がある村だった。

スマホで調べると、ここは観光地としてはあまり知られていない穴場スポットらしい。

観光客の気配は全然なく、地元の人しか見かけなかった。

その日は天気が良くカンカン照りだったため、エメラルドグリーンの海には太陽が反射してキラキラと輝いていた。

こんな世界があるのかと感動した。

普段は、仕事場と家を往復するだけの狭い世界を生きていたが、それは世界の一部分なんだと励まされた気がした。

せっかくなので裸足になり、海に足だけ浸かってみる。

水温は生ぬるかったが、ピチャピチャという音とエメラルドグリーンの景色が夏の暑さを紛らわしてくれる。

一人で佇んでいると、地元のおじいさんがスイカを持ってやってきた。

「見かけない顔ですな。観光で来られたのですか?」

「まあ、そんな感じです。」

「どうぞゆっくりしていってください。ここで栽培されたスイカです。お一つどうぞ。」

「ありがとうございます。」

「泊まる宿はもうお決まりですか?」

「飛び込みで来たのでまだです。」

「それなら、親戚が宿を運営してますので、必要とあらばこちらの旅館にお泊りください。」

そう言うと、おじいさんは宿の住所と電話番号が書かれた名刺を渡し去っていった。

せっかくの機会なのでその旅館に泊まることにした。

美怜館

それが案内された旅館だった。

宿に着くと愛想の良さそうな女将さんが出迎えてくれた。

「晩御飯はお部屋に用意しておりますので、ごゆっくり。」 

飛び込みで宿に来たのに、晩御飯はすでに手配してくれているらしい。

スムーズな対応に驚かされる。

女将さんに案内され階段を上がると、真っ直ぐな廊下があった。

廊下は窓から入る太陽の光に照らされ、黄金色に輝き趣深い。

そして案内されたのが、2階の端っこの部屋である。

部屋は8畳の広さで一人で泊まるには贅沢な空間だ。

テーブルにはご飯が所狭しと並べられている。

晩御飯は和食の定食みたいだ。

お味噌汁、香ばしい匂いがする焼き魚、季節の天ぷら、お刺身、茶碗蒸など、とても豪華である。

美味しいものを腹一杯食べることができるこの瞬間が幸せすぎて、仕事のことはどうでもよくなっていた。

ご飯を食べ終え、窓の外を見ると日がすっかり落ちている。

そろそろお風呂に入ろうかと大浴場がある一階に行くことにした。

廊下に出た瞬間、違和感を感じた。

まるでお化け屋敷の空間のように、薄気味悪い。

昼間みた光景とは対照的である。

自分でも身の毛がよだつのを感じた。

急いで部屋に戻り扉を閉める。

もう夜中の9時。

暗い空間に敏感になっているのは疲れているからだろう。

風呂は明日の朝に入ることにし、今日はもう寝ることにした。

そして、布団に入り寝ようとした時、外から叫び声が聞こえてきた。

窓から外を見下ろすと、鬼が村人を追いかけ回していた。

よくあるお祭りだと思い、その時は何も気にとめなかった。

しかし、次の朝目覚めると異変が起きていた。

朝ごはんをオーダーしようと一階の受付に行ったが、女将さんがいないのである。

田舎の旅館だとこういうことがあるのかと呆れ、外に出てみる。

誰もいない。

何か起きたのだろうか?

旅館の近所の人は何か事情を知っているのかもしれない。

そう思い、近くにある一軒家の家を尋ねてみようとしたが、玄関が開けっぱなしになっていた。

「すいません。誰かいますか?」

そう声を掛けてみたものの、誰もいないようである。

周りを見渡してみても人っ子一人いない。

その時ふと昨夜の光景を思い出した。

鬼が村人を追いかけ回す光景。

もしや、本当に村人は鬼に襲われたのだろうか。

急に怖くなり、村から出ようと駅へと向かう。

その道すがら、倒れている人を見かけた。

顔をよく見てみると旅館の女将だった。

救急車を呼ぼうとしたが、遠くの方から鬼の格好をした人が駆けてくるのが見えた。

このままでは自分まで襲われる。

逃げるように駅へと向かい、電車に乗って家へと帰宅しがちすることにした。

昼間はユートピアのようだと感じたこの村は、夜が更けたあたりから一変してしまった。

まるで、最初は優しかった上司が徐々に化けの皮を剥がし本性を現すかのように。


その頃、村では後片付けに追われていた。

実は、オーバーツーリズムによる弊害を懸念した村人達は、観光客がこの村に寄り付かないように鬼の格好をして怖がらせていたのだ。

しかし、たまたまこの村を訪れた人の口コミにより、この実態は瞬く間に広まった。

そして、今では鬼が出る村として都市伝説マニアの間では有名になっている。





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