東良美季

東良美季1958年生まれ。編集者、AV監督、音楽PVディレクターを経て執筆業。著書に『…

東良美季

東良美季1958年生まれ。編集者、AV監督、音楽PVディレクターを経て執筆業。著書に『猫の神様』(講談社文庫)『代々木忠 虚実皮膜』(キネマ旬報社)『デリヘルドライバー』(駒草出版)『ヘンリー塚本 感動と情熱のエロス』(VITA)他。

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【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#008

#008 無口になった僕はふさわしく暮らしてる  一九八三年の春から初夏へかけての季節を、僕は渋谷南平台にあった古い雑居ビルの一室で、ほとんどたったひとりで過した。ガランとしたコンクリートの壁に囲まれた部屋で、あるものと言えば中古のスチール製デスクがひとつだけ。その上にはやはり中古の黒くて旧式の電話機が置かれていた。  毎朝実家のある小田急線の新百合ヶ丘駅から小田急線で下北沢に出て、そこから井の頭線に乗換え渋谷へ。午前一〇時前にはその部屋の鍵を開けた。夜の間締め切っていた窓

    • 【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#007

      #007 いい事ばかりはありゃしない  レイアウト用紙にまず縦の線を一本引く。その始点から終点が、一行の文字数となる。そして終点から斜めに上がる線を引き、そこからまた縦線を上下に。つまり欧文の「N」の線を書くわけだが、これで一行が何文字、そして何行にわたる文章になるのかが現される。レイアウト用紙はコクヨなどから出ている市販のものもあるが、大抵、出版社は各雑誌ごとのものをオリジナルで作っている。文字の大きさや段組を決めたものだ。  当時のアダルト誌はA4判が主流だった。これは

      • 【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#006

        #006 僕ら何も間違ってない  五十崎が僕を呼んだのは、渋谷駅ガード下にある「天風酒蔵・やまがた」という居酒屋だった。国道246線玉川通り沿い、東横線の線路の真下にある。だから西口からでも東口からでもほぼ同じ距離なのだが、いつもの癖で東口に出ていた。  いつもの癖というのは、僕が約一年前まで渋谷区東にある國學院大學というところに通っていたからだ。学生たちは大抵、渋谷駅東口から明治通りと246号線を跨ぐ大歩道橋を渋谷警察方面に渡って通学する。由紀子に声をかけ、初めて言葉を交

        • 【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#005

          #005 金儲けのために働くなんて 「君に〈覗き部屋〉をご馳走してやろう」と二人でぼったくりの店を迷い込んでしまった島谷さんの下には、結局たったひと月しかいなかった。「五十崎くんの代わりに頑張ってもらわなきゃならないからな」と言ってもらったのだが、翌月には島谷さんが桜庭編集室に人事異動になってしまったからだ。ただ、僕の方は雑誌も同じで座る席も替わらなかった。それまでは四階にいて別の雑誌を作っていた横西さんという人が、新しい編集長としてやってきた。  横西さんは小柄な体躯に伸

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          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#004

          #004 君はそのうち死ぬだろう 「じゃあ、あんた、いったい毎日何をして暮らしてるわけ?」とその医者は言った。  精神科医というおごそかな肩書きには、およそ似つかわしくないカン高い声だった。黒ぶちの眼鏡をかけた小柄な中年の男で、年齢のわりに黒々と多めの髪は眉の上で一直線に切り揃えられ、まるで帽子のように頭上に乗っていた。診察室に入った時から誰かに似てるなあと思ってずっと見ていたのだが、やっと気づいた。落語家の橘家圓蔵だった。 「えっと、まあ、部屋で本を読んだりとか」 「本を

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#004

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#003

          #003 雨も降り出した  年が明け、十一月から行われていた入社試験の結果、さらに六名ほどの新入社員の入社が決まった。公にはされてなかったが、電球頭の上司は編集局長という立場で人事にも深く関わっていたので、応募者の履歴書返送作業は僕がやった。だからおおよそのことは自ずと知ることになったのだ。同じ頃、国城がアサハラの紹介で下請けのデザイン会社に移ることになった。首になる前に再就職先を探してやろうという、アサハラの温情だった。けれどその一週間後、五十崎が首になった。  僕だけ

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#003

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#002

          #002 九月になったのに  その日は土曜日で、正午を過ぎると社内にはいつものように競馬中継のファンファーレが鳴り響いていた。特に仕事は与えられていなかったので、自分の机で『編集ハンドブック』を読んでいた。するといつものようにノミ屋に電話をかけまくり、「まったく土曜日は仕事にならんなあ」などと嬉しそうに笑っていた電球頭の上司が、ふと僕の存在に気づいたといった感じで声をかけてきた。 「キミはギャンブルはやらないのか?」  やらない、と答えるとあからさまに不快そうな顔をして、「

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#002

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#001

          #001 新宿通りはもう秋なのさ  一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。時給四二〇円のアルバイト待遇である。大学を卒業して約半年後のことだった。あの頃のことを思い出そうとすると、今でも耳元で清志郎の声が聞こえる気がする。  一九八二年と言えば、RCサクセションはシングル「サマーツアー」がヒット。メディアでは日本のロックバンドのシンボル的存在として取り上げられ、まさに快進撃を続けていた。フジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演した際は、生放送で清志郎がカメラに向か

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#001

          【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#000

          #000 introduction 二〇分泣いた  二〇〇九年五月二日の夜、僕は自宅アパートのある国立へと向かう中央線の中にいた。  その日は実家のある川崎市の小田急線新百合ヶ丘駅近くで、地元の友達が集まるちょっとした同窓会的な飲み会があり、その帰りだった。  時刻は十一時半を廻っていた。ゴールデンウィーク中ということもあって、車内はさほど混雑していなかった。座席はほぼ埋まっていたが、つり革に掴まっている人がチラホラという程度。少し離れたところに一〇人ほどの男女若者のグルー

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