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プログレッシブ歩き遍路・2002年 ① 立志

漠然とモヤモヤして常に自分に自信がなく、気弱であるがプライドは高く
ややこしく拗らせてる2002年18歳の高校卒業間近のある日の深夜の風呂上がり


長風呂でフラフラの全裸のままテレビを見ていると、スペインのサンチャゴ巡礼のことを特集していた。
そういえば日本には四国遍路ってあるよなあと思う。
大学なんか全く行く気なく、卒業したらインドに行こうと決めていた。
しかしその時にバイトで得たお金は全力でCDを買いたくさんの音楽を聴き込むことに費やしていたので、インド行きの貯金はできていなかった。
よしじゃあインド行きの前に卒業したらフリーターで時間があるし遍路にちょっと行ってみようと決めた。
なんとなく遍路一周して悟りをひらけばモヤモヤも消えて人生楽になるだろうとも思ったし、沢木耕太郎の深夜特急のようなバックパッカー的な旅に対する淡い憧れもあった。

高校を一年で中退してフラフラしている友人Sに電話し、「遍路行こうぜ」「オッケーいいで」っていう簡単な会話を交わし、5月に四国遍路に行くことに。



                    *


友人Sとは小学校から一緒で気が合っていた。
中学校に入りたての頃、Xとかルナシーを聞いててもっと速くてごっついやつ聴きたいと思っていると、登校前に友人Sの兄が持ってたスレイヤーのアルバムをニヤニヤしながら聴いてみろと持ってきてくれた。
それを聴いて全身から汗が出るほど衝撃を受け、その後の物事への価値観はそのスレイヤーを聴いた経験から全て成り立っていると思っているのでSに感謝している。    

そして常日頃から音楽を共有しあっていて、中学生の時は正月になると二人してお年玉を握りしめ神戸や三宮の中古CD屋を歩き回って、デスメタルやドゥームメタルなどのCDを探し回り、毎回安い立ち食いそばを食べた。
高校になるとバイト代を握りしめ神戸や三宮たまに大阪までその時どうしても必要だったプログレやインド音楽などのCDやカセットテープを探し回った。そして食後のタバコをゆっくり吸える三宮センター街の入口にあったビビンバ倶楽部でビビンバを食べた。

小学6年のクリスマス前、友人Sが電話でクリスマスには親にベースを買ってもらうと言ってきて、じゃあ俺がギターを買って貰えばバンドができる!と興奮し、聴くだけだった音楽を自ら演奏するということに震えるほどワクワクした。

俺はギターをその後ずっと練習し、17歳からはインドのシタールという楽器も始めた。
友人Sはベースから始まりギターも練習し始めるがめちゃくちゃ飽き性で続かないし上手くならない。
16歳の頃はキングクリムゾンのCadence and CascadeとドノヴァンのThere is a Mounainのフルートにときめきフルート教室に通うもすぐに辞めて続かない。
そして18歳になるとハリプラサドチョウラシアというインド人音楽家を聴き感銘を受けバンスリという笛を習い始める。
多分続かないだろうと思うがなんとか頑張って欲しいと思っていた。

それとは逆に俺は一つのことに執着し辞めるとか全然考えない性格で、よく言えば集中力と地味な練習も続けられる性格だけれども、悪く言えば柔軟性がないし物事を一方的な見方で決めつけてしまう。
何より喋りが下手でめちゃくちゃ人見知りしてしまう。
友人Sはめちゃくちゃ自然におおらかにスッと人の懐に入り込んですぐに好かれる。
その辺の違いが結局はお互いを補っていいバランスが取れていたような気がする。


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それからなんの感動もない高校の卒業式を終え、四月の末に遍路の準備を始めようと連れ立って買い物に行った。
兵庫県にある靴のヒラキという店まで友人Sの愛車ミラウォークスルーバンで向かった。
まず靴は安いなんとなく登山っぽく見える靴を揃いで買い、鞄はこれまた安いしっかりしてそうなものを俺はオレンジ友人Sは青で買った。
それと野宿用の銀マットを買い鞄にくくりつけた。
ズボンは古着屋で買ったチノパン、上はTシャツ三枚ほど、パンツ三枚に靴下3セット、それと友人Sの持っていた寝袋。
携帯電話(N503i)に充電器、財布タバコライター、あと自炊するつもりでいたのでキャプテンスタッグのガスボンベとコンロを用意した。
全部鞄に詰めて背負ってみると意外と重く少し不安になるがまあなんとかなるやろと思う。

出発の日をキリのいい5月5日に決め、高速バスのチケットも用意した。

これであとは出発の日を待つだけ。


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