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普段しているその会話に、関係性の秘密があります

「普通はこうするよ」
「そうなんだ!じゃあそうしようかな」

普段何気なくされている会話ですね。

「普通目玉焼きには、塩じゃない?」
「そうなんだ!じゃあそうしようかな」

「普通は女がご飯を作るんじゃない?」
「そうなんだ!じゃあそうしようかな」

段々様子がおかしい事に気付きますか?

「普通」って何ですか?
よく考えたら、曖昧な言葉じゃないですか?

「普通は」と言っていますが、
結局は「その人の価値観」の話です。

その人の価値観は
その人の経験から作られたものです。
こうやって育ってきたとか、
他の誰かから影響を受けて、作られていきます。

では、なぜ「私はこう思う」と言わずに
わざわざ「普通は」と言うのでしょうか。

それは、「自分の意見を通すため」です。

「普通は」とこちらが言えば、
相手は「普通じゃない側」に立たされます。

そうすることで
「自分が正しい」という前提の
「有利な立ち位置」で
話し合いをスタートさせることが出来ます。

たいてい
「普通は」と発している側は
相手の意見を受け容れる気はありません。

そして、最初の会話のように
「そうなんだ!じゃあそうしようかな」
と相手が言うのを期待しています。

「普通は」と言われた側が
「でも」と自分の意見を言った場合
おそらく、
その会話を楽しいまま終えることは
難しいでしょう。

例えばこの会話でさえ、
こんな感じになるのではないでしょうか。

「普通目玉焼きには、塩じゃない?」
「そうなんだ!でも私は醤油にしようかな」
「ふ~ん、塩のほうが美味しいのに」
と少々不機嫌になってしまうとか
「絶対塩のほうが美味しいから」
と無理に塩を進められるとか、が想像できます。

それでは、
「普通は女がご飯を作るんじゃない?」
に対して反論した場合は、どうでしょう。
間違いなくもめることが想像できます。

「ご飯は男が作ってもいいよね!」
という結論にはならないでしょう。

「普通は」という言葉自体は、
怖くないですし、
抑圧するイメージはありません。

でも、こういった何気なく使っている言葉にこそ
注意を払っていきたいものです。

笑顔で「普通は」と言ってくるあの人は、
あなたを抑圧してくる存在ではありませんか?

あなたも誰かに笑顔で「普通は」と言っていませんか?

心地よい人間関係はあなたの人生を明るくします。

誰かにあなたの「普通」を
押し付けようとしていませんか?

誰かの「普通」を押し付けられていませんか?

「あなたの普通」が普通ではないし、
あなたが「誰かの普通」をする必要もありません。

あなたと誰かの普通が違っていてもいいんですよ。

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