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エッセイ#34『古本屋の思い出-前篇-』

まえがき

 本日をもって古本屋のアルバイトを辞めた。初出勤は大学1年生の夏のことだったので、もうかれこれ3年半の月日が経過したことになる。
 始めた理由は本が好きだからでも、家から近いからでも、時給が良いからでもない。ただただ人との会話が苦手だからだ。居酒屋やコンビニは「見知らぬ相手との会話」が必ず発生する上に、何だか業務内容も大変そうだ。私には絶対に務まらない。「人との会話が少なさそう」を条件に求人サイトを見ていたところ、目に留まったのが古本屋のアルバイト募集だった。
 先程から古本屋古本屋と書いてきたが、神保町にあるような個人商店ではなく、フィギュアやトレーディングカードなんかも取り扱っている、所謂「ブックオフ」的なところだ。ただ、決してブックオフではない。
 時給はそんなに高くないけど、会話も少なさそうだしここにしよう。それに駅近って書いてあるし。そんなわけで私は人生で初めて「アルバイト面接」を受けに行くことになった。
 これから記すことは、私がアルバイトの面接に足を運んでから契約を終了するまでの主な出来事である。

面接へ

 面接に関する電話が掛かってきた時、私は千葉の自宅ではなく横浜にいた。KAAT(神奈川芸術劇場)で舞台を観た後のことだった。演目は確か『ゴドーを待ちながら』だっただろうか。
 日本大通り駅周辺をうろちょろしながら電話で面接の日程調整をし、ヘトヘトになりながら帰路に着いた。外での電話は、なぜあんなに体力を使うのだろう。しかし、これでいよいよ私にも「収入」というものが発生する。まだ面接すら受けていないのに、既に心は踊っていた。大学に入ってからというもの、高校生時代にアルバイトが許可されていた者が意外と多く、私は自由に使える金額が少ないことに悩んでいたが、これからは思う存分、趣味にお金を掛けることが出来る。

 それから2週間後、待ちに待った面接の日がやってきた。何よりも驚いたのは、駅からの距離だ。あんなに駅近を売りにしていたのに、全然近くないではないか。自宅の最寄駅からは徒歩で1時間、隣の駅からでも30分は掛かる。騙された。しかし歩くのは好きなのでそこまでの苦ではない。会話が少ないのならそれで充分だ。

 面接を担当してくださったのは店長だった。面接の内容は至って普通で、希望日数とか志望理由とか、面接がテーマのコントで何度も見た光景だった。志望理由は一応「大学で使う資料探しのため」みたいな、真面目な感じで答えておいた。
 合否はその場で言い渡された。合格だった。それもそうだ、ここで不合格だったら、この文章はそもそも書かれていない。
 勤務開始日などを告げ終わるや否や、店長はとんでもないことを言い放った。
 「君は元気がない。だからレジは任せられない。」
 かなり明るく振る舞っていたつもりだったので、正直ショックではあったが、レジに立たない代わりに業務として古本整理全般を任されたのは、むしろラッキーだった。なんたって、話したくないのだから。

 勤務開始はさらに2週間後のことだ。アルバイト自体が初体験なので右も左もわかっていないが、しばらくは店長が付きっきりで指示を出してくれるらしい。この店長を、仮に船橋さんと呼ぶ。

初出勤

 いよいよ初出勤である。店長への挨拶と他の先輩方への自己紹介を済ませ、これから自分の持ち場となる2階の古本売り場に移動した。
 古本売り場は想像の何倍の広かった。少年漫画、少女漫画、青年漫画、女性漫画、コミック文庫、ライトノベル、小説の単行本、文庫、時代小説、エッセイ、ビジネス書、参考書、写真集、辞書、エロ本、雑誌、児童書、絵本、スコア、戯曲、地図帳、攻略本、……。頭はもうパンク寸前だった。これらに加えて、それぞれの80円コーナーまで含めた、とんでもない数の売り場を把握しなければならず、早くも挫折しかけていた。
 少年漫画と青年漫画は何が違うんだ……。どれが190円で、どれが80円なんだ……。受験勉強から解放されてから3ヶ月が経過したが、どうやら勉強に終わりはないらしい。

 売り場の説明の後は、しばらく少年漫画の整理をしていた。店長は「じゃ、何かあったら呼んで~」と言って事務所に戻ってしまった。
 その時である。「すみませ~ん。」と、お客さんから声を掛けられるという緊急事態が発生してしまった。やばい。本の場所どころか、漫画のタイトルすらも把握しきれていない。とりあえず近くにいた先輩従業員(市原さんとする)に助けてもらい、その場をやり過ごした。
 その10分後、またしても声を掛けられた。そしてまたしても、市原さんに助けてもらった。市原さん、ありがとうございました。

 古本屋の店員というものは意外と声を掛けられるのだと気付き、疲労困憊になりながらその日の業務を終えた。店長が「どうだった?」と聞いてきたので、私は「大変でした。疲れました。」と返した。すると「ほう。どんな風に?」と返ってきた。どんな風に……。正直この手の会話は肯定か否定で返せば良いとばかり思っていたが、まさかその続きを聞かれるとは。とりあえず「文字が多くて疲れました。」と言って、その場をやり過ごした。

歓迎会

 初出勤から2ヶ月が経過した9月某日、私と八千代さん(ほぼ同時期に勤務を開始した人)の歓迎会が催された。2人のための歓迎会ではあったが、希望していた時間帯が合わなかったため、私は夜の部に八千代さんは深夜の部に参加することになった。
 歓迎会の会場となったのは市内の魚民である。正直何を話したかは全くと言って良い程記憶にないが、覚えておくべきことは何もなかったように思える。きっと仕事の愚痴か何かだろう。
 歓迎会と言うからには、先輩方の奢りだと思うのが当然だ。大学の歓迎会だって、上級生が資金を出し合って新入生を迎えるのが定番だ。しかし、今回は違った。普通に飲み会の代金を要求されたのだ。それも「1,000円で良いよ~」みたいなことも特になく、普通に3,700円を取られてしまった。どうやらアルバイトに、そういった文化はないようだ。 
 2次会、と言って良いのかはわからないが、魚民を出た後は国道沿いのボウリング場に行くことになった。その道中、ボウリングと卓球のどちらが良いかと問われ、私は迷わずに卓球を選択した。ボウリングの玉をまともに投げられた試しがないからだ。「ボウリング上手い人ってどうして上手いんですか?」と先輩に質問してみたが、先輩曰く「上手い人は元から上手い」らしく、今後私のボウリングの腕が上達することはないと予感した。

 夜でもボウリング場は意外と人が集まっていた。この辺だと他に遊ぶ所もないから、当然と言えば当然だ。一方で卓球場はというと、見事にがらんどうであった。
 卓球をしている最中は、同じ市内出身の先輩である印西さんと成人式の話をした。「あれは行かなくて良いやつ」だそうだ。そんな会話を、この文章を書いていて思い出した。そうか、私は印西さんと卓球をしたことがあるのか。今では考えられない。もちろん、それ以降印西さんと卓球をするようなことはなかった。
 卓球を終え、それぞれの帰路に着く。この数時間後、どこか別の場所で八千代さんの歓迎会が行われていたのだろう。彼女は人間を2つに分けた時の「陽が当たってる側」の人だったので、きっと歓迎会でも会話の中心に立てていたし、卓球ではなくボウリングを選択していたはずだ。共通点が人種と国籍と母語くらいの人が同じ空間に存在していて、無理にでも関わらなければならない。これがアルバイトという行為自体の共通部分なのだろう。 
 帰り際、驚くほどに酔い潰れていた先輩のためにタクシーが呼ばれた。飲酒ができる年齢になってから考えてみると、あの潰れ方は中々出来るものではない。
 「見たかい、ああいう碌でもない”おわった人間”が最終的に集まる場所、それがうちの本屋。」
 
ん。何かさらっと、とんでもないことを告げられた気がする。これからが不安になってきた。

『鬼滅の刃』で時間を潰す

 アルバイトを始めた頃は、丁度『鬼滅の刃』のブームが始まった時でもあった。しかしながら、まだまだ最新の漫画に疎かった私は、「きめつ……?」の状態であった。知らないだけならまだしも、人気故にそもそもの在庫すらなかったため、探しようもないのだ。
 一度、「すいませーん。鬼滅ありますー?人気のなんすけど。」と言われたことがあったが、何のこっちゃわからずポカンである。コミックでしょうか?作者の名前や雑誌はわかりますか?といつも通りに対応したところ、「いや、いいや。聞く相手が悪かった。」と逃げられてしまった。当時は「は?」と怒りと疑問が半々であったが、今になって思えば古本屋の店員をしておきながら『鬼滅の刃』を知らない方が「は?」である。
 その後、インターネットで出版社と作品名と作者の対応表のようなものを発見し、しばらく勉強をした記憶もある。『いぬまるだしっ』とか『ながされて藍蘭島』とかは、そのタイミングで知った。 
 そしてどうやら『鬼滅の刃』と言う作品が大人気で、紙媒体での入手が困難であることも学んだ。そうかあの時のお客さんは、これのことを言っていたのか。全てが繫がり、あの反応にも納得がいった。

 もはや日本国民のみならず、世界中のアニメ・漫画ファンが名前くらいは知っている大人気漫画『鬼滅の刃』は、「人気・話題作」の棚にコーナーが設けられていた。そして、その棚に1冊も並べられていないことから、人気の高さが窺える。
 お客さんから「『鬼滅の刃』ありますか?」と聞かれた際に、1冊も在庫がないことはわかりきっていたのだが、「こちらの棚です」と案内し「あー、すみません。今1冊もないみたいですね。」と言うことにしていた。もちろん時間潰しである。これで大体3分は潰せる。多い日は5人くらいから同様の質問をされるので、15分くらいは合法的に休憩が取れるのだ。
 それからしばらくして『鬼滅の刃』はそこそこの在庫数を保てるまでに落ち着いてきたが、コロナ禍の自粛期間でもう一度もぬけの殻になってしまった。しかも今度は『呪術廻戦』の人気も高まり出した頃だったので、以前にも増して寂しい本棚であった。
 その後は『東京卍リベンジャーズ』とか『怪物事変』とか『SPY×FAMILY』など、定期的にごっそりなくなる作品が現れ、その度に先程の方法で小休憩を繰り返していた。

嫌な老人

 私のバイト先に限らず、「嫌な常連客」として認知されている人物が一定数存在する。スーパーで勝手に割引シールを張り替えたり、居酒屋で頼むだけ頼んで完食しなかったり、ファミレスで子供を放って親だけで話し続けていたり。
 私が初めてそれに出会ったのは、アルバイト開始からおよそ1年が経過した、2020年の初夏のことである。その老人は突然目の前に現れた。と言っても、第一印象は至って普通の好々爺であり、接客のし甲斐のある接しやすそうな雰囲気を醸し出していた。
 確か、最初に発した文言はこうだった。
 「お兄さんお兄さん!『ミナミの帝王』ってこれとこれの間の巻ないの?」
 私は『ミナミの帝王』がある、80円コーナーの日本文芸社の棚を見に行った。すると確かに半端な巻がいくつか抜けており、老人の目当ての巻も在庫が底を尽きていた。既に全て買われてしまっている旨を伝えると、老人は笑みを浮かべたままこう続けた。
 「あ、そう!残念だね!いやいや、そうかそうか。いやぁ、お兄さんのとこ(古本屋)安いねぇ!80円で買えちゃうんだもん。ほら俺金ないじゃん?だから凄い助かるんだよ。ほらブックオフとかだとさぁ100円とかすんじゃん。だから安いよ、お兄さんとこ。この前コナンも買ってさぁ、何冊か買ったんだけど、もうすぐに読み終わっちゃって。でもさ、コナンはあんま80円になってるのないからさぁ中々買えなくてさ……」
 
長い!!!!よくこんな、のべつ幕無しに喋れるな。どうにかして話を逸らさないと、閉店時間まで会話の相手をさせられる可能性が出てきたので、とりあえずコナンのコーナーに案内することにした。
 「あー、そうですね、コナンこちらなんですけど見てみます……?」
 やっとの思いで80円の日本文芸社の棚を離れ、茶色い背表紙でびっしり埋まった『名探偵コナン』のコーナーへと移動することに成功した。しかし場所が変わっただけで、現状は何も解決していない。老人は80円の漫画を求めているだけで、コナンの漫画を買いに来たわけではないのだ。どうしたことか。
 その後私は、老人が興味なさそうな文庫のコーナーへと少しずつ歩みを進めた。
 「お兄さん大学生?凄いねえ。大変でしょう。ここ何時までやってんの?ええ!!23時!偉いねぇ。ほら俺なんかはもう働いてないからさ。偉いよ。」
 さっきから「ほら」と付けて自身のスペックを公開しているが、全然お馴染みではない。どうしたら話を切り上げてくれるのだろうか。試しに文庫の整理をしてみた。すると老人は、「いやぁお兄さんの仕事邪魔しちゃ悪いね。お兄さん怒られちゃうもんね。」と言ってレジの方へと向かって行った。文庫本整理の効果は覿面てきめんであった。あぁ、これが「嫌な客」か……。よく今まで出会わずに済んでいたな。

 それから約半年後、悪夢は再び私の持ち場へと足を踏み入れた。
 「お兄さん!『はじめの一歩』って何巻まで出てんの?」
 私はいつもの癖で普段通りに接客してしまったが、気付いた時にはもう遅い。この質問をしてきた相手こそが、例の老人だったのだ。一瞬のうちに前回のトラウマが脳内を支配し、一刻も早く帰ってほしい気持ちで溢れ返っていた。
 「『はじめの一歩』ですか。確か120巻は超えていたはずでです。」
 「えっ!そんな続いてんの!こりゃ集めるの大変だな。いやぁ、俺お金ないからさぁ。こんなこと言ったらお兄さんに笑われちゃうけど、仕事してないからお金がないのよ。本当に、そうか120巻かぁ。大変だな、全部は読めないな。いや本当にお兄さんに笑われちゃうから、あんまこんなこと言えないけど、俺お金ないからそんな沢山買えないのよ。いやぁでも……」
 
相変わらず長い。よくこんなにダラダラと喋れたもんだ。「『はじめの一歩』の巻数の多さに驚いていること」「仕事をしていないこと」「お金がないから本が買えないこと」、この3点を延々繰り返していることに自分では気付いていないのだろうか。3つの事柄を繰り返しているという点では、「はーい」「ばぶー」「ちゃーん」と対して変わらない。それに店員として返事をしなければならないのだから、喃語なんかよりもよっぽどタチが悪い。それに可愛くもないし。

 それからさらに2週間後、例の老人にまたまた遭遇した。全くツイていない。
 見付からないようにひたすら逃げ回った。少女漫画をそれとなく整理してみたり、数学の参考書を並べ替えてみたり、アイドルの写真集を名前順に並べてみたりと、とにかく老人の趣味とは程遠そうなエリアを巡回した。15分程経ってから元いた少年漫画のコーナーに戻ると、そこに老人の姿はなかった。
 それからは一度も見掛けていないが、寂しいと言う気持ちは1mmもない。むしろあの顔がこべり付いて離れない。頼むから早急に私の頭から立ち退いてくれ。


中篇へ続く


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