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自己紹介(新卒時代) ~オフィスで期末に号泣するビリ営業マン~

その後、入社をしたのは、東証一部上場のコンサルティング会社。
今でいうブラック企業で、月間の労働時間が400時間を超えるような会社でした。
コンサルタントを志すといいながらも、経営力や営業力を身に着けたいと思い、とにかく厳しい環境を求めていました。

理由としては、学生時代にあまりの自分の無能さに嫌気がさしていたからです。

大学生時代には、学業そっちのけで経営者になるトレーニングをしていましたがフルコミッションの営業に取り組むも、200人中ビリ。経営者になるには、とにかく営業力しかないと意気込むも絶望的な自分の実力の無さに愕然としました。

1円もアルバイト代が入らない中、交通費を自腹でかけて毎日のように顧客訪問していましたが、全く売れませんでした。

交通費分は稼がないといけないので、飲食店でアルバイトしてその稼ぎを、フルコミでチャレンジする原資とする非効率なことをしていましたが
本当に売れず、2年間無駄な時間を過ごしてしまいました。

悔しい2年間は、後々自分の財産になるのですが、当時は、売れなかったから辞めたと思われたくない一心で、半ば意地で続けていました。

売るためのロープレをたくさんしましたが、全く売れず。
困り果てていました。

今ならばなぜ当時の自分が売れなかったのかはっきりわかります。

まずは、自身が商品の良さにほれ込む、という絶対に大事な要素を見落とし
魂の無い、マニュアルセールスを続けており、お客さんに見透かされていました。

しかし、当時の自分は、「才能がない」と、ずれた振り返りをしており、ドツボにはまっていました。結果として大学4年間でさんざんビリになり自分への自信を失いつくした学生時代でした。

そんな中、少しでも、自分の営業力を高めたいと、営業力で有名な会社に身を置きたいと思い入社しました。

入社した会社は、東証一部上場企業ではありましたが、私が入社する直前にリーマンショックのあおりで業績は急降下。

顧客負荷が大きくリスクも高い投資商品の販売を行っていたこともあいまり、会社はボロボロでした。(現在問題になっている大手中古車の買い取り販売会社のように、顧客イメージも悪化していた状況でした。)

その結果、私が入社するころには株価がタダ同然に落ちており、倒産は秒読みという状況でした。

最終的には、事業会社たちは、MEBOして、従業員や幹部が株式を買い取り
独立をすることで、事業継続できることになり、私は所属部署にて継続して仕事をすることができました。

新規事業室という形で、ゼロから事業を立ち上げていく過程はとても楽しく、勉強になりました。

一方、営業成績といえば、相変わらずの低空飛行。朝7時~夜の3時まで働いて、月曜日から日曜日まで働くスタイルでしたが、営業会社において、数値が作れない以上存在価値はなく、いつも会社評価は最低でした。(一生懸命で、事務作業などは喜んでやっていたこともあり、定性評価は〇でしたが)

そんな中、期末である12月の24日に、売上数値はゼロで、上司からオフィスで詰められてた中、自分のふがいなさがしみて、オフィスで号泣してしまったことがあります。

ビジネス書ででてくる豪傑たちは、死ぬ気で頑張れば、必ず突破できるといっていたのにコミュニケーション障害の自分は、死ぬ気で頑張ってもどうにもならないのではないかと、とにかく、自分の先天的な何かを責めました。

私は、コミュニケーション力は高くなく、ちょっとKYなタイプです。
年齢とともに、以前よりは、徐々に空気が読めるようになってきましたが、
当意即妙なコミュニケーションは苦手です。抜群に空気が読めて、的確な言葉選びができる人に強く憧れます。

そんな私でも、変われたのは1つのきっかけでした。対話が下手でも、売れるかどうかではなく、「お客様が勝つかどうかにこだわろう」と当時の上司の言葉を信じることができたからでした。

「売ることは手放しお客さんがどうしたら勝つか?にフォーカスしきってみよう! (どうせ、俺は売れないんだし)」と吹っ切ることがなぜかできたタイミングがあります。

不思議なもので、売ることを手放すと、自然に会話ができるようになり、
課題やお客さんがやるべきことが見えるようになりました。そして、そこで、ボランティアであったとしても、懸命に取り組むとお客さんの懐に入ることができるようになってきました。

そして商品も、可愛がってくれるお客さんに損はさせてはいけないので、
喜んでもらえるものだけ提案しようと考えるようになり、商品の価値はそもそも何か?を改めて考えるようになりました。

売るための商品ではなく、大好きなお客さんに喜んでもらうための商品かどうか?という見方ができるようになり、そこで初めて商品が売れるようになりました。

もともと、馬力はあった方だと思いますので、一度コツがつかめるようになると、人の3倍働くことで売り上げはTOPになることができました。

しかし、自分がとても苦労して売れるようになったことを忘れいざ部下ができると、自信が悩んだプロセスは吹っ飛び、結果だけ求める上司になり、
中々、人はついてこず、部下育成もできず、組織は大きく発展することができませんでした。

今であれば、自信のエゴは少し置いて、部下に成功体験や自信を持たせることにもっと本気になれたと思います。

しかし、当時の自分は、「使えない部下」や、「覚悟の無い中途社員」を採用する会社に問題があると本気で思っており、マネジメントではなく、採用が課題と思っていました。(今考えると最悪な管理者です)

そんな中、数値は常に作り続けていたので、営業マンとしては一定の評価は得つつ、管理者としての評価は上がらず、収入は上がらないという状態が続いていました。

結婚し、子供が生まれて、生活はかつかつに。

妻から、あるとき、「毎月5万円生活費を義母から借りている」「もう義母さんからの借金が100万円近い状態である」と聞き、絶望しました。

会社のことが大好きで恩義も感じていましたが、プレイヤーとして成果をあげても、きっと管理者としての成果があがり、かつ会社が良い状態にならないと給料は上がらないことはわかっていました。

それには、あと2~3年かかる。

そんな中、転職した同期から、M&A事業を立ち上げるから一緒にやらないか?との誘いがありました。

当時、既に法人営業では絶対の自信がついていたので、自分がどこまでできるか知りたい気持ちも強く、転職を考え、同期が所属する会社の幹部と面談をしました。

そこからM&A業界へのチャレンジがスタートするのでした。

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