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20年前に書いた物、記憶の忘却再び

このほとんど誰も読んでいないような弱小noteだけれど、嬉しい事にぽつぽつと「いいね」を頂ける事がある。(ありがとうございます!)
だが先日UPしたこちらの自費出版に関する記事↓だけ、なぜか異様に「いいね」数が多く、現時点で44いいねも頂いている。私が想像してる以上に自費出版系で失敗してしまった方が多いのか、それとも私が加入していた某出版社の某自費出版サークル(一応社名は伏せて書いているが読む人が読めばわかると思う)に加入されていたお仲間さん達が読んでくださってるかは分からないが、少々驚いている。なんにせよ、読んで頂けるのは嬉しい事である。

私が小説的な物を書いていたのは2003〜2006年くらいの間で、自費出版云々にひっかかったのもちょうどこの頃である。それ以降ほとんど小説は書いていないが、文章自体は書くのが好きで、散文的な物や詩、まれに短歌等はノートに書きなぐっていたりしていた。そのうちの一部をデータで残しており、グーグルドライブにデータ移行する為に先日久しぶりに書いたものを見返していたのだが、これまたmixi日記の時と同様に、記憶喪失状態だった。いや、書いていた事は覚えている。なんとなーく、こんなの書いていたな、というのもある。でも中にはマジで、まっっったく覚えていない作品もあり、またもや自分の記憶能力の衰えにビビり散らしてる。

そしてやはり、舞台は海外ばかり。小説というよりも洋画や海外ドラマの脚本的な感じで映像化前提で書いていたのだなあと思う(あ痛たたたた…)。
でもアラフォーになった今、20代前半の自分が書いた物を客観的に読んでみると、良くも悪くも「これ、本当に私が書いたんかな?」と思うような表現が出てきて面白いと感じたり、あまりにも内容を忘れているおかげ?か、意外にも「ぎゃーーーー!!!鳥肌!」的な感じにはならず、ある意味「そういう作品」として冷静に読めている自分がいる。「へえ〜〜、ふーーん、ほーーん、こんな事書いてたんや」って感じで(笑)
ある意味なかなかおもしろい読書体験が出来たので、残しておいてよかったなとは思っている。

ちなみに、その某出版社の某短編賞に応募して、恐らく形だけの「佳作」に選ばれた作品もまだ残っていた。
「朝の女」という何の捻りもない安直なタイトルで、これまた海外ショート・ショート風に小川洋子風味を足したような物だった。一人の少年が毎朝自室の窓から向かいの部屋を覗き見ると、小麦色の肌の黒髪アーモンドアイの女がタバコを吸って大音量で音楽を流している。覗き見る限りの室内は、壁に貝殻が埋め込まれていたり、ポスター等でデコーレションされている。タバコタイムの短い時間だけカーテンを開けているがそれ以外で姿を見る事はできない、しばらく続けているとある日女の様子が急変し泣いてる姿を見る、その後女は朝カーテンを開けなくなり、少年もサッカーやらゲームやらチョコバーやら夏休みやらで忙しく次第に女の存在を忘れゆく。かなり日が経ったある日、久しぶりに朝女の部屋のカーテンが空いており覗き見ると、がらんとした部屋にピンクのスーツケースが一つだけ、その上にブロンドヘア、エメラルドグリーンの眼をした真っ白い肌の別人のような女が座っていた…的なオチだった。(ちなみにこの最後の女の姿は「バッファロー’66」のクリスティーナ・リッチを思いっきりイメージしている)
うーん、自分でもこれ、当時友人の影響等でシュールなアート系の洋画に相当かぶれていてモロに影響受けてるなと思う。(苦笑)
でも日記にしろ小説にしろたまにこうやって自分が書いていたものを振り返るのは面白い。また10年後とかに読んでみたらさらに今とは違う印象を受けるかもしれない。消去せず、自分の歴史として残しておこうと思う。(黒歴史とは言わないでおく)

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