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前回のノートを描いたとき、それはそれは心が荒んでいた。 一、二週間にわたって息苦しさのようなものがあった。 最近じゃほとんどなくなった、「帰宅してから自分の今日の言動を振り返ってクソほど反省し死にたくなる消えたくなるタイム」がじわじわ復活してきたり、 いつもだったら「まあ、自分に変えられないこと手をつけたってしゃーないし」という適度な無関心、自他境界の壁が揺らいでしまったりもしていた。 先日の就寝前なんかは、家のベランダから落ちていく自分のイメージが頭から離れず、「やば
わりと元気になってきた。 人間関係で色々あって、消耗していたこの所。 その件についても書いて昇華した方が……と思いつつ、書き物は義務感のようなものに押されながら生むものではないと思い直し、パソコンを閉じました。 参ってはいたものの、関西に東京に遊びに行ったり、B型事業所の見学体験を済ませて受給者証の申請までいったりと、動けてはいました。ヨシ! 今後とも、 書きたくなったら、ゆるゆると。
すべての家事の中で皿洗いがいっちゃん嫌だ。やりたくない。 皿洗い自体が不得手なわけではない。ちゃんと洗える。 ただ、手が濡れて、食べ物の汚れに触れるという作業がどうにも苦手。 とはいえほぼ毎食自炊をして都度皿を洗っていた時期もあれば、飲食店やカラオケのバイトで洗い物をやっていた間は「何も考えずできる作業」のひとつになって、バイト先の余韻でさっさと洗うこともできた。 でもこの一年、ほんとダメだ。 家にある食器や調理器具の九割がシンクで洗われないまま九龍城になっている。総菜の
カウンセリングに行った。 日記は本当にメンタルヘルスを改善することに役立つのか、あるいは余計なことを思い起こさせて逆効果なのかと訊いた。 自分のことを把握することに役立ちはするけど、サラッとした事実の記述に留めるべきで、あまり心に深く分け入っていくような内容については触れずにカウンセリングで話せばいいのではないかと言われた。 書いたものをSNSやweb上に載せない方がいいと言われたが、私は他人に見せる前提で文章を書かないと何も書けないので困った。 誰も読まない手元に置いておく
てめぇの脳を割りたい。 某文学作品のタイトルをもじって自分の今を表すならそんな感じ。そう思うくらい《てめぇ(自分)》の頭が痛いし、そう思うくらい《てめぇ(お前)》の脳を食って血肉としたい。 今日、図書館で本を借りた。それだけのこと、たかがそんなこと、と思われるかもしれないが私にとっては大きいことだった。 一年前だったか二年前だったか定かではないが、あまりにも家から出れなく、文章も書けなかったとき、書籍化ネットノベルの原作を小説投稿サイトで流し読みするだけでは思考力が鈍っ
(帰省に関する記事はまた後日、と書きましたが、筆が乗って書き上がったので投稿します。) *** 二年ほど前、曾祖父の葬儀の日。伯母と私と妹で、近くのコンビニにおかしを買いに行った。集まった親戚たちへのお茶請けだ。田舎なのと、曾祖父に子どもが多いのもあってサマーウォーズ並みに親戚が多い。当然、買わなければいけないものも多くなる。 結構な量を買ったが誰もエコバッグは持っていなかった。大きいレジ袋を購入した。そのとき、妹がてきぱきと袋を広げ、店員さんがバーコードを読み取った
なんのひねりもなくタイトルのまんま。 スーパーに買い物に行った帰り、家に着く直前でエコバッグに差していたはずの長ネギがないことに気付いた。 よりによって今日は雷がゴロゴロ鳴るような雨天で、自転車を諦め徒歩だった。体感労力は倍。でも、おうどんにネギ入れたいしなあ……せっかく買ったしなあ……と引き返し、スーパーへの道を半分ほど行ったところで無事に拾った。 無事回収できたのと、一応Twitterで「ネギ 落ちてた」でサーチして自分が落としたものは投稿されてなかったのを確認したの
最近、作業所でよく話す人がいきなり来なくなった。なので本当に最近声を出してない。 敵もいないし、仲間もいないみたいな感じで仲良かった人も突然、姿を消してしまいました。冬は本当にやばくて家からでれなかったのですが、なんだろう去年から仲の良かった人はことごとく離れて行って僕の信用?か性格がヤバいのかもしれない。 来るもの拒まず去るもの追わずで結構踏み込んでしまった地雷を踏んでいたのかもしれない。もう会う事は多分ないと思うけどなんかLINEやSNSが怖くなりました。 ブロックされた
金曜日はパートナーと酒とつまみ一人千円までという決まりを作って近所の激安スーパーに行って晩酌の買い物をする。 2人とも酔っ払うのが早くて、ビール1本を半分ずつ飲めば足りるので安上がり。 ご飯作らなくていいのも最高である。 料理が嫌いなわけではないけど、精神疾患もあることだし毎日自炊してたらくたばってしまう。 ところで、私は自分で思ってるより長い文章を書くことに向いてないと気づいた。 短い文を書くだけでかなり時間がかかる。 若い頃にやっていた閉鎖したブログを読んだりすると、体
コツコツコツ。ぱちりぱちり。 開けた掃き出し窓からちいさくちいさく響いてくる音。 庭に置いた皿から小鳥が皮つきの餌をついばみ、せっせとむいて食べているのだ。おそらくスズメだが、そう思って見に行くと全然違う鳥だったりもする。でもこんな時間だし多分スズメ。 皮つきのキビやアワを食べている間、彼らは妙に静かだ。しっかりと、黙々と。カニ食べてるときと一緒だ。手間かかって忙しいから余計なことは言ってられないのだ。 重くなった空とさっきから勢いを増し続けている風。気をつけないと消えて
現代人の例に漏れず、私はYouTubeをよく見る。 好きなYouTuberさんも数多くいる。 その中のあるおひとりには、20歳近く歳の離れた弟さんがいて、弟さんは赤ちゃんのときからちょくちょく動画に登場していた。 お兄さんと弟さんは、当然と言えばそうだけれど面立ちがよく似ている。お兄さんが赤ちゃんのときもこんな感じだったんだろう、と想像に容易いくらい。 弟さんが笑顔でおもちゃを振ったり、手を叩いたり、名前を呼ばれて手を挙げたりする姿に、 お兄さんが、「かわいいねぇ〜」
さて、想像してみてください。ここに泥人形があります。埴輪か、オクサレ様などがイメージに近いでしょうか。 ボロっちくて、ところどころ欠けていて、中は空っぽで、しかもまだ乾いていないところもあってドロドロしてます。汚いです。 この泥人形にメイクをして、かわいい服を着せて 無償の愛を注いで 家族の一員として見返りなく養い、育てるって どう思う? 馬鹿らしいでしょ? そんなことする奴の気が知れない。 こんなのに手間暇かけて、 大事にして、なんになる。 そう思うでしょ。 この
たまに「うわーーーなんかあたま爆発しそう!」というときがある。 5月6日夜、今がその時。 この症状に名前はついているのだろうか? 「なんか…あたま爆発しそうでしんどいです。」 と医師に伝えても 「それはつまりどういう状態ですか?」 と聞き返され、 (だから!あたまが爆発しそうな感じの状態です!) と心の中で叫ぶ。 無理やり言葉を変えるならば、「頭が忙しすぎる」ということも出来る。 ただこれも、「それはつまり…(略)」の問答へと向かってしまう。 今診てもらっている医師は、
この数ヶ月、とても調子がいい。 驚くほどいい。 前もどこかで書いたか言ったが、今までの人生で今がいちばん楽、まである。 でも、ふとしたとき、泥のように動けなくなる自分を思い出す。 「あー、たぶんまたいつか、アレが来るんだろうな」 と、どこかで常に漠然と構えている。ならないようにはしたいが、なるときはなる。仕方ない。 なんなら、去年の今頃は本当に絶不調だった。今まででいちばんの絶不調だった。 YouTubeも見れない。音楽も聞けない。本も読めない。寝るしかなかった。 料理が