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陽の晴れ間、鬱の足音

この数ヶ月、とても調子がいい。
驚くほどいい。
前もどこかで書いたか言ったが、今までの人生で今がいちばん楽、まである。

でも、ふとしたとき、泥のように動けなくなる自分を思い出す。
「あー、たぶんまたいつか、アレが来るんだろうな」
と、どこかで常に漠然と構えている。ならないようにはしたいが、なるときはなる。仕方ない。

なんなら、去年の今頃は本当に絶不調だった。今まででいちばんの絶不調だった。
YouTubeも見れない。音楽も聞けない。本も読めない。寝るしかなかった。
料理ができないから出前とコンビニで食費は月4万いった。そのくせ起きれないから限界までお腹が空いてようやくコンビニに行って、でも胃がごはんを受け付けなくて、コンビニ弁当一個を2日に分けて食べていた。
起きている間は延々と死に方について考えていた。ロープも買った。死なないために寝た。

梅雨時期に2週間ほど実家に帰ることもした。ひとりで家にいたらヤバいと思った。
私の生きづらさや鬱の原因になったのも家族だし、家を出てからもしばらくは空気は良くなかったが、家族みんなが愛していた犬が急逝して、みんなで泣きながら見送ったあたりから、そういうわだかまりがだいぶ薄まった気がする。

私が鬱で勉強できなくなり浪人も許されず入った金のかかる私立の大学を辞め家を出て、勉強しないから金のかかる田舎の私立に進んでいた下の兄弟が就職して余裕ができたからか。父親はお金のことでキレなくなって穏やかになっていたし、母親は長年勤めていた会社で受けていたパワハラにとうとう折れて鬱になり、私の気持ちがわかったと言った。あと、鬱になると元気がなくなり起きられなくなるのは私と同じだったらしく、元気がないので大人しくなった。
兄弟は私を姉と呼ぶこともせず無視するか馬鹿にするかだけだったのが、長い反抗期が終わったのか普通に話してくれるようになっていた。

そんな実家になっていたから、頼れた。
それでもまだ実家で寝ることはできず、実家から少し離れたところにある祖母の家で寝た。
思えば、みんな「いつまで寝てる」のたぐいのことを一言も言わずにいてくれた。「具合が悪いから帰る」と最初に私が言っていたのもあっただろうけれど。だいぶ変わったな。

高校大学の頃は、まだ「まとも」の路線に戻せると躍起になっていたのが、さすがにもう無理だと諦めてくれたのもあるだろうか。とか考える。

話がだいぶずれた。

いや、ほんと、鬱になると泣いてるか無になるか死に方を考えるかしかなく、やり過ごすために寝るしかできなかった。

それがどうだ、去年の10月くらいから徐々に元気になり、今じゃそんなに落ち込まんし、大抵のことは「まあそんなこともあるわな」で済んでる。

東京ビッグサイトにもこの半年で2回行けたし、新幹線の自由席で「ここ空いてますか」って普通に声をかけることができたし、外で犬や赤ちゃんを見たら飼い主さんや親御さんに「可愛いですね〜!」と臆せず言える。
外で恥ずかしいミスしても、「いっけね☆✋😉」くらいでいられる。
我ながら不思議だな〜というくらい、精神が楽。

とはいえ、躁ではないのか? と数日に一度は疑う。そして、題の通り「でもこれはずっとは続かない」と構えてもいる。

晴れ間にここぞと洗濯物を干しているような感覚で、元気でないと動けないとできない好きなこと楽しいこと、せかせかやっている。

今月末か来月あたりからバイトもしたい。お金が欲しい。そんな日記。

ゆる

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