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無駄な忙しさからの脱却 〜弱デジタルデトックスライフ①〜
こんちくわ。
久しぶりに長めの文章を書こうと思って、休みの前日、風呂上がり、髪の毛も乾かしてあとは寝るだけっていう状態で、静かな部屋で、パソコンに向き合ってみる。
文章を書くこと。
それは集中力、安定した心、十分な時間が必要だと個人的には感じる。
集中していなくてもズラズラダラダラと書くことはもちろん出来ないこともないんだけど、結局納得がいかないし、だらだらと独り言のように呟いたことは自分自身の記憶にも残らない。
何か、’’やりたいこと’’に集中できるような、心を整えられるような’’無の時間’’をもっと確保したいはずなのに、日々の中に色んな忙しさを見つけては、それを正当化し省みる事はなく、体は早くに疲れ果て、眠くなり、何も出来ずに今日も眠る、を果てしなく繰り返す。
仕事が忙しいわけでもなく、週休3日制で休みも多いのに、なんだか何もしていない&何も出来ていない日々。
派手な’’成し遂げたい何か’’ がある訳ではなく、そんな自分ののんびりしたマイペースな心持ちが実際に心地いいんだけれど、それにしてもこの今の’’本当の若さ’’が勿体無いな、と思ったりする。
理由と原因は、問うまでもなく、気づこうとするまでもなく、もうすでに知っていて、ただ単にSNSに時間を費やしすぎているだけだ。
SNS自体が悪だってことはない。
なんならSNSの恩恵も沢山受けている。
しかし、インスタとXを合わせて毎日3時間以上もの時間を費やしているのは流石に宜しくないと。日々反省を繰り返す。
実際に社会問題にもなっているスマホ依存症。
確かにSNSを使うことによって繋がり、情報、憧れ、場合によっては承認欲求などの多くの手に入る。
でも、それと同時に何か他に大切なものが、時間をかけながらゆっくり失いつつある感覚も、間違いなく、ある。
人工甘味料まみれのような華やかぶった生活を見せびらかす人間。
構ってほしいのかやけに悲観的でネガティブを撒き散らす人間。
己の顔の広さを必死に周知させようとする薄っぺらそうな人間。
嘘くさい大袈裟な表現で得をしようとする人間。
朝食から夕食まで1日の全てを報告する人間。
良い使い方だけをしようとしても、こんな不純物までもをもれなく吸い込んでは、なんなくスルーすれば良いものの、その時の自分の調子によっては、脅威になり何故か蝕まれる、そんな時がある。
若い時間を、そんな側面もあるSNSにどっぷりたっぷりずっしりと費やしていいものか。
正直、リアルタイムで追いたい情報も、急ぎの用事も、期待していることも、なにもなにも無い。
ただSNSをしている最中はフワフワと気が楽なのは間違いがなく、目に入るからと、息するかのようにページを開く。
そして気づけば過ぎ過ぎている時刻、過ぎてしまった日付。
コツコツと時間を失っていて、日々忙しいと錯覚する。
よく考えれば、あまりにも無駄すぎる忙しさだったんじゃないかと、これまた飽きない反省。
この時間を縮めれば、もっと自由で無な時間を確保できるのもわかっている。
きっと、SNSを見ることよりも幸せを感じられるのも、わかっている。
分かっているなら、実際にやってみたら良いんじゃないだろうか。
それが、なんだかなかなか出来ない。
いいや、でも、割といけるんじゃないか、もう色々と飽きた所だろう。
と言い聞かせ、iPhoneの機能にある、アプリごとの時間制限機能に助けをもらう。
1日にインスタとXを合わせて45分までしか見られない設定にしてみたという、’’弱’’デジタルデトックス。
一気に一切を断ち切るのは、ダイエットと同じで、必ずストレスになる。間違いない。
そういった極端な選択をするのではなく、適度に嗜む程度に、自分の時間とマインドをコントロールする。
そういう一種の練習。
20代の半ばにもなり、なんならあと少しで25歳という20代後半の門をくぐってしまうような、れっきとした大人だ。
それくらいの己のコントロールは必要なのは、間違いない。
間違いない、とさっきからたくさん言っている。
きっと自分の考えをよく理解出来ているから、そう言い切れるのだろう。
3時間以上見ていたのが、45分に留まったのだから、浮いた時間は筋トレや、散歩や、こういった執筆や、読書やら、楽器の練習など、のんびりした1人時間に充ててみて、心の充満感を実際に確かめてみたい。
答えなど、確かめなくとも分かっているのも、間違いない。
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