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WORKING HOLIDAYへ旅立つ君へ(後編)現地で働くという事

前回は人との出会いや、ワーホリに行くにあたって目標を持たないと損するよ。という事を書いた。今日は、現地で働くという事について少し書いてみたいと思う。

ワーホリに行く人はみな既に何らかの仕事経験だったり、バイト経験は持たれていると思う。僕は1年をCanadaで過ごしたけど、1年通じて旅型のワーホリ(対照的なのは滞在型)をしたので、お金がないと働き、お金がある時は働かなかった(つまり、移動中)。それと、英語を学びたいという目的があったから、”日本”が絡むものはできるだけ避ける努力をした。ちなみに、前回も書いたけど、英会話は最初できなかったから、今思うと結構大胆だったなと思う

●ワーホリで働くという事

今も多分変わっていないと思うけど、現地で日本人は結構軽く使われる。日本食のレストラン(ジャパレス)や、日系企業の関連だったり、中国系とかは特にそうだった。職探しは、地元の日系新聞やコミュニティ会報誌とかで探した。今はきっとネットで探せるんだろうと思う。なぜ軽くあしらわれるか?それは、雇う側が、ワーホリ=低賃金でも働くという事を知っていること。特に日本人は自己主張をしない(文句を言わない)こと。日本人が勤勉だという事を知っているからだと思う。僕の周りにもジャパレスで働いたり、カフェで働く女子がいたけど、給与を貰ったら、時間を減らされていたり、時給が信じられないくらい安かったり(当時日本円で¥500ぐらい)した子がいた。もちろんそんなお店ばかりじゃないと思うけど、十分な接客ができないのも事実。それをどうとるかは、一人一人が考えるべきだ。

僕はそういうところで働くことに興味がなかったからレストランで接客はしなかったけど、1年滞在するなかで3つの仕事についた。

●ドライバーズガイド

トロントの夏は短いけど、ナイアガラの滝を訪れる観光客の宿泊都市にもなる。ワーホリを始めて4か月目。ホームステイを終了しシェアハウスですみだしてすぐこの仕事を見つけた。

仕事の内容は簡単で、朝トロント市内でお客さんをピックアップし、市内のランドマークをいくつかまわる(CNタワーとか)、そしてその足でナイアガラまで行き、1日観光に付き合って、夜お客さんをホテルまで送り届けるというもの。日本語を避けるという目的があったものの、僕の会話レベルでは、日本人以外のお客さんを連れて回るのが困難だった(と判断された)こともあり、僕の載せる客は100%、日本から来られた新婚さんだった。オーナー(中国人)から言われたことは、1) ワーキングホリデーだと言ってはいけない(何かきかれたら日系カナダ人だと言え)2) チップを貰ったら全部会社に入れろ 3) オーバータイムは給与が出ないから、自分でコントロールすること。時給は確か$6ぐらいだったと思う。夏場は書き入れ時なので月20日程度働いた記憶がある(2か月間で40日ぐらい)。毎朝9:00にお客さんをホテルに迎えに行き、夕方6:00頃に戻ってきた。

僕が守ったのは、1)のワーホリと言わないことだけだ。それは、そういう事でお客さんを心配させちゃいけないと思ったから。あとの2つはぶっちゃけ守らなかった。喜んでいただけてチップを$100ドルとか別れ際にくれる方もいらしたし、「ありがとうございました」と言ってくれて、夕飯を一緒にとレストランに連れて行ってくれる方もいた。正直言うと、労働環境は劣悪で、よくもめごともあったし、やめていくやつも多かったけど、大体はお金の話しだった。頼る人が少ない異国で、英語もろくにできないワーホリの立場は弱いんだと思い知った。そして、それを知ってて食い物にする人たちがいることも知った。

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●ドライブアウェイ

トロントは冬になると気温がすごく下がる。マイナス20度とか。だから観光客がめっきり減ってしまう事もあって、仕事を探すのが困難だった。そんな話を聞いていた僕は夏にためたお金でヨーロッパをバックパッカーで回り帰ってきてから、西(つまりVANCOUVER)を目指すことを決めた。

飛行機やグレイハウンドで移動することもできたけど、所持金は20万円あるかないかぐらいだったから節約したかったこと、デカいカナダを肌で体験したいと思っていたので、最初はヒッチハイクの旅を考えたけど、本当に予定が立たなくなるので、何かいい方法はないかと探していたら、通っていた学校の先生シルビアから、ドライブアウェイ(Drive Away)という仕事があることを聞いた。

トロントからカルガリーやエドモントン、バンクーバーへ引っ越す人の車をいわゆる運搬(正確には運転してもっていく)する仕事。しかも給与ももらえるという事で飛びついた。でも、現実は甘くなかった。2週間ぐらいかけて動きたかったが、どこの会社も4泊5日で行ってくれと言われた。背に腹変えられない状況だったので迷うことなくHighway1を西へぶっ飛ばした。

バンクバーには日本人が多いから、絶対英語うまくならないと言われていた。実際そうだったけど、到着して仕事がなく、隣のBanffでスキー場の住み込みがあるという話を聞き、Banffまでバスに乗った。結局、1か月たらずBanffでスキー、スノボ関係の仕事をしようとAKIのVANで寝泊まりして粘ったが、見つからず。12月に差し掛かるころ、バンクーバーでルームシェアを始めることになった。滞在予定は後4か月。仕事が見つからなければ1月の家賃は払えないぐらい金欠だった。

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●Grouse Mt.でリフトオペレーターになる

仕事がとにかく欲しかった。英会話は自分がおもっていたよりも上達していた。多国籍チームみたいなところで働きたいという目標はここまでかなえられていなかった。地元新聞で募集があるのをみたので、すぐ電話をいれた。面接があるから来てほしい。そういわれたときはすごく嬉しかった。

面接は30分程度。英語でまともな面接を受けたのは初めてだった。「何がしたい?」「何でもやりたい」。「キッチンの洗い場でも大丈夫か?」「いや、それはちょっと.... 他に何かできることがないか?」「リフトオペレーターどうだ?」「リフトオペレーター?」みたいな会話をした記憶がある。いわゆる、ほうきをもってリフトのお客さん乗り場、もしくは、降り場にたってアシストする人だった。食器あらうよりも、いいと思ったし、寒すぎて後から後悔はしたのだけれど、毎日毎日週5日間。早番か遅番のどちらかで勤務した。「Next Please」「Next Please」この仕事を通して一番使った言葉だ。

Employeeバッジを貰っていたから、いつでも滑れるのもよかった。よく仕事が終わったら、同僚のマイケルかスコットと一緒にスロープを何本も滑り、くたくたになって帰るみたいなことをして過ごした。僕はどちらかというと遅番がすきだった。眼下に見えるDowntownの夜景がすごく綺麗だった

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日本に残してきていた彼女といつかここを滑りたいみたいなことを思っていた。

●結局

僕が今思うのは、ワーホリ中に現地で働くという事は絶対にやったほうがいいと思う。トラブルはないほうがもちろんいいけど、トラブルがあったとしても、冷静に解決する努力が経験になるし、日本でおこらないようなことがきっと起こるので、それをその時真剣に向き合うことがきっと、経験になると思う。解決できずに、もし泣き寝入りみたいになるなら、トラブルを解決できない自分の弱さを認めるしかないと思う。そしてなにより、下手な英語でもいいからしっかり自己主張をすること。言いたいことを一回は言う反論する。これはとても大切だと思う。英語で言えなければ、日本語で言えばいい。

他にもたくさん書きたいことはあるけど、ワーキングホリデーは本当に万能なビザだと思うので、どんどんチャレンジする人が増えてくれたらいいな!と応援しています!


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