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展覧会レビュー:博物館に初もうで(東京国立博物館)

──酎 愛零が展覧会「博物館に初もうで」を鑑賞してレビューする話──

 ごきげんいかがでしょうか、お嬢様修行中のわたくしです。

 今回は、今年初の美術館・博物館となる東京国立博物館におもむき、企画展「博物館に初もうで」を鑑賞してまいりました。

 東博は毎年、新年二日から開館しており、「博物館に初もうで」と題してその年の干支にちなんだミニ企画展を開催しておりますの。基本的にすべて東博所蔵品から選んでいて、フラッシュや撮影ライトなど発光するものを使わなければ、全作品撮影可能となっておりますわ。今年は辰年、どんな作品に出会えるでしょうか。


さっそく行ってみましょう!


東京国立博物館 本館

 企画展はこの本館二階の一室で開催されています。東博は全部観ようと思うと一日ではとても足りないのですけど、一室だけなら安心ですわね(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)


年始のバナー。宮川長春みやがわちょうしゅんの「乗鶴美人図じょうかくびじんず」ですわ。おめでたい図像でしかも書を読む姿というのが、博物館の新年を寿ことほぐにふさわしいですわね~



楷書四字軸かいしょしじじく 龍飛鳳舞りゅうひほうぶ」。康煕こうき帝、清 1686年

 まずは中国は清の時代、名君と称えられる第四代皇帝・康煕帝の手になる書。画像では伝わらないでしょうけども、まずはその大きさに圧倒されます。龍が飛び回り、鳳凰が舞うのは吉祥のきざし。その治世において質素倹約を実行し、飢えたる民を救い、学問を好み教育に熱心だった賢帝が手ずから示した書は堂々たる筆勢。にもかかわらず歴史的な汚点を残してしまったことを考えると、人の心の危うさ、脆さにも思いを馳せざるをえませんわ……



龍虎二大字りゅうこにだいじ」。後陽成ごようぜい天皇、日本 16〜17世紀

 こちらは日本から、安土桃山時代から江戸時代初期を生きた後陽成天皇の書。後陽成天皇は書画をくし、自ら作品を残しておりますの。時代に翻弄された天皇ではありましたけれども、文化史においては計り知れない功績を残したみかどでもあります。金銀泥の下絵の上に書かれた龍虎の二文字は勢いに満ちておりますわ。どうしても虎とは読めませんけども



龍虎図屏風りゅうこずびょうぶ 右隻」曽我そが直庵ちょくあん、日本 17世紀
龍虎図屏風りゅうこずびょうぶ 左隻」曽我そが直庵ちょくあん、日本 17世紀

 一枚に収まらなかったので二枚に分割して撮影しました。右隻の龍が巻き起こす風雨に耐え、竹林の中から前進する虎の図像は大迫力。実際は左から右に鑑賞したのですけど、わたくし自身、あたかも向かい風を受けているような錯覚をおぼえるほどでしたわ。
 作者の曽我直庵は謎の多い絵師で、狩野永徳や長谷川等伯らと並ぶ桃山時代の代表的な画人でありながら資料が少なく、本当に曽我姓を名乗っていたかも定かではないそう。画人でソガといえば曾我蕭白(江戸時代中期)の名がまず真っ先に浮かびますけれども、彼の描く極端にデフォルメを効かせた龍図と見比べてみると、なんとなく通ずるところがあるように思いますわ。



蟠龍鳳凰蒔絵螺鈿印籠ばんりゅうほうおうまきえらでんいんろう根付螺鈿銘ねつけらでんめい杣田造そまだづくり」、日本 19世紀

 この手の作品を鑑賞するのにオペラグラスが必要であることをすっかり失念しておりましたわ。しかたなくスマホカメラのデジタルズームで拡大、明るさ補正。画像が荒いのはご容赦くださいませ。
 杣田そまだ造、杣田細工とは、薄貝螺鈿に研出とぎだし蒔絵や金貝かながい(金属の薄片)を交えた、光彩華やかできらびやかな漆工技法。わたくしの握りこぶしよりも小さな印籠にこれほどの細工を施すとは、圧巻の一言。
 ちなみに蟠龍ばんりゅうとはとぐろを巻いた龍のこと。すなわち天に昇らない龍ということで、転じてこれから上昇する、あるいは終わらない成長のシンボルとなっているのかもしれませんわね。あ、鳳凰は反対側にいるそうですわ。



青花せいか貼花ちょうか龍文りゅうもん燭台しょくだい」ベトナム(黎朝)、1677年

 ベトナムは黎朝れいちょうの後期、17世紀の作。巨大で花器かツボのように見えるこれは、なんと燭台。黎朝は16世紀〜18世紀まで、前期後期合わせて約250年続いたベトナムの王朝であり、かつては明国の支配下に置かれ、独立後もやがて明国への朝貢関係に戻るなど、中国文化の影響を色濃く受けています。爪が四爪なことも、それを表しているのかも。掘り込みが半端ないですし、だいぶ太ましい龍ですわね。



三彩さんさい貼花ちょうか龍耳瓶りゅうじへい」。唐、8世紀

 いわゆる唐三彩ですわね。龍が把手として壺の縁を噛んでいるという、今までに見たことがない意匠ですわ……形的にあまり中国っぽくないのは、西洋のアンフォラ(液体を入れて運搬するための容器。把手のあるものとないものがある)に影響されているからだそう。実用品ではなく副葬品とのこと。



梨地なしじ水龍すいりゅう瑞雲文ずいうんもん蒔絵まきえの宝剣ほうけん」。加納夏雄、日本 1873年

 刀ではなく剣。柄の長さからして片手剣でしょうけども、剣身はかなり長いですわね。西洋で言うロングソードに分類されるでしょうか。片手で振り回すのには力と技量が要りそうですわ!
 装飾は鞘まで含めた全体で水龍が天に昇る様を表しており、一本の剣にこめられた物語を感じさせます。ちなみに梨地とは、生地や金属の表面に細かい凹凸をつけた、梨の実の表面のようにザラっとした質感のこと。刀剣の柄の滑り止めに使われていたのでしょう。



龍涛りゅうとう螺鈿らでん稜花盆りょうかぼん」。元、14世紀

 絢爛豪華という言葉がぴったりな名品。同じ螺鈿でも、鱗には青く発色する貝、ヒレには赤く発色する貝を用いるなど、センスと技工も抜群ですわ。しかも螺鈿なので見る角度によって色が違って見えるという、ぜいたくな仕様ですのね。やはりひときわ目を引くのか、この作品の前で立ち止まる人は多かった印象ですわ。
 稜花とは花の模様のことではなく、花の形になるように切れ込みや細工を施したお盆の形のこと。



青玉せいぎょく如意にょい」。清、18〜19世紀

 龍が刻まれていたり、吉祥如意という文字が刻まれていたりしますけども、何といっても「ひとかたまりの玉石から削り出された」という点が驚かされますわ!大きさも目を見張るもので、成人男性の前腕よりも長いものでございます。個人的には、お家に飾っておきたい作品の筆頭。
 如意とはもともとは背中をかく道具で、かゆい所に手が届く=思い通りになる=意の如し(如意)であり、現在では仏教の権威や威儀を正すために読経や説法の際に用いられるとのこと。



「自在龍置物」。里見重義、日本 20世紀

 自在置物とは、細かなパーツを独立させ、様々なポージングができる作品のことですわ。現代風に言ってみれば「めちゃくちゃすごいアクションフィギュア」ということになりましょうか。この作品では、胴体はもちろん、脚や爪、口も動かすことができますの。
 金型で大量生産できるプラスチックならまだしも、鍛造した銀のパーツでこれをやってしまうところが日本人の変態的器用さ(?)を表していると思いますわ。



龍燈鬼りゅうとうき立像りゅうぞう(模造)」。森川杜園、日本 19世紀

 奈良・興福寺の国宝像の二分の一模刻像。頭で支える灯籠を見上げる鬼の表情と、巻き付く龍の何か言いたげな表情がユーモラスな逸品ですわ。まるでなにか会話をしているよう……



舞楽面ぶがくめん 陵王りょうおう」。日本 13~14世紀

 舞楽「陵王」に用いられるお面。羅陵王らりょうおう蘭陵王らんりょうおうとも呼ばれるこの舞楽は、婦人のような美貌を持つ勇将「羅陵王」こと、高長恭こうちょうきょうが主人公。あまりの美しさに味方の兵士が見とれてしまい士気が下がるので、あえて奇怪な面をつけて指揮を取ったという、現代で言うところの性癖の塊のような人物です。最期はその勇気と武勲を疎んじた時の皇帝により毒殺されたという悲劇なのも、後世の人々の性癖をくすぐったことでしょう。
 まんまるおめめにデカッ鼻、すごい出っ歯に頭の上にはなんだかよくわからない生き物を乗せておりますけど、これが龍だそうです。



北斎漫画ほくさいまんが 二編」。葛飾北斎かつしかほくさい、日本 19世紀

 かの有名な北斎漫画から。龍といってもわたくしたちが一般的に想像する日本昔話のような龍だけではなく、さまざまな種類があることがわかります。翼のある應龍おうりゅう、ほぼ蛇の蛸蛇(蟒蛇うわばみ)も描かれておりますわ。大昔の日本語では末尾に「チ」や「ミ」がつくものは神、それも荒ぶる神性だとしていたそうなので、「オロチ」や「ウワバミ」といった大蛇たちも、そういった超自然の存在にカテゴライズされていたのかもしれませんわね。



十二じゅうに神将しんしょう立像りゅうぞう辰神しんしん)」。京都・浄瑠璃寺伝来、日本 13世紀

 十二神将は、薬師如来に付き従う仏教の守護神。日本では平安時代以降、十二支と結びつけられ、各神将に割り当てられたそうですの。辰を割り当てられている神将は波夷羅はいら大将。ここでは単に辰神という名前ですのね。
 神将はたいてい頭の上にパートナーの動物を乗せていて、本体のいかつい外見とのギャップがかわいいのですけど、これ……
 これ、龍……ですの……?
 さきの北斎漫画にも明らかに鳥とのキメラみたいな龍もいましたし、想像上の生き物のデザインにあれこれ言うのも筋違いだとは思いますけども、これならまだゾウとかバクだと言われたほうが納得できる気が……
 龍とは……




 いかがだったでしょうか!
 十二支の中で唯一実在の生き物ではない、龍。今回、たくさんの龍の姿を見て、お国柄や作者の捉え方、表現の意図などが、想像上の生き物だからこその自由さを持つように感じましたわ。
 他の動物の特徴を寄せ集めた単なるキメラではなく、西洋のドラゴンとも違う、瑞兆にして水の神。その本質はなんなのか、見れば見るほどわからなくなり、これらの作品を残した作者たちと、遠い時を隔てて熱い議論をしている気にすらなります。

 この、時を超えた対話こそが、わたくしなりの作品鑑賞法。康煕帝が、後陽成天皇が、杣田造の工匠たちが、額を突き合わせている所へ入っていく気分……そこへ葛飾北斎がニヤついた顔を上げて、『小娘!お前の意見を聞こうッ!』と水を向けて来るような……

 2024年は、積極的に美術館・博物館へと足を運ぼうと思います。

 ところで、実はわたくしは、「辰」というのはまったく別の未知の生き物で、よくわからないから想像上の生き物である「龍」をそこに当てはめた……かもしれない……と思っておりますの。ほぼ干支でしか見る機会のない「たつ」のひと文字。何かが隠されているとは思いませんこと?




 今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 それでは、ごきげんよう。






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