瓶子岩(へいしいわ)、にしんそば🐟️と綺麗な海🌊 江差町

画像1 今から500年ほど前、ニシンが不漁続きで飢餓に至った時、折居婆(おりいばあさん又は於燐姥おりんばば)が鴎島で白髪の老翁からもらった神水を海に注いだところ、たちまち海にニシンが群来したという。その神水を入れていた瓶子が岩となったのが瓶子岩だという。 その後、折居婆さんは行方知れずとなり、婆さんが信仰していた神様と婆さんを祀り、折居社としました。
画像2 瓶子岩 へいしいわ と読みます。札幌から高速使って車で約4時間🚗 らしいです
画像3 この日 やっと晴れてきたので初めて海のホントの綺麗な色を拝むことができました。
画像4 開陽丸は江戸幕府大老井伊直弼の意思を継いだ老中安藤信正(信睦)によってオランダより導入された江戸幕府の軍艦である。オランダで造艦され、1867年(慶応3年)3月25日に横浜へ入港した。最新鋭の主力艦として外国勢力に対する抑止力となることが期待されたが[6]、徳川軍艦としてわずか1年数ヶ月、1868年(明治元年)11月15日、蝦夷地・江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没した。ウィキペディアより
画像5 今も座礁したままの開陽丸🚢
画像6 影絵(≧▽≦)
画像7 江戸時代より、蝦夷地(現在の北海道)はニシンの漁で繁栄していた。冷凍・冷蔵技術や輸送技術が未発達だった当時、水揚げされたニシンは乾燥品の身欠きニシンに加工されたのち、北前船などの海路で本州に移出されて流通し、長期保存が可能な海産物として重宝されていました。
画像8 にしんはお正月のおせちの定番、数の子の親です。二親(にしん)とも読めることから、多くの子が生まれるようにと「子孫繁栄」を願って食べられてきました。にしんそばは、にしんの甘露煮をかけそばに乗せたものです。にしんそばの発祥の地とされる京都では、年越しそばににしんそばを食べる家庭も多いそうです。

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