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この戦争は、どう始まったか

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ロシアのウクライナ戦争の当事者となった人々のオムニバス
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#ロシア軍

この戦争は、どう始まったか -Index

順番に読み進めてもらえれば、この戦争について十分な理解を得られるように配置しました 戦争が始まったとき、どのような状況になり、どんな理由で、どう行動したのか 何が生死を分けるのか 様々な立場の人たちの、それぞれの背景と行動、そしてその結果を知ることは、いつか戦争の当事者となることがあれば、必ず役に立つと思います 戦争が始まる直前、直後の判断は最も重要です 開戦直後を切り抜けることができれば、貴方と貴方の大事な人たちが無事に生き残る可能性は大幅に高まるでしょう そして、何をしな

この戦争は、どう始まったか -ザルジニー将軍

9月26日 TIME:(9,328 文字) 潮目を変えたウクライナ反撃の内幕ザルジニーの現在の評価 ヴァレリー・ザルジニーは甘く見られやすいかもしれない 軍服を着ていないときは Tシャツと短パンを好み、よく冗談も言う 2021年7月下旬、ウクライナのゼレンスキー大統領の側近から、同国の軍隊の指導者に指名されたことを初めて聞いたとき、彼自身が「どういうことだ」と唖然としたという ロシア軍の侵攻が始まってから初めてとなるインタビューで、自分が最高司令官になるのだと実感したとき

ロシア軍の将軍たち

11月23日 ウクライナプラウダ:(6,716 文字) ハイブリッド戦争からアルマゲドンまでロシア軍のウクライナ侵攻の公の顔は、長い間、プーチンだった 2月24日の前夜、そして「特別軍事作戦」開始後の最初の数日間、クレムリンの宣伝機関が広めていたほとんど全ては、プーチン「総統」の言葉であった まるでプーチン自身が戦争をしているかのように、プーチンだけに「世界の第二軍の勝利」の果実をすべて集めるために しかし、「96時間のキーウ攻略」が失敗し、ロシア軍がドンバスで泥沼に嵌まり

この戦争は、どう始まったか -PMC(1)

(4,614 文字) 露独立系メディア、メデューサ :ワグネルの傭兵が語る、露軍のオンボロぶり 「アプリコット」 「アプリコット」というコールサインの、この傭兵の戦争は1日早い2022年2月23日の夜に始まっていた 12月中旬、「アプリコット」はPMCレダット «Редут»のリクルーターと打ち合わせをするため、あるカフェに来ていた (「レダット «Редут»」のホームページはもう閉鎖されている) http://redut-security.ru/kompleksna

この戦争は、どう始まったか -PMC(2)

(5,486 文字) レダットの管理者たち 現在も、ウクライナに相当数の戦闘員を置いているレダットは、露国防省の完全な管理下にあるとレダットの元指揮官を含む4人の情報筋が言う 同団体の本部は、モスクワ郊外のクビンカという町にあり、第45空挺旅団の基地に隣接する土地にある この基地に勤務していた退役軍人や複数の現役傭兵が語ったところによると、露軍将校が民間軍事会社の経営をしている 特に、ノバヤ・ガゼータ紙によると、元第45連隊副連隊長であるコンスタンチン・ミルザヤンツが

この戦争は、どう始まったか -PMC(3)

(3,574 文字) 「自分で経験してなければ信じなかっただろう」 現在、露軍はワグネル・グループの空挺部隊の兵員を補充し、主な攻撃部隊として使っている 「あれでは、最も激しい前線で前方軍部隊に傭兵部隊を『レンタル』しているようなものだ 『傭兵部隊をよこせ!』 『はい、お待たせしました』とね」と元ワグナーの指揮官が言う その結果、ウクライナに駐留するPMC部隊は多くの死傷者を出している 「最初にマリウポリに派遣された『音楽隊』は何もすることなく、ただ、クソミンチになった

この戦争は、どう始まったか -ヘルソン(1)

11月8日 ウクライナ・プラウダ:(7,175 文字) ブズコビィ・パルクの戦い -隠されたヘルソン占領の歴史3月1日は、へルソンにとって、ロシア軍侵略の最も悲劇的な日だ ロシア軍が都市を包囲し、いくつかの方向からヘルソン市中枢部に侵入し始めた その一つが、ヘルソン国際空港(チョルノバイフ飛行場から)からナフトビキフ通りのルートである この道中、ブズコビィ・パルク《Бузковому парк》(ライラック・パーク)で領土防衛軍の兵士たちが侵略者を出迎えた 注:「ライラッ

この戦争は、どう始まったか -ダニーロ

12月3日  BBC:(5,712 文字) 戦争中、第 14 旅団の副小隊長で 20 歳のダニーロ・メルニクは、2 本の足と左の手のひらを失い、右手の指は 1 本しか残っていません 「しかし、肝心なのは生きているということです」と彼は言います アイコスに巧みに火をつけ、怪我、捕虜、軍の心理学者になる計画についての話をしてくれました ダニーロ・メルニク ダニーロは、ジトームィル州のブルシーロフで生まれです 家族の末っ子で、母親は三人の子供を育てました 学校での最後の数年間

この戦争は、どう始まったか -カチュージャンカ村(1)-13歳の少女ダリヤの物語

(2,213 文字) 6月3日 ウクライナメディア: 2 月末、ロシアの侵略者の部隊が、キーウ近郊のカチュージャンカ村に侵入し、家族が乗ったヒュンダイ・ソナタを銃撃した 13歳のダリヤ(ダーシャ)は、父親と継母と、叔母の家を訪ねた帰り道、カチュージャンカ通りを曲がろうとしたとき、ロシア軍から襲撃された キーウ警察署長アンドリー・ネビトフが YouTubeチャンネルで、少女の悲劇的な話とその恐ろしい事件の現場ビデオを公開した ロシアの人でなしは、あちこちからマシンガンで

この戦争は、どう始まったか -カチュージャンカ村(2)

4月12日 ウクライナメディア:(4,557 文字) 逃げようとした人々は撃たれた:ロシア人は、どのようにしてカチュージャンカ村を恐怖に陥れたかキーウの北47kmに位置するカチュージャンカ村 この地域は本格的な戦争が始まってすぐにロシア軍に占領され、36日間、人々は占領生活を送っていた 「カディロフツィー」はここでビデオを撮影し、「もう一つの戦略的ポイントを占拠するために、ほとんど何も残っていない」と言った このビデオの中には、チェチェン共和国のロスグバルディアの責任者シャ

この戦争は、どう始まったか -マリウポリの生還者たち

4月14日 ベラルーシメディア:(2,286 文字) 「障害を乗り越えました」マリウポリの生き証人は地獄を脱出してきました 爆発から身を隠し、家族や友人が殺され、街が破壊されるのをを目撃しました リュドミラさんは、3月末に、娘たちと一緒にマリウポリからロシアへと連行されました しかし、途中で逃げることに成功し、ミンスクを経由し、ブレストに辿り着きました ベラルーシの国境警備隊と、ポーランドの国境警備隊の検問を通過し、ポーランドに入国できました 現在、彼女はポーランドのロ

この戦争は、どう始まったか -ヴィタリー(1)

6月22日 ハルキウ人権団体:(5,151 文字) 児童心理学者のヴィタリー・ステパネンコは、36 日間の被占領期間中、ボランティアとしてディメリフスカ病院を手伝いました 彼は、切断された手足も死んだ人々も、全て見ました - 私の名前はヴィタリーです 私は 22 歳で、キーウ地方のヴィシュゴロディフカ地区のダイマー村に住んでいます。 児童心理学の仕事をしていて、教育心理学者です 映像制作の仕事もしています ドネツク出身で、2017年、子供の頃に引っ越してきました 当時

この戦争は、どう始まったか -ヴィタリー(2)

6月22日 ハルキウ人権団体:(4,255 文字) 児童心理学者のヴィタリー・ステパネンコは、36 日間の被占領期間中、ボランティアとしてディメリフスカ病院を手伝いました 彼は、切断された手足も死んだ人々も、全て見ました - なぜ病院で手伝おうと思ったのですか? - 私は、じっとしていられない人間です 占領下でも、できる限りすべての場所に行きました 何かをしなければならないと思い、乾燥燃料で戦車を爆破したりもしました そしてオリヤが私に言ったのです 「そうだ、私と一緒に

この戦争は、どう始まったか -オレクサンドル・ブレウス(1)

(4,523 文字) ウクライナでは戦争犯罪の疑いが5万件あると言われている そのうちの一つについて調べました 道端で死んだその男の話を初めて聞いたとき、私はその男の名前を知らなかった その話は、ロシアがウクライナに侵攻開始して数日のうちに行われた、戦争犯罪の可能性のある話の一つに過ぎなかったのだ ロシア兵に殺された被害者であるウクライナ人は、ノヴァ・バサンと呼ばれる地の付近で、爆破された車の側に放置されていたという 最初にこの男の話が目についたのは、違いがあったからだ