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この戦争は、どう始まったか -オレクサンドル・ブレウス(1)

(4,523 文字)
ウクライナでは戦争犯罪の疑いが5万件あると言われている
そのうちの一つについて調べました

道端で死んだその男の話を初めて聞いたとき、私はその男の名前を知らなかった
その話は、ロシアがウクライナに侵攻開始して数日のうちに行われた、戦争犯罪の可能性のある話の一つに過ぎなかったのだ
ロシア兵に殺された被害者であるウクライナ人は、ノヴァ・バサンと呼ばれる地の付近で、爆破された車の側に放置されていたという

最初にこの男の話が目についたのは、違いがあったからだ
彼はフランス外人部隊に所属していたことがあるようだった
それで、そのことが、キーウから北東に50マイル離れた村で死んだこの男について調べる手がかりとなり、もしかしたら結果すらも変えるものになるかもしれない、と思われたのだ

しかし、この事件や他の多くの事件に関して捜査官や人権活動家たちと話す中で、彼らと同じように、ウクライナで5万件とされる戦争犯罪のどれに対しても、正義の実現がどれほど困難なものであるかが分かってきた

この事件を最初に教えてくれたヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員ジョルジ・ゴギアは、多くの犯罪を記録しているため、もうこの事件を調査する時間がないと言う

そして、今年のノーベル平和賞受賞者の一人である市民自由センターの代表者、オレクサンドラ・マトヴィチュクは「戦争犯罪を統計的に考えるようになりました。名前の代わりに、番号を使い始めました」と語る

私は番号ではなく名前に注目し、全ての明らかな犯罪に対し正面から向かい合い、正義の実現が可能かどうかを知りたかった
もし、被害者に何が起きたのか、誰に責任があるのかを知り、殺人事件を一件だけでも解決することができたなら、すべての事件について、どれほどの説明責任を果たせるか明らかになると考えたのです

話を理解するために、再度、ノヴァ・バサンの近くで死んだ男の、ただ一つの物語だけに集中することにした

4月1日、ノヴァ・バサン村

ノヴァ・バサン村とボブロビッチャ村

初めてノヴァ・バサンを訪れたのは、ウクライナ軍がこの村をロシアの支配から解放して、約1カ月後となる5月だった
周囲を農地に囲まれた、人口3,000人足らずの小さな集落だ
戦前は、夏休みにキーウを離れてこの村で過ごす家族もいたという
今、道路には、焼け焦げたロシア軍の戦車が並んでいる

殺害の現場を見つけるのは難しくなかった
村の誰もがその場所を知っていた
壊れた戦車の近くにいた2人の男たちが、高速道路沿いの、まだ車のある場所を指差した

フランス製のシトロエンは陰気な白さで、焼け焦げ、焦げた部品が近くに無造作に転がっている
爆発のためかフロントの大部分が無くなり、錆が出始めていた


2022年12月、道路拡張工事前の現場の画像(グーグルマップ)

そこに、遺体はもうなかった

破壊されたカフェや略奪されたスーパーマーケットの前を通り、村の中心部にある市役所に向かい、地方行政官のミコラ・ディアチェンコに会った
窓ガラスに弾痕が残る事務所で、彼は知っていることを話してくれた

あまり収穫は無かった
ディアチェンコさんによれば、ロシア軍が2月28日に村に入った時、その男は殺されたという
フランスの軍人だったが、戦争が始まる前に契約期間を終えてウクライナに帰ってきたのは確かだという

ディアチェンコさんは、亡くなった男の名前は知らないが、その母親であるオクサナ・ブレウスさんを知っていた
彼女は車で30分ほどのボブロビッチャという村に住んでいた
彼女は、息子のことで話があると言い、私たちを招いてくれた

到着すると、彼女は家に招き入れてくれた
キッチンに入り、彼女の息子の写真が置かれたテーブルで私たちは話をした

彼女の息子の名前は「オレクサンドル」だった
オレクサンドル・ブレウス
彼は戦争が始まった最初の週に28歳で殺された

「息子は妹と婚約者を迎えにキーウに行くところでした
彼らを連れてフランスに行こうとしていました」
彼女は死因の詳細は知らず、知りたくもないという
しかし、SNSで拡散されていた、オレクサンドルが死んだ日に撮られた現場の映像があることを教えてくれた

その映像を見ながら彼女は泣き始めた

映像は、見覚えのある、焼け焦げた車の映像だった
運転席側の後部ドアに大きな穴が開いている
カメラは右へパンし、車のそばの地面に男の死体を映す
男の右腕は頭に巻きついている
処刑されたように見える

「ロシア人が通ったんだ、ちくしょう。可哀そうに。」と、撮影していた男が言った

オクサナさんは取り乱して話を続けることができなくなった
詳しい話はオレクサンドルさんの妹に聞いて欲しいと彼女は言った

私たちを案内するために庭に出たとき、見せたいものがあると言い、彼女は立ち止まった
囲いの中に座っている悲しそうな目をしたジャーマンシェパード、オレクサンドルさんの愛犬クリフォードだ

「とってもハンサムな子でしょ。この子がどんなに寂しがっているかわかる?」

戦争犯罪の捜査

オクサナさんが見せてくれたビデオからは、爆発と加えられた暴力によって、彼が軍事兵器で殺されたことは明らかであるように思えた
私たちが知った他のことからも、オレクサンドル殺害がロシア軍の戦争犯罪であることはほぼ間違いないだろう

ビデオの中では、オレクサンドルは茶色のジャケットという民間人の服装をしている
武装していた証拠はなく、家族も彼は武器を持っていなかったと言う

彼の車は西の方向、キーウに向いていた
それは、破壊されたとき、ロシア軍の進行方向とは反対側を向いていたことを意味している

また、母親や市役所の地方行政官などが言う通りに、オレクサンドルが2月28日に死亡したのであれば、ウクライナ軍による殺害の可能性はほとんどない
ノヴァ・バサンで話してくれた人は全員、侵攻開始時に油断していたウクライナ軍は、オレクサンドルが殺されたとき、ノヴァ・バサンにもその周辺にもいなかったと言っている

戦争犯罪は、多くの国際法や条約によって規定されている
しかし、国内の法律もある
ウクライナの刑法では、戦争犯罪を扱う特定の法律があり、ヴァディム・プリマチョクのような人が捜査することになっている

「殺人、拷問、略奪、民間人の受けた被害も調べています」
と、ウクライナ国家捜査局のプリマチョク氏は言う

プリマチョク氏にオレクサンドルと車のビデオを見てもらった

「私の意見を言わせてもらえば、これは非常に明確な戦争犯罪事件です...
ロシア軍はオレクサンドルが誰であるかを分かったという意味で、発砲しない選択があったはずです
オレクサンドルの周りにいたロシア人達にとって、彼が脅威になることはありませんでした」
とプリマチョク氏は語った

プリマチョクは、オレクサンドル・ブレウス殺害事件の捜査担当ではないという
そこで、オレクサンドルが殺害された州都であるチェルニヒウ市へ向かった
その地方検察庁長官がセルヒイ・ヴァシリナである

ベラルーシとの国境からほど近い場所にいるヴァシリナ検察官を訪ねると、戦時中の捜査官・検察官としての苦労を教えてくれた

捜査官も医療専門家も足りない
そのうえ、捜査官や医療専門家も、戦闘が続いているため、犯罪があったとされる現場に行くことができない
そして、事務所のほとんどの人は、民間人としてキャリアを積んできており、戦争犯罪の調査や訴追の複雑さについて、ほとんど経験がなかったという

そして、膨大な事件数も問題だった
「うちの検察は、1,300の事件に24時間365日費やしているんです」
ヴァシリナ検察官がそう言っていたのは7月時点である

オレクサンドルさんの事件も、その1つである
「もっと情報を得るために最善を尽くしています
もし、新しい情報が手に入ったら連絡します」

オレクサンドル・ブレウスはどんな人だったのか?

オレクサンドルさんの妹、アーニャ・ブレウスさんと初めて会ったのは、キーウのダウンタウンにあるホテルの会議室だった
彼女は、温かい思い出や、やんちゃな兄妹の昔話を熱心に語ってくれた
彼女が家の天井のランプを壊してしまった話などだ
「お母さんに言わないでって頼んだんです
そしたら、兄は『2週間の皿洗いで、お母さんには言わないよ』と言いました
そう、変な話でしょ」
と、アーニャは笑いながら振り返った

オレクサンドル・ブレウスは、ウクライナの激しい愛国者でもあった、という
ロシア語を話すこともできたが、自分の信念を通すため、しばしばロシア語を拒否した

「彼にとっては、私たちをロシアから引き離すことは重要だったのです」
と、親友のサーシャ・フルシュコさんは話す

オレクサンドルは、Chatrouletteで、ロシア人と歴史について討論し、ウクライナ人とロシア人の違いを指摘することもあったという

「いつもウクライナの歴史についてのビデオを見ていました
ロシア人はひどい人たちだといつも言っていました」
とアーニャは振り返る

彼をよく知る人は、オレクサンドルは活動的だったという
趣味は多彩だった
大学ではバスケットボールチームのキャプテンを務め、写真や思い出の写真を撮るのが好きで、自転車に乗り、長い旅もしていた

アマチュアのラッパーとして活動していた時期もある

農学部を卒業したが、将来への明確な展望はなかった
ある友人とは古着屋をやろうという話になり、また別の友人とはバーを開こうという話になり、壮大なアイデアをいろいろと持っていた

2018年、規律と安定した職を求め、フランス外人部隊に入隊した
「彼は自分自身を捜していたのです
何らかの実感を求め、それで、フランス軍に自分自身を見出したのです」
軍隊生活は、オレクサンドルの性にあったようだ
彼はストレスの多い状況でも上手く対処できた

フランス外人部隊の同僚のボリス(まだ外人部隊に在籍しているため、ファーストネームのみ)は、アレクサンドルを冷静沈着だったという
「彼は厳しい状況にも簡単に対応することができました
彼はとても落ち着きがあり、冷静だった」

オレクサンドルは4年間、部隊に所属していた
しかし、ボリスさんによると、オレクサンドルは訓練(オブスタクル・コース)で古傷を悪化させ、事務職をせざるをえなくなったという

最終的に、オレクサンドルはフランスの永住権を得て、2021年末にフランス軍を退役した
ボリスは、オレクサンドルのガールフレンド、ユリア・ポイバさんを紹介してくれた

オレクサンドルとユリアさんは、彼がフランスにいる間も遠距離恋愛をしようとしたが、簡単ではなかった
ウクライナに住むユリアさんは、彼がフランスの永住権を申請したのは、自分のことを真剣に考えていない証拠だと解釈したという
オレクサンドルさんは、ロシアの侵攻が始まる1カ月ほど前に、関係を修復するためにウクライナに戻ることを決意した
二人は和解し、オレクサンドルは友人たちに結婚について真剣に語り始めた

「きっとプロポーズするつもりだったんでしょう」とボリスさんは言う

(つづく)

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