この戦争は、どう始まったか -マリウポリの生還者たち
4月14日 ベラルーシメディア:(2,286 文字)
「障害を乗り越えました」
マリウポリの生き証人は地獄を脱出してきました
爆発から身を隠し、家族や友人が殺され、街が破壊されるのをを目撃しました
リュドミラさんは、3月末に、娘たちと一緒にマリウポリからロシアへと連行されました
しかし、途中で逃げることに成功し、ミンスクを経由し、ブレストに辿り着きました
ベラルーシの国境警備隊と、ポーランドの国境警備隊の検問を通過し、ポーランドに入国できました
現在、彼女はポーランドのロディにいます
2月24日、マリウポリ市外で小さな銃撃戦が始まりました
最初、深刻な事態にはならないだろうと思っていました
いつも、少し撃ち合えば終わるのです
しかし、その後、電気とガスが止まり、暖房と通信も止まりました
誰にも連絡できなくなりました
家族三人で廊下に避難しました
狭い玄関ホールにマットレスを敷いて寝ました
次の日、地下室に移動し、三週間をそこで過ごしました
四つのレンガと、金網、木材でコンロを作り、そこで料理をしました
3月 8日、雪が降りました
水が無かったので、みんなでシャベルを使い、雪を集めました
その時、砲撃を受け、30人の人たちが死にました
子供も、大人も、女性も、男性も死にました
生き残った負傷者たちと一緒に地下室に隠れ、暗闇の中で負傷者の砲撃の破片を取りました
三人の負傷者がいて、全員重症でした
一人は首と腕に三か所も傷がありました
しかし、彼は奇跡的に生きていました
幸運なことに、頸動脈は無傷でした
しかし、麻酔薬が無かったので、そのまま傷口から破片を取り除きました
どのような武器が使われたのかは分かりませんでした
音も聞いていませんでした
砲撃されたとき、偶然、入り口付近で食事の支度をしていたのです
爆発は子供の遊び場で起こりました
赤く光り、破片が飛び散りました
破片はスプーンのような何かで、それがみんなの体に突き刺さっていました
街がこのようになるとは、誰も思っていませんでした
全てが終わって、「もう外に出て、地上の世界に帰ろう」と言えることを期待しながら毎日を過ごしました
私たちは、奇跡が起こることを祈っていました
多くの親戚、親しい友人がまだ残っていたので、亡くなった友人たちのために一緒に祈りました
葬儀をしました
亡くなった人たちをその場で埋めました
絶え間ない砲撃が続き、埋める事さえできない人たちもいました
そんな時は、夜のうちに外に出て、毛布に包んだ死体を道に並べました
そして、娘たちと一緒に脱出することを決意しました
私たちが逃げるとき、周囲の建物は全て焼け落ちていました
全てが真っ黒でした
私は子供と一緒に走りました
いくつもの死体を跨いで走りました
逃げているときは、どこもかしこも、死体ばかりでした
チェチェン人とロシア人がいるところに出くわしてしてしまいました
彼らに撃たれないように、白い布を棒に付けて振りました
それで助かりました
拘束され、占領地に連行されました
家族を探している事を伝え、親戚が見つかるまで、娘をどこにも連れて行かないように頼みました
そして、兄、義理の娘とその子供達が見つかりました
泣いているところに兄が来て、
「泣いている暇はない
落ち着いて
一時間後には出発しないといけない
ガスが撒かれるから、ここにいたら全員死ぬ」
と言いました
他に助かった友人もいましたが、チェチェン人に何かされたようでした
彼の奥さんが「触らないで」と言いながら泣いていました
ドネツク、スタラベホバ、ベジメンノエに行くバスが来ました
ロシアが支配するドネツク共和国へ行くバスに乗りました
寝るときは、アスファルトに段ボールを敷きました
身分証をチェックされ、個人情報を記録されました
まるで犯罪者のように指紋登録され、顔写真を撮られました
解放されて
その後、解放されて、国境に移動したかったのですが、パスポートが無いのが問題でした
たまたまポーランドに向かう女性と出会いました
彼女が何処に行くのか分かりませんでしたが、とにかく、国境まで連れて行ってもらえるようにお願いしました
ロシアの国境警備隊は通してくれませんでした
「奇跡が起こるといいね
ベラルーシの国境をこえるしかない」
そう言われました
リュドミラさんによると、ベラルーシからポーランドに向かい、ポーランドは一家を温かく迎えてくれたという
今、リュドミラさん達は、ワルシャワを経由し、ロティにいます
一週間前、リュドミラさんはマリウポリの大爆発の知らせを聞きました
注:リンク切れ
https://belsat.eu/ru/news/14-04-2022-proshli-cherez-filtratsiyu-istorii-bezhentsev-iz-mariupolya
キリルはマリウポリ出身の20歳
マリウポリではロシア軍の包囲戦で多くの人たちが殺され、今もその被害の全容は謎に包まれたままだ。その街から数週間前に逃れてきたというキリル。細身な体に短く刈った髪、優しい目をしていた。
マリウポリの声(オレナ)
ロシアがウクライナに本格的な侵攻を開始した2月24日、オレナは6歳の娘と夫と共にマリウポリを出て45キロ離れた村に避難しました。絶え間ない砲撃が一週間続いた後、水もガスも電気も通信手段もなくなり、出来るだけ遠くへ逃げるしかなくなりました
マリウポリの声(マーシャ)
あの日々で私の支えは子供たちだけでした。子供たちにこのようなことが二度と起こらないように、将来どう生活をするかを考えていました。2月24日に国を出なかったこと、せめてドニプロ市へ避難しなかったこと、怖がっていたことを後悔していた時もありました。
(終わり)
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