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この戦争は、どう始まったか -ヴィタリー(2)

6月22日 ハルキウ人権団体:(4,255 文字)

児童心理学者のヴィタリー・ステパネンコは、36 日間の被占領期間中、ボランティアとしてディメリフスカ病院を手伝いました
彼は、切断された手足も死んだ人々も、全て見ました

- なぜ病院で手伝おうと思ったのですか?

- 私は、じっとしていられない人間です
占領下でも、できる限りすべての場所に行きました
何かをしなければならないと思い、乾燥燃料で戦車を爆破したりもしました
そしてオリヤが私に言ったのです
「そうだ、私と一緒に(病院に)行くべきよ!このままだと、何にもならない」
それで、私は彼女について行き、そこで看護を手伝いました
死体を運び、手術に立ち会い、縫合を手伝ったりしました
必要なことはすべてやりました
医療従事者が足りなかったのです
「緑の回廊」ができ、設備をここに残したまま、スタッフはそこに行ったので、手が足りませんでした

- 占領者と個人的にコミュニケーションをとる機会はありましたか?

-毎日彼らと会いました
占領軍は病院の近くにチェックポイントを設置していて、私たちは毎日病院に通っていたのです

まず、発電機がそこで機能し、電話を充電できました
56日間電気がありませんでした
最初の数日でほとんどの電気が途絶えました

だから、私たちは毎日オークと話しました
最初の 2 週間は、車の中から話しました
まず、病院はダイマーの中心部から 3 キロ離れた場所ですし、そのうえ、当時はまだ寒かったのですそれで、最初の 2 週間は車でした
まあ... 私たちの車は新しいわけではなく、古く、どこか調子が悪くなっていましたが、それでも運転できました
そして、ある日、ロシア兵たちが私の車に目を付けたのを感じました
それを気付いた私たちは、家に帰ると、庭で車の車輪を外し、バッテリーを引き抜き、始動できないようにプラグを引き抜き、家に置いておくことにしました

翌日、徒歩でチェックポイントに近づくと、「車はどこだ!?」と言われました
「誰のことですか?」
「車!」
「 車のことですか
はい、はい、ええ、車はどこかって?
燃料が無くて、故障もしてるんです」
まあ、ハッタリのヒントになってるんですけどね
実際のところ、ロシア人達は限りなく馬鹿なのです
まず、馬鹿ですし、そのうえ、アル中ばかりなのです
まあ、ありていに言って「馬鹿」なのです

何も気付かれず、そのRPGを持った男は手を振りながら言いました
「おれたちは、お前たちを自立させるために来たんだ」
ああ、そうなのでしょう
この銃を持った男がいるから、私たちは歩くことにしたのです
それで私は言いました
「私たちは自立できていましたよ
キーウにもよく行けたし、年に二、三度、外国へ行くこともできました
それが今では、あなたが私の仕事を奪ったので、キーウに行くことすらできません
お金を稼ぐこともできません
貴方がここにいるから、私はどこにも行けません
貴方がここにいるのは私たちのためじゃなく、ゼレンスキーの(殺害の)ためです」

「待てよ、ゼレンスキーはともかく、今、貴方がここにいて私は身分証を見せて、名前を名のり、身元を確かめられなければここを通ることすらできない
自立できないほうがよかった!
その方が私にとっては完璧だった」

最初の10日間ほどの間、反抗的な態度が抑えられませんでした
彼らは私たちの土地にやってきて、私たちに生き方を教えてやろうというのですから
「全員、ここから出て行け!」とも言ったことがあります
「だって、ここでは誰もお前たちを必要としていない」
「元気なうちに出て行け」と言いました
そんなことを言ったのに、どうして地下室に連れて行かれなかったのか、何故かは分かりません
何もされなかったんです、どうしてだろうと思っています
その時、私は神様を信じ、神様が存在することを信じました
本当に私を守ってくれているのだと

そして、私たちがまだ車を使っているときに「RPGで車を撃つぞ」と何度も脅されていました
なぜなら、ロシア軍の位置をウクライナ軍に合図している人がいるからだ、と
そう、私たちは合図をしていました…そう、それは明らかでした!
ここにいる人たち全員がそうしていたからです
90歳を超える年金生活の私の祖母ですらオーク達をどうやって通報したか話してくれます
孫に電話して、攻撃できるオークの居場所を伝えていたのです

-ロシア人達は「地下室」で何をしていたのでしょうか?

-ここには地下室がたくさんありました
たとえば「ビクノーランド」という工場には地下室があって、そこに捕虜が収容されていました
そこで拷問されたのです
そこではやりたい放題でした

ある男性エンジニア、彼の仕事の正確な呼び方はわかりませんが、ダムの技術者で、これらの機構や閘門などの技術者です
彼は侵攻初期に連れ去られました
毎日、指を一本ずつ折られながら、ダムのポンプの回し方を聞かれたのです
足を撃たれ、膝も撃たれています
つまり、情報を提供させるために、思いっきり拷問されたのです
「ポンプのスイッチを入れるには、どれも、まず電気が無ければならない」
そう、彼は答えたそうです
彼らは「他の方法は?」と言ったそうです
「他に方法は無い。電気が無ければ方法が無い」と彼は言うしかなかった
彼は捕虜として23日間過ごしました
そこには他にも多くの人がいました
28人くらいいたはずです
年齢も性別もバラバラで、おばあさんも女性も...
子どもはいなかったと思うんですが、若い男の子は16歳くらいでした
16歳の男の子が2人いました

ただ、そこでは全員が救出されました
ウクライナの部隊が「ビクノーランド」を攻撃したのは必然でした
そこを弾薬庫にしていたのです
ウクライナ軍の攻撃で、彼らはネズミのように、散り散りになりました
窓から飛び出して逃げました

そして、捕虜の人たちは「ビクノーランド」の警備員に助けられました
警備員がすぐに鍵を壊して、そこにいた人たちを外に出しました
この技師は、病院まで来て、応急処置をしてもらい、赤十字がキーウに送りました
指は全部折れ、足は、片足を撃たれ、膝も撃たれていました

- なぜ、その人々は「地下室」行きになったのでしょう?

-理由は何でもありです
何でも、です
嫌な顔をして何か言えば、彼らは車を止め、通りからやってきて、車に放り込み、地下室に連れて行ってくれるのです

彼らは携帯電話をチェックしていました
私も、何度も携帯電話を調べられました
大体、30分ほどチェックしたのだろう
やり取りした相手の情報や写真をチェックされました
神様のおかげで、すべてクリアできました
とはいえ、理由はありました
このTelegramのチャンネルがあったからです...
...私は軍隊を助けるためにできる限りのことをしていました
位置情報を伝え、装備品を書き、写真を撮ったり
でも全部消してました
それらは本当に危険なことだったからです
もし一枚でも画像を見られていたら、もう生きていなかったかもしれません

彼らは、大抵、人を呼び止めて携帯電話をチェックし、携帯電話の中に何かあれば、たとえ一枚の画像でも....
..ダムの画像一枚で連れていかれた友人もいましたよ
その画像を見られて、地下室へ連れて行かれたそうです
「そこで何をしていたんですか?あなたは誰ですか?」
そして、彼らの何かのデータベースで、身元を調べられたそうです

- 占拠者はあなたの家に来ましたか?

- 母は外に出て、彼らと話しました
彼女は医者であると自己紹介しました
それで「分かった、貴方は医者ですね、貴方のところには行かないよ」と言われました
結局、うちの庭には入ってきませんでした

しかし、彼らは近所の人たちのところには行きました
地下室に入り、クローゼットを全部開けて軍服を探しました
SIMカードも獲られました
彼らは皆の家からSIMカードを奪いました
それで、誰もコミュニケーションをとれなくなります
当時はとにかく誰も連絡がとれませんでした
電話もSNSもできない状態でした

略奪しているのも見ました
店に押し入り、窓ガラスを割って中に入り、すべてを車に放り込んでいました
そして数日後に戻ってきて、その物資を、ロシアの人道的支援として提供したのです

- 今後の予定について教えてください

- クリミア、ドネツク、ルハンスクを奪取し、すべてを生き抜く
クリミアに直行する
まず仕事ありきで、ここがすべてうまくいくように働くこと
ダイマーには、3つの工場がありました
「ビクノーランド」、「ライカ」、ヨーロッパに製品を輸出していた会社です
実質的に全部が一箇所に集まっていて、砲撃された時に弾薬庫も破壊され、当然ながら全部が被害を受けたんです
今、私たちには仕事がありません
現在、1万5千人以上の人が職を失っています
また、私も今は本業に就いていません
職場に砲弾で壊され、設備も全部焼けてしまったんです

- ロシア人に対する考え方は変わりましたか?

-もちろんです!
旗艦「モスクワ」のように燃やしてしまえ!
2014年のときと今を比較すると、当時の私はまだ若く、青く、よく分かっていませんでした
あの頃は、私にはすべてが現実でないように思えたのです
まあ、戦争はたびたび起こっていたんですけれどね
戦争になれば人々が死ぬということを、あの頃は理解していなかったのでしょう

今は、もちろん、戦争が大災害であることを理解しています
100万人の人々が殺されるのです
彼らはレイプをする、それだけでも嫌なことです
皆に対して、とてもつらい気持ちでいっぱいです

そして、インフラが破壊されています
世界的な大災害です
もう、絶望的だと理解できます
とても悲しいことです
ロシア人は皆、有罪なのです
もしロシア人に生まれたのなら、すぐに自殺するでしょう
(注:ロシアでは、動員開始後、戦争参加を拒否して若いアーティスト《Иван Петунин》が本当に自殺している。)

Иван Петунин

このスティグマは、10年や一世代じゃ消えません
今やっていること、そして世界中が支援してくれていることを考えると、ロシア人は確実に数百年は虐げられると思うんです
ナチス・ドイツですらまだ記憶に残っているのです
何年経ってますか?
そして今、同じことがロシア人にも起こっています
さらにもっと悪くなる、きっと、そうなります

(終わり)

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