普通じゃない普通。

習慣というと、ジムであったり、勉強であったり、自分のために努力していることが真っ先に思い付く。

わたしの習慣‥‥
わたしの習慣‥‥
わたしの習慣‥‥

しばらく考えてみたが、やはり思い付いたのは二十年続けているウォーキングであった。
しかし、これでは面白くないと思い、もう少しだけ考えてみると一つだけあった。

あなたの普通はなに?

私が人と付き合う時に常に意識していることだ。
「あなたの普通はなに?」
それを知るために慎重に会話をする。
この習慣が身に付くきっかけとなったのは、ある少女との出会いだった。

彼女と出会ったのはかれこれ十数年前になる。
大学の授業にスペシャルゲストとして来てくれた。


「生まれつき骨が折れやすい病気のため、車イスで生活をしている。」

事前情報はこれだけしか与えられなかった。
ハンデがある方と接するのはその時が初めてだったし、先生が気に入るように道徳的な感想文でも書けばいいんだろう、と思っていた。
はっきり言えば、少し面倒くさかった。
しかし、単位もギリギリだったために欠席するわけにもいかず、渋々参加した。

部屋に入ってきた瞬間、
「初めまして~呼んでくれてありがとう」
と満面の笑みで言う彼女の明るさに驚いた。
車イスに乗ってはいるのだが、「車イスに乗ったハンデがある私」ではなく、「みんなと同年代の私」として登場したのだ。
笑顔がとても可愛い溌剌とした彼女に興味が沸いたのは言うまでもない。

なんでも聞いて!

先生が質問コーナーを始めた。
彼女は「なんでも聞いて!NGはないから!」と言って笑った。

私は悲しいことに空気が読めない。
なんでも聞いて!と言われたらそのままに受け取ってしまう。
しかも、彼女の人柄にとても興味を持っているという状況では普段以上に空気を読むことなど出来なかった。
すぐに聞いたのは

「その車イスで生きづらいと思ったことはないの?何が辛いと思う?」

という、今考えるととても失礼な質問だった。

車イス=生きづらい
車イス=不便
車イス=辛い

彼女の相棒である車イス、そして彼女自身の日常をひどく偏見に満ちた視点で決めつけた発言だった。

すると彼女は

「なんにもないよ笑 私は何かあればすぐ助けて!って言っちゃうし!みんなだって不得意なことはそうするでしょ?」

と笑いながら言った。

その瞬間、頭を殴られたような衝撃を覚えた。

あ、私、今、自分の普通を押し付けてた。

と気がついたのだ。

私は持病もなく、自分の足で歩行が出来る。自分の手でものが取れる。
そんな自分の「普通」を彼女に押し付けていたのだと。

彼女の「普通」は車イスで日常を送ること。

同じ「普通」であっても、私と彼女のそれは全く違うものなのだ。
みんなだってそうでしょ?の問いかけも、確かになぁと納得するしかなかった。
私はひどく不器用なので、細かい作業は人に任せてばかりだ。
ちょっと、このネックレスのチェーン解いてくれる?
なんて日常茶飯事である。

見方を変えれば、器用な人からしたら、私の不器用さはひどく不便で辛いことと思うだろう。

自分の「普通」はみんなの普通ではない。
これほど明確に価値観が変わった、と確信したのは後にも先にもこの時だけであった。

あれ以来、どんなに親しい相手であっても、初対面の相手であっても、会話をする時には絶対に心の中で
「あなたの普通はなに?」
と聞いている。
そして、自分の考える「普通」を基準に発言しないことも肝に銘じている。

世の中は実にたくさんの普通で出来ている。

もっと知りたいし、もっと教えてほしいからあなたの普通はなに?
と問いかける。

それがわたしの習慣。

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