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横田慎太郎さんに学ぶ

皆さんは元プロ野球選手の横田慎太郎さんという方をご存知ですか?

私はプロ野球はほとんど観ないので、残念ながらそれまで存じ上げませんでした。

いつも録画して観ているNHKの『逆転人生』という番組で、この方を紹介する回がありました。

元阪神タイガースに所属していた横田慎太郎さん。

20歳で開幕スタメンをつかむも、なんと脳腫瘍を宣告されます。

医師から『野球を一旦忘れなさい』と言われた時は、死刑宣告を受けたような気持ちになったと話す横田さん。

その時、一番近くで励ましてくれたのが彼の母親。
お母様はどんなお気持ちだったのでしょう…。

7時間の予定だった手術は、なんと18時間に及んだといいます。

手術は成功するも、意識が戻るのに数日かかり、目が見えないという後遺症が残ります。

手術から2ヶ月ほどで、少しずつ視力が回復。

そんな中、球団は契約続行を約束してくれます。

入院してから7ヶ月後、チームに合流。

落ちた体力を取り戻すため、横田さんは必死にリハビリを続けます。

半年後、体は病気前近くの状態に戻るも、目の状態は残念ながら二重に見えるという後遺症が残っていました。

ピッチャーが投げる球を打つ練習は許されませんでした。

誰よりも早くグランドに現れ、自分の出来る練習をひたすら続ける横田さん。

支えてくれる家族やファンのため、もう一度グラウンドでプレーする日を願いながら。

しかし視力は回復せず、3年間試合出場なし。

球団はその年も契約続行を提案してくれましたが、彼はとうとう引退を決意。

つらくて耐えられなかったと…。

横田さんは2019年、プロ6年目24歳にして、現役を引退することになります。

通常一軍で活躍した選手が行う〝引退試合〟を、彼のために球団は決行してくれました。

打席に立つことを禁じられていた横田選手。
9回の守備だけの出場予定でした。

しかし出番が来たのは8回ツーアウト。
1点リードの場面でした。

二軍の平田監督から声がかかります。

4年ぶりの試合。
横田さんは以前のように、全力疾走で外野の守備位置に向かいます。

うわぁ〜っと客席から歓声が上がります。

その試合でも、彼にはボールがほとんど見えてませんでした。

飛んできた初球は、やはりボールが見えず見逃してしまい、そのため守備が遅れます。

しかし。
次の球が飛んできた時、誰かに『前だ!前!』と背中を押された気がしたと。

見事ボールをキャッチし、センターから驚異のノーバウンド送球で走者を刺したのです。

これが「奇跡のバックホーム」と呼ばれるようになった、彼の伝説です。

ここからは『 full-count 』というサイトより知り得た情報です( 2021.12.20 の記事)。

実は後日談があるそうで…。

その後、脊髄に腫瘍が転移していたことが判明したそうです。

2019年限りでユニホームを脱いだ横田さんは、講演活動、YouTube 出演などを通し、自身の貴重な経験を伝える活動に取り組んでいました。

ところが昨年7月頃、左足と左腰に強い痛みを覚え、地元・鹿児島の整形外科で診察を受けます。

しかし、理由は判明せず、9月になって、2017年に脳腫瘍の開頭除去手術を受けた大阪府の病院を受診。

そこで脊髄に腫瘍が転移していたことが分かり、入院となりました。

今回は手術の必要はなかったのですが、その代わり、前回は3週間のインターバルを置きながら5日間連続の抗がん剤投与を3クール行いましたが、今回は5クールに増えました。

副作用で激しいだるさ、吐き気に襲われたのは前回と同じ。
そして再び、頭髪をはじめ体中の毛が抜け落ちたそうです。

今回の入院生活には、新型コロナウイルスの感染拡大という新たな敵も立ちはだかりました。

前回はお母様が病院のそばにアパートを借りて付き添われましたが、今回は今年2月に退院するまで足掛け半年間、病院から一歩も外へ出ないことが看病の条件。
もちろん外部からの見舞いも禁じられました。

さすがの横田さんも、2度目となると心が折れかけていたといいます。

「前回は絶対にグラウンドへ戻るという目標がありましたが、今回は何を目標に乗り切ればいいのか分かりませんでした」

そんな横田さんを支えたのは、今回もお母様。

思わず弱音を吐く横田さんに、

「船に乗った以上、途中では絶対に降りられないよ。最後に港で一緒に降りようよ」

と話されたといいます。

「僕は母の言葉を聞いてから、前を向いて強い気持ちで治療に臨めるようになりました。
自分が病気に打ち勝ち元気になって、自分と同じ病気で苦しんでいる人たちの力になること。
それが新しい目標になりました」

腫瘍の再発は、家族以外には誰にも伝えなかったといいます。

「コロナ禍の最中でもあり、余計な心配をかけたくなかった。病気が治ってから公表しようと決めていました」

退院後も後遺症はあるそうです。

右足の太ももには正座をした後のようなピリピリとした感じがあり、左足は感覚が薄いといいます。

現在は鹿児島県日置市内で1人暮らしをしながら、毎朝40分の散歩などのリハビリに取り組んでおられるそうです。

「歩行中につらくなると、自分の足に『もう少しだけ頑張ってみようか?』などと語り掛け、そうすると、足の方も僕の話を聞いてくれるように痛みが治まったりするのです。
文字通り〝体と相談する〟ことはすごく大事だと感じています」

2019年9月の〝奇跡のバックホーム〟を最後に、子どもの頃から一心不乱に熱中してきた野球からは完全に離れているそうです。

「〝神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない〟という言葉を何度も自分に言い聞かせるようになりました。
これまでたくさんの方々に支えてきてもらったので、次は自分が世のために必死になってやりたいという気持ちが強いです」

『逆転人生』の中で、横田さんはあの〝奇跡のバックホーム〟の瞬間、「誰かに背中を押された感じがした」と話されていました。

それはファンの皆さんの声援や、もしかしたら野球の神様がそこに居たのかも知れません。

でもそれはきっと、奇跡でもなんでもなく、横田さん自身が目の後遺症が残りながらも、諦めず、誰よりもたくさん努力を積み重ねてきた結果なのだと、このストーリーを聞いた誰もが思っていることではないでしょうか。

お母様も素晴らしいですよね。

「船に乗った以上、途中では絶対に降りられない。最後に港で一緒に降りようよ」

もし私だったら…。
そんな強い言葉を息子にかけられていたかわかりません。

母親の愛ですね。

『一緒に』というところに意味があったと感じます。

横田さんはどれだけこの言葉に助けられたのでしょう。

そしてこの横田慎太郎さんのストーリーを知ったたくさんの人達が、彼にまた助けられるのです。

もちろん、私もそのひとり。

〝神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない〟

その言葉が刺さります。

私の中の小さな〝逆転人生〟。

大きくなくて良いんです。

これまで頑張ってきて良かった。

そう思えることが私の中の小さな〝逆転人生〟。

その積み重ねが、大きな幸せに繋がっていくと信じています。

小さな幸せを感じながら、今日もぼちぼち生きていきます♪




最後までお読みいただき有難うございました♪

ではまた。        Tomoka (❛ ∇ ❛✿)


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