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魔女の学校

館のオーナーNaokoです。

「風の時代のリテラシー講座」をやろうと思う、という記事を書いたのがだいたい1年前。

1年経っても、結局、体系立てて実施するところまでは至っていないのだけれど、館が大事にしていることや、世界観のようなものは少しずつ、noteやラジオ、最近はclubhouseなどで話してきているつもり。

この間「スピリチュアルマウンティングには気をつけろ!」という記事を書いたけれど、スピリチュアルなことに興味なさそうな人も含め、いろんな知り合いやお客さまから「なんだかモヤモヤ感じてたことはこれだったんだ!スッキリ!」というような共感のメッセージを個別にいただいたりしました。

なんと表現していいのかわからないし、誰に相談していいのかもわからない。考えていくうちに、そもそも誰かに相談するほどのことか?みたいになって、そのうち忘れてるけど、ふとしたときにまたモヤモヤが復活してきて、自信がもてなくなったり…。

こういう時代だからこそ多いのかもしれないなー。

ほかにも、風の時代になってしばらく経ち、トレンドワード的な大騒ぎは落ち着いた頃かなと思うと、ふと我に返って冷静になってみたときに「結局自分は…!?」という感覚になっている人も多いのではないかという気がする。

だからやっぱり、「風の時代のリテラシー講座」は必要なんだ!と改めて思って、ここしばらくそれについて伊吹の母といろいろ相談している。

ちなみに母と話すときには便宜上(いやもしかしたら意味的にも合ってるのかもしれないけれど)、この講座のことを「魔女の学校」と呼んでいる。

きっとその講座では、星読みのこと、ハーブや植物のこと、栄養のこと、化学や科学のこと、セルフコンパッションのこと、潜在意識や過去生のこと、パーソナルスタイリング(ファッション)のこと、アモーレのこと、グラウンディングや浄化、日々のリチュアルのことなど広く扱うことになるんじゃないかな。

だけど、そういう一つひとつの講座の詳細よりも、この講座ではどういう人に受けてほしいのかとか、受けた結果どうなってほしいのかということの方が大事だ。

「あなたってこんな人です」が星読みでわかったとして、そこで終わりにしてほしくない。

星で示されているミッションはあるにせよ、それはそれとして自分としては一体、どういう生き方、在り方を望んでいるのか、そのために一体何をしていくのか、どういう一歩を踏み出すのか。

一歩踏み出すということに関しても、決してノリでやるようなことではなくて、本質的な自分らしさとはなにかを知るためにまず向き合い、これまでの経験や実際の感覚を生かして、自分という人間を生ききるための積み重ねの一歩としてどう踏み出すのか。

そういうことを自分自身で考えることができるのが大事だと思っていて。
そして自分の足で踏み出し、歩んでいけるように。
そのために使えるかもしれない知識や知恵、ツールなんかが提供できるといいな…と。

まだまだ考えてる途中だけど、ここしばらく私に降ってきているインスピレーションや、母が考えていることとのシンクロ、日々観察してることから感じていることなど総合して考えると、少なくともゴールの一つとして「植物的な人を増やす」というのがあるような気がしている。

「植物的」というと、美しくしなやか、など女性的で美容面に関わることで使われることが多いけれど、私が考える植物的とは、

・自律的に考えられる
・知性を発揮して本質的な問題解決ができる
・ヒエラルキー型ではなく分散型
・過酷な環境でもたくましく生き抜き、そのことが周囲にいる人にとっての安らぎや勇気になる
・循環型(自分だけが犠牲になることもないし、搾取だけすることもない。協力関係)
・目に見えないことも感知し適応する
・宇宙と人間をつなぐもの(宇宙エネルギーを人間が使える形に変換する=宇宙の叡智、知恵を他者にも役立つ形に変える)
・メタ認知的なプランニングができる
・愛がある

ようなことを言う。

そして、講座を展開していくにあたってのコンセプトというか軸のようなものとしてこんなことも考えている。

軸というのは選定基準とか伝えるときの視点というか、講座を受けてくれる人にこういう感覚をもってもらえるといいな、という感じかな。

これもまだ粗いけれど、今なんとなく思っているのは

・Inspirational:インスピレーションをもらう、自分の存在が他者に対してもインスピレーションを与えるものになる、直観。
・Self-Sustainability(援助を必要としない、自立) / Self-Sufficiency(自律、自給自足):枯れることのない自ら湧き出すことのできるエネルギー
・Eclectic:いいとこどり、全ての世界、文化、時代(空間、情報、時間)へのリスペクトに基づいた知恵の活用(特定のものに偏りすぎない)
・Perspective / Perspectivism:全体感をもって見れること、また自分と他者では見え方や世界が違うのだという考え方に立脚
・Fractal:図形の部分と全体が自己相似であること。モノの見方の応用力。かつPowers of Tenの世界観

こんな感じ。

明日になったらここに書いてあることについて考え直して「違うな…」と思ったり、はたまたちょっと別なことを思いついたりして、ここに挙げたことからさらに増えたりしてるかもしれないけれど、今のエネルギーを載せておきたいので、記事にしてみました。

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