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競争意識より共生意識


鬼ごっこできないわたし

先日小中学生と鬼ごっこをした。

鬼ごっこなんて、何十年ぶりだっただろう?

つい競争意識丸出しで
「わたし、中学高校、陸上部で100メートル13秒で走っていたから!」などと発言したのが不味かった。

わたしが鬼になった。

追いかけても捕まらない。

(ちなみに、わたしは5本指靴下に雪駄を履いていた。スニーカーと比べたら運動パフォーマンスは格段に落ちる)

追いかけても追いかけても、スルッとすり抜けていく感じ。

たまには捕まえられるけど、また他の子が救済するもんだから(そういうルールらしい)、一人二人捕まえても、また振り出しに戻る。

子供たちに翻弄されまくりだった。

走って、走って。

心臓がバクバクいう。

とうとう、呼吸困難となり、ギブアップ。

「え〜、もうやらないの?もっと遊ぼうよ!」

誘われても無理!

しっかり断り、戦線離脱した。

愉しく跳ねる

一方、わたしは跳ねるのが好きだ。

別にスキップするとか、縄跳びが好きな訳ではない。

青森ねぶた祭りの跳人をご存知だろうか?

花笠を被って、笛太鼓に合わせて、跳ねる。

わたしはねぶた祭りに参加するのではなく、
青森県出身のアーチスト、「AOMORI KENJIN」さんのライブで跳ねているのだ。

手描きの案内板(秋田鹿角でのAOMORIKENJINライブ)

跳人衣装はこんな感じ。

隣は夫かっちゃん

この衣装で音楽に合わせて跳ねる。

具体的には、片足を二回ずつ腿上げする感じ。

ラッセラー、ラッセラー、という掛け声と共に跳ねる。跳ねる。

足を蹴り上げながらのスキップなので、筋肉がびっくりするほど。

でも、大好きな音楽で跳ねる。

汗水垂らして跳ねる。

鬼ごっこでは悔しくなるけど、跳人はただ、愉しくなるだけ。


わたしは競争したくない

鬼ごっこは競争だ。

逃げるほうと追いかける方。

どちらも恐怖心がある。

捕まりたくない恐怖心。

いつまでも捕まえられない恐怖心。

逃げるほうは優越感もある。

ほら、捕まえられないだろう?という優越感。

そういうこと、全部込み込みで、全てが嫌だ。

優劣があり、恐怖から逃れられない。

そんなことは遊びでもしたくない。

そういう思いがあるせいか、力が出なかった。

恐怖をベースにしたものは金輪際、御免だ。

競争意識より共生意識


ずっと競争させられてきた。
でも、もう止めようよ。

個々それぞれ違いがあるし、それが個性。

魅力も違う。

得意なことも違う。

だから、一つの基準をベースにした競争なんてやめようよ。

本当はしたくないから、みんな力出ないんだよ。

それより、違いを認めて、愉しいことをやっていこうよ。

AOMORIKENJINライブで、わたしは跳ねてるけど、演者さん達も居るし、座って聴いている人も居る。

主催者だって存在するし、会場の音響、照明のスタッフさんも居る。

それぞれ違う役割があって、それぞれ愉しむ。

それなら、力が発揮できるんだ。

みんな愉しいことをしているだけだから。

それが共に生きる。

共生意識じゃないのかな?

今までの古い価値観を脱ぎ捨てて、それぞれ愉しいことやろうよ。

我慢や苦痛が当たり前だった時代は終わるから。

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