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子供のためのオルセー美術館(62)スーラ・サーカス②/額縁も青の点々で 色の秘密

スーラのいたサーカスのおはなし②


あそこのなにいているんでしょう。

ああ、サーカスのしろうま

スーラは、しろうまを、しろあお点々てんてんきました。
しろはお日様ひさまひかりいろ

まぶしくひかるしろうまは、あかいサクのまあるい舞台ぶたいをぐるぐるはしります。

オレンジのライトがつきました!
あか黄色きいろ洋服ようふくのおきゃくさんはみんなドキドキ、真剣しんけんです。
あのたちはなんてってるのかな。


あっ!
黄色きいろのピエロが、ジャンプ!
きゃくさんは大喜おおよろこびです。

ピエロの宙返ちゅうがえりで、おきゃくさんもぱぁっとライトをあびてオレンジいろになりました。


あっちでは、あかのぼうしにあかくちのピエロがおおきなこえでさけんで、

黄色きいろのカーテンがさあっといたら、
わあっなかから……

なにが出てきたと思う?!    

おしまい


このは、ちいさくてこまかいてんてんが、いっぱい!
あか黄色きいろあお、3しょく使つかっていてあります。

それから、たくさんてくるせん
うえかっていくせんは、なんだかたのしくてワクワクしてえます。

原色図 musée d’orsay  expo.Van Gogh2023

スーラは、人間にんげんには、いろせんがどのようにえるのかを、たくさんのほんんで研究けんきゅうしました。

ひとは、反対はんたいいろあかみどりあおとオレンジ、黄色きいろむらさきちかくにくと、ますますはっきりあかるくえるんだって。 
そういえばゴッホもそうやっていていました。

そして最後さいごに、スーラは、のまわりの額縁がくぶちいろまで自分じぶんきました。
あお点々てんてんの上に、

みどり点々てんてん

むらさき点々てんてんも。
てんてんてんてん。

こんな額縁がくぶち、おしゃれじゃない?!


ジョルジュ・スーラ
サーカス 1891  未完
Georges Seurat
Le Cirque 1890-1891 

この絵の中でスーラは、線と色の心理的効果に関するシャルル・アンリの理論や、シュヴルールとルッドが定式化した光学的混色の法則を解釈し描いた。
この絵が1891年のサロン・デ・ザン・アンデパンダンに出品されたとき、ある批評家は次のように指摘した。「Le cirqueのすべては、陽気な感覚を出すために、色調、色相、線を似たもの使うことによる調和、相反するものの調和で組み合わされている:線の優位性、連続する色調のコントラスト、その全体の色調や陰影が、対立するフレームによって強調された、強調して描かれたオレンジ色...」
スタンドと観客の空間は、曲線、様式化されたリズミカルな渦巻き、ダイナミックな緊張感、不均衡ささえ感じさせる。
色彩も正確な規則に従っている。原色の全ての色が合わさった純粋な光の色、白がキャンバスを支配している。
パレットは次に、赤、黄、青の3つの基本色を組み合わせ、線のリズムに呼応するように、小さく几帳面なストロークで変化を与える。
最後にスーラは、キャンバスに直接描かれた暗い青の縁取りと、作品と一体化した同じ色調の青で描かれた平らな額縁で、絵を分離した。
画家はサロンが開かれた数日後にジフテリアで亡くなったが、スーラはこの絵で芸術的創造と科学的分析の共生を模索し、19世紀の大きな関心事のひとつとなった。

musée d’orsay 

端正な性格を思わせるスーラのパレット

Palette de Georges Seurat  musée d’orsay 

お読みいただきありがとうございました。
一年前に取り上げた小さいお子様向け記事を、少し詳しく記載しました。
研究熱心なスーラが額の表現にまでこだわる画像をご覧ください。
未完のままサロンアンデパンダン展に出したこの作品を最後に、不運にも数日後にジフテリアで亡くなります。スーラは画業7年という短い生涯でしたが、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホとともにポスト印象派の4大画家のひとりとされました。
今年は印象派150周年記念展が各地で催されていますが、1886年に開催された第8回最後の印象派展にスーラも『Un dimanche après-midi à l'Île de la Grande Jatte』を出展しました。ところが、モネ、シスレー、カイユボットはスーラと並ぶ展示を拒否しました。この展覧会に印象派以外の画家たち(スーラ、シニャック、そしてオディロン・ルドン)が参加したことは、印象派展の終焉を意味したのです。

いつも子供に人気のスーラ、サーカス

シュヴルールのクロマティック・サークル
当初国営タペストリー製造再建のために開発

ドラクロワ、印象派、ポスト印象派も感銘を受けた化学者シュヴルール
対照色、補色、隣接色に関するゲーテの考察を、より科学的に定式化したのは、フランスの化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールでした。
また、マーガリン酸を発見。マーガリンと名付けたのもシュヴルールでした。

著書『色彩の同時対比の法則とその応用』(1839年〔邦訳『シュヴルール色彩の調和と配色のすべて』〕)で詳しく説明されているが、ここでシュヴルールは任意の色の強さが隣接する色からどのように影響を受けるかを体系的に分析している。
可視スペクトルのなかのすべての色を色相環にまとめた彼は、補色(色相環上の正反対に位置する色)同士を並べたときに、視覚的なコントラストがより強い配色になることを示したのである。シュヴルールのこの著作は、19世紀を通じて最も広く読まれ、芸術面にも影響力の大きい色彩マニュアルとなった。
ロマン派の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワは、シュヴルールの研究に非常に感銘を受けたという。「泥でヴィーナスの顔を描いてもいい。その周囲を私の好きなように塗らせてくれるなら」と言った。
のちの印象派の画家たちは、絵具を混ぜることなく、純粋な色の筆触をカンヴァス上に並べて置けば、見る者の目のなかで光学的な混色が行なわれ、それによって光と色彩をより鮮やかに表せることに気がついた。
シュヴルールの色彩効果のひとつである混色していない色の点々を密集させて置くという考え方は、新印象派のジョルジュ・スーラやポール・シニャックの点描法に影響を与えた。20世紀初頭のパリで活躍したオルフィスムの画家たち、とりわけロベール・ドローネー、ソニア・ドローネー、フランティシェク・クプカらが採用した抽象的な色彩も、この化学者の画期的な研究をルーツとしている。

wikipedia 


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