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子供のためのオルセー美術館(61)シスレー・道を描く、たぐいまれな眼/最後まで印象派だった唯一の画家

ぶれない! 


みちき いえき そらく。
シスレーは風景ふうけいつづけました。
シスレーがくのは風景画ふうけいがだけ。ほかのきません。
モネとはもうむかしからの仲良なかよしだけど、もの正確せいかくかたちをきちんとくシスレーは、モネとは全然違ぜんぜんちがう描き方なのです。


さあ、ものしずかなシスレーの世界せかいをちょっとにいきましょう。

ここはちいさなむらおかうえ

小道こみち両側りょうがわには、果物くだものれる果樹園かじゅえん野菜やさいはたけがあってみどりがいっぱいです。

みちく。

がんじょうそうなすりも、みちにそってながくのびて
ずうっとこうまで道がつづいているみたいにえます。

いえく。

シスレーは建物たてものつくりを正確せいかくにどっしりときました。
屋根やねうえのかわらはオレンジにピンクもじって、きっとお日様ひさまたってひかっているんでしょう。

まどとつながっている階段かいだんは、

ぼうぼうとはえているくさかってまっすぐにのびています。
いえみちとがつながる線、なんかがしゅっといいかんじに見えない?

あ、あそこ。
おんなひとが小さな子のをつないでいるのがえますか?
もうすぐみちがっちゃう。

シスレーは、すっすっと数回描すうかいかいただけの素早すばやふでひとを描きました。

そして、屋根やね煙突えんとつがいくつかならぶと、

とおくのそらもりかわが、そのさきずっとつづいているのがえるような、
そんなかんじがしてきました。



かえみちも手をつないで 


Alfred Sisley
Louveciennes. Sentier de la Mi-côte dit aussi Hauteurs de Marly
Vers 1873
アルフレッド・シスレー
ルーヴェシアンヌ マルリーの高台の小径 1873

風景画を本能的に愛していたシスレーは、1860年代から1870年代にかけて印象派の誕生に貢献した。1874年には、ベルト・モリゾ、ドガ、モネ、ピサロらとともに印象派の最初の展覧会に参加している。
シスレーは言う。「すべてのものは、豊かで肥沃な大気の中で呼吸し、花を咲かせ、光を分配し、バランスをとり調和を確立する」
コローの詩情とモネの「眼差し」の中間に位置し、古典とリアリズムの伝統の交わりにいた繊細な色調で描かれた彼の絵は、自然界のいきいきとした魅力と喜びを発している。ルーヴシエンヌ、マルリー=ル=ロワ、セーヴルの風景、モレ=シュル=ロワンとその周辺の愛すべき個性的な小さな町、シスレーはパリにはない田舎の特別な面をキャンバスに描くことができた。画家が使用した色彩は、水色、緑、灰色を基調としている。
道や川の流れは、シスレーが好んだモチーフで生涯無限に繰り返された。空もまた、シスレーの作品に欠かせない要素で、同じように空間の真実にこだわって扱われた。

musée d’orsay et wikipédia 

Environs de Louveciennes, 1876
Cologne, musée Wallraf Richartz & fondation Corboud 蔵
ルーヴェシアンヌ周辺 1876

お読みいただきありがとうございました。
シスレーはこのような静謐な印象の風景画を生涯描き続け、風景画家として社会生活とはかけ離れた孤独な人生を送りました。
しかしピサロが、マティスに印象派の唯一の画家は誰?と問われて、シスレーただひとりの名を挙げたという事実が示すように、画家仲間からも認められた存在でした。
“ぶれない” シスレーの絵は、もっと世間で評価されるべきかとも思います。ここで興味を持ってご覧いただいた希少な皆様、シスレーも(私も)喜びます!また改めて、地味な絵の隠れた宝石💎シスレーをご紹介します。
ありがとうございました。

オルセー美術館企画展印象派150周年 デモ50秒


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