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子供のためのオルセー美術館(95)この土の色はどんな色?/ピサロ・見えたものだけを描く

あたらしいまちになっても


ルーベシエンヌにひろがる野原のはら、ここはまだみちもできていないけれど、茶色ちゃいろつちすじこうのほうまでつづいています。
あそこのいえったばかり、きっと暖炉だんろがあります。屋根やねにはあたらしく煙突えんとつがいくつもできているから。


このまちでも工事こうじはじまったのです。
野原のはらには木材もくざいがいっぱい。

パリからすぐのルーベシエンヌにんでいるピサロは、まち開発かいはつすすむ中、まだむかし姿すがたのこっている田舎いなかきました。

昨日きのうあめ地面じめんはちょっとしめっていたけれど、今日きょうはお日様ひさまでふかふか、つちはすっかりあたたまってかわはじめました。なんかなつかかしい、いいにおいがします。


あそこにすわっている女の子は、ヤギにえさをやっています。
こうでは、マダムがくさむらになにか見つけて手をばしました。おはな?それともポトフのハーブ?


青空あおぞらに白いくも、やわらかな日差ひざしでらされたいろんないろつちみどり
ピサロは、フランスの田舎いなか素朴そぼくうつくしさを、ゆるやかなふでいていったのです。

Camille Pissarro
Allée de la Tour-du-Jongleur et maison de M. Musy, Louveciennes  Vers 1869
カミーユ・ピサロ
トゥール・ドゥ・ジョングルール通りとミュジーの家、ルーベシエンヌ 1869

ピサロは後に、屋外での絵画の技法を生徒にこう説明した。「空、水、木々の枝、地面を同時に描き、すべてを平等に扱い、納得のいくまで絶え間なく修正する。最初の印象を失わないように、惜しみなくためらいなく描くのが一番だ」
ピサロの敬愛する師コローはアトリエに戻ってから絵画を完成させることが多くしばしば先入観に基づいて修正を加えた。一方、ピサロは屋外で絵画を完成させることを好み多くの場合一気に仕上げた。彼の作品にはより現実的な感覚が感じられた。
その結果、ピサロの芸術は時に「下品」であると批判された。なぜなら彼は「溝や縁取りのある雑多な茂み、土の山、さまざまな成長段階にある木々」など、目にしたものをそのまま描いたからである。このような描写は現代で言えば、道路脇のごみ箱やビール瓶を描いたアートに相当すると言う。このスタイルの違いが、ピサロとコローの間にあった。

Wikipedia

お読みいただきありがとうございました。
フランスの工業化と都市化の結果、地方都市も大きな変化があった時代、ピサロはまだ残っている田舎の生活の穏やかで平和な様子を描きました。
賢明な長老で父親のような存在とみなされていた白く長い髭を持つピサロは、誰からも頼られる穏やかな性格。印象派のなかでのいざこざを何度も仲介し、新しい時代の技法にも次々と理解を示しました。セザンヌは自ら「ピサロの弟子」と自身の展覧会カタログに書くほどでした。
ピサロの絵は印象派展で「泥だらけで汚く、手入れされていない景色」と酷評されましたが、さてどうでしょう。
多くのピサロの作品に登場するこの土の色、茶色、ですがこれだけであたたかい気持ちになりませんか?

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