見出し画像

【パロディ】韓非子『説難篇』より

昔々、イタリアはエミリア・ロマーニャ州のある国に、小野小町も嫉妬する、黒髪の超絶美少年が住んでいました。
彼はこの国の君主(赤毛)に寵愛され、毎日楽しく暮らしています。

ある日のこと。赤毛君主がリビングのソファで居眠りをしていました。
超絶美少年は彼のデニムのパンツのポケットからこっそり車の鍵を抜き取り、物音を立てずにを出て、
「一度運転してみたかったんだよね!」と、ワクワクしながら階段を降り、駐車場へ向かいます。
そして、赤毛君主のフィアットを見つけると鍵を開け、いつもとは反対側、つまり左側のフロントドアを開き、運転席に乗り込みました。

シートを思い切り前方へ動かし、背もたれを立て、シートベルトを締めずにエンジンをかけると少し緊張してきましたが、
「この前あいつの膝の上で、どうやって運転するのか教えてもらいながら実際に触ったんだから大丈夫!」と自分に言い聞かせ、ゆっくりと、注意深く車を動かし始めます。すると、今まで暴走しかしたことのなかったフィアットは、少しずつ速度を上げ、自転車並みのスピードで前へ進みだしました。
しかし、慣れない速さが災いしたのでしょう。右へ曲がろうとした、そのとき。近くに生えていた木にぶつかってしまったのです。

「思ったより難しい...」
そう思った超絶美少年は、その場で車を乗り捨て、へ戻ります。そして、バカみてぇな顔でまだ眠っている赤毛君主の体を揺すりながら言いました。
「そろそろ起きないと仕事に遅れちゃうよ。僕、お前がすぐに出発できるように車を道路に出しておいてあげようと思ったんだけど、ちょっと失敗して... 木にぶつけちゃったんだ」

赤毛君主はそれを聞いた瞬間、
「なんだって?!」と飛び起きました。
まずは超絶美少年に怪我がないか入念に調べ、そのあと二人で一緒に下へ降り、車の状況を確かめます。特に問題がないとわかると、赤毛君主は胸を撫でおろし、にっこりと笑って言いました。
「ちょっと教えただけなのに一人で動かせるなんてすごいな! きっと君は将来いいドライバーになる。でも、これからは一人で運転したらダメだよ。いいね?」

こうして、赤毛君主はちょっとだけ傷ついたフィアットで仕事に出かけていきました。
一方、で留守番をすることになった超絶美少年はキッチンへ行き、椅子の上に乗って一番高い所にある戸棚を開けます。すると、いつも彼が寝たあとに、赤毛君主が一人でこっそりポートワインを飲みながら食っている高級チョコレートを見つけました。

超絶美少年は、
「一度食べてみたかったんだよね!」と、未開封のチョコレートを外箱から出し、包み紙を雑に破ります。そして、半分食べたところで、
「...なんか微妙。Kinderキンデルの方が全然美味いじゃん」と思いました。しかし、どの戸棚を探しても、残念なことにKinderチョコレートは見つかりません。
そこで、彼は冷蔵庫を開けて開封済みのヌテッラを取り出し、それをスプーンですくってそのまま食べることにしました。そして、空になったプラスチック容器を赤毛君主のバスルームの窓から投げ捨てたのです。

夜になり、仕事を終えた赤毛君主がお土産に絵本を買って帰ってくると、超絶美少年は半分になった板チョコを、その小さくかわいらしい手に持って彼に駆け寄り、言いました。
「お前が仕事に行ってるあいだに宝探しをしてたら、すごく美味しいチョコレートを見つけたんだ。半分こしようと思って全部食べずにとっておいたんだよ。はい、これ!」

すると、赤毛君主は左手で板チョコを受け取り、反対側の手で彼の頭を優しく撫でながら言いました。
「君は優しいね。俺がいないときにも俺のことを考えてくれてありがとう」

この日の夕食後、超絶美少年は赤毛君主に近所のジェラテリアへ連れて行ってもらったのでした。

そして、月日は流れ...

『花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせし間に』

...というわけで、超絶美少年も所詮は男。半年後にはアラサーを迎える頃になると、さすがにその容姿を “かわいい” という言葉で形容するのは難しい感じになってきました。
加えて、幼き日に「将来いいドライバーになる」ともてはやされた元・超絶美少年は、まだ運転免許すら持っていません。彼は密かにそのことを気にしていて、実は時々赤毛君主に内緒で車を動かす練習をしているのです。

元・超絶美少年は朝5時半に起床しますが、赤毛君主は7時に起きます。そこで、狙い目はこの時間帯。
また、彼はあるじに仕える前はラヴェンナの市場でスリをしていたため、主人が寝入る部屋に忍び込み、車の鍵をくすねるくらい造作もないことなのです。

そんなわけで、ある日の早朝。元・超絶美少年は一人、まだ明けきらない夜陰に乗じ、例によって赤毛君主のフォルクスワーゲンに乗り込みました。
この世には完璧な人間などいないもので、どんなに優れた人物にも必ず欠点があります。
彼もご多分に洩れず算数と車の運転に関しては致命的で、この日も練習を始めて間もなく、車体を建物の壁に擦ってしまったのでした。元スリなだけに擦るのは得意なのです。

元・超絶美少年は、「今の感じだと、きっと結構な傷がついただろうな」と思いつつ、車を降ります。そして、損傷を確かめるため助手席側に回り込み、フロントドアの前で身を屈めた、そのとき。突然、後頭部をものすごい力で鷲掴みにされるような感覚を覚えました。その直後、
「本当に君はどうしようもないな」と、近所迷惑を考慮しつつも、明らかに怒気を孕んだ低い声が、締めつけられた頭の後ろで響きます。
次の瞬間、後頭部にこの世のものとは思えない不可抗力が働き、有無を言わさず声のする方へ向け直された元・超絶美少年は、そこにあるであろうと予想していた通りの顔を見るなり言いました。
「だって早く運転できるようになりたいんだもん! このままだといつまでもお前に迷惑かけちゃうから...」

彼が弁解を終える前に、赤毛君主は口を開きます。
「これよりも小さな車に買い替えたら練習させてやるって何度も言ってるだろう! どうして待てないんだ?! それに、絶対に一人で運転するなと何度も言ったはずだ。あと、車の鍵はどうやって手に入れた? 他人ひとの寝室に無断で入るなと何千回言わせれば気が済むんだ?! まったく、君というやつは... 今日は終日外出禁止。言うことを聞かなかったらどうなるかはわかるな?」

赤毛君主が治めるこの国は、昨年の春、大雨による洪水に見舞われました。その際、元・超絶美少年の仕置き部屋、もといアパートの地下倉庫も浸水し、今でも使えない状態なのです。
そんなわけで、昨今、彼は非常に快適な外出禁止ライフを送っているのでした。

この日も、赤毛君主が仁王像よろしく怒ったまま仕事に出かけると、元・超絶美少年は子供の頃と同様に、椅子を使ってキッチンの一番高い所にある戸棚を開け、未開封の “箱買い板チョコ” を見つけました。
あれから10年余り。彼は大人になり、高級チョコレートの味がわかるようになっていました。そこで、板チョコのケースを開封し、その中身を半分食べたのです。

その日の深夜。夜10時半に床に就く元・超絶美少年は、胸焼けに 苦しみながら 夢の中。ところが、『 他人ひとの寝室に無断で入るな!』と言っていたはずの赤毛君主に、突然叩き起こされたのです。
最初から金剛力士並みに怒っていた彼は、もはや不動明王レベルになって怒鳴りました。
「キッチンの戸棚のはなんだ?! 君は一体どういうつもりだ! 箱買いしたチョコレートを半分も食べるなんて!」

「...うるせーな、なんなんだよこんな時間に... 半分とっといてやっただろ...」

「半ケースも食べるなんてどうかしてる!」

「うるせぇって言ってんの。もー... 今すげぇ気持ち悪いんだからもっと優しくしてよ...」

「...これからもっとひどい目に遭うだろうけど、絶対に看病なんかしないからな。あと、今後一週間、君の夕食は茹でた野菜だけだ」

...『行いは未だ初めに変ぜざるなり。しかるに前の賢とせらるる所以をもってしてのちに罪をるは、愛憎の変なり。』

あーぁ、かわいかったあの頃には、もう戻れない...

240405