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テレビに出た思い出とトイレの肩車

たった一度のテレビ出演

私は今まで一度だけテレビに出たことがあります。
NHKの教育テレビに。
もう10年くらいまえでしょうか?
勤め先のすぐ近くの学校とつながりがあって、その学校の授業をNHKが取り上げることになり、それに協力する形で私も出ました。映っただけではなく、学校の生徒さんにちょっと偉そうに話をするところも映し出されたりして。

放映された番組は観ました。
確かネットでも視聴できたので放映後に2度ほど観たような気がします。
生放送ではなかったので編集って見事だなぁっと感心しました。

でもそれを録画しておくなんてことはしませんでしたし、知り合いやらなんやらに放映前に宣伝して回るなんてことも全くしませんでした。

一人住まいの自宅では、その頃衛星放送しか見れず地上波とは縁のない生活送ってましたし。
かといって誰かに録画を頼むでもなく。

冷めていた?とはちょっと違う感じです。

やる気に満ち満ちて仕事していた頃で、多分テレビに出るということが自分の中で仕事の結果の小さな一部でしかなかったんだと思います。

今仮にテレビに出る機会にめぐり合わせたとしたら、お断りすること間違いなしです。
仮に有名になるチャンスが巡ってきたとしても、私は世間に顔を知られたいとは思いません。
ただ、メンタルな疾患について協力できることがあればちょっと別かもしれない。
でも顔は出したくはありません。内容がなんであれ。

顔立ちにふさわしい生き方

子どもが小さかった頃、公園のトイレで下の子を肩車しながら、立って用を足していた時に、
「有名人だったらこんな事できないよなぁ」などと思ったことがあります。
周りの目を気にせずふるまえるのがいい。

私は美男でもなんでもありませんが、もしカッコいい顔立ちに生まれていたら、有名でなくっても、そのルックスのプレッシャーに負けていたかもしれない。
「うーん、見た目にふさわしい生き方ができない」と。

街で可愛くて、あるいは綺麗でおしゃれな女性とか見るたびに、
「あー、顔立ちにふさわしく着飾ったり、ふるまったりって大変じゃないかな?」などと思うことがよくあります。

でも、顔立ちが整っているからって、必ずしもファッショナブルな人ばかりとは限りませんよね。

私は中・高校生くらいの頃から、目立たないけど綺麗な女の子見つけ出すのが得意でした。
「あの子、ちやほやされたりしないけど、絶対綺麗!」みたいな。

今でも時折、電車の中などで、「あ、この女性綺麗だなぁ。なのに服が地味でもったいない」などと思うことがあるのですが、もしかしたら、その人は自分が美人であることには気づいていないのかもしれません。

あるいは、彼女はそのルックスを際立たせたり、利用したりという生き方の対局にいるのかも。
「見た目なんかどうだっていいじゃない?」、と。

メイクは面倒?

女性のメイクに関する記事を読んでいて、きっと男性である私には全く想像できない、気持ちを味わってらっしゃるのかもしれません。
noteの美容なんてカテゴリーの記事は、もうみんなメイクやらなんやらに熱意を持ってる方が圧倒的でしょうけど。

でも、実際は
「あー、もー、ちょっと近くのコンビニ行くだけなのに、メイクなんて面倒くさい」
「以前のようにおしゃれな服で出かけたい」
「今はマスクに救われてるよなぁ」

なんて感じている女性も実は多いのでは?
(シェービングしてない時、私もマスクに救われていますね)

私は男性ですけど、服とかもう考えるのが面倒です。
毎日同じデザインでいい。清潔であればいいと。
でもね、本当にしんどいとその清潔感さえ怪しくなってきてしまうんですけど。

もう政治思想とは別に、国民服でいいんじゃね?
と思ったり。










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