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給与一桁の絶望から脱却してお金と心の安心を得た会社員

noteのお題企画、『#会社員でよかったこと』に
参加させていただきます!わしです。

私は2014年に大学を卒業して社会人になった、
現在32歳の会社員です。

ちょうど今年(2024年)で社会人になって
10年が経ちます。
10年の振り返りとしてnoteを開設しました。

現在私のnote記事では、
新卒の頃から順番に振り返っている記事
を書いておりますが、
このお題に合わせて、
まだ公開していない話も書きます。

もちろんこの記事では
すべてを書くことができないため、
記事を読んでいて
私に興味を持ってくださった方
その話の詳細を知りたい方
がいらっしゃいましたら、
是非スキ♡やフォローをしていただけると
嬉しいです!


簡単な職歴

2014年 不動産会社に新卒入社し半年足らずで退職
2015年~18年 生命保険会社に在籍
2018年~20年 保険代理店に在籍
2021年~現在 とある会社で勤務中

会社員でよかったエピソード

特に私が会社員でよかったと思えたのは、
生命保険会社(生保レディ)と保険代理店の
2つの保険関係の仕事を経験したことですね。

なので今回はこの2つについての
エピソードを書いていきます。

生命保険会社で手取りが1桁になってしまった

入社当初は手取りが約15万円ほど
と言われていた給料ですが、
実はこれは成績をきちんととれていた場合で、
基本給でも保証給でもなんでもありませんでした。
さらに正社員の仕事とは言われていましたが、
それはイコール会社員ではなく、
個人事業主でした・・・。

私はそこまでコンスタントに数字を上げられず、
どちらかというと
あまりガツガツ行けるタイプでもなかったので、
思い切ったことができずにいました。
もちろん日々の活動
(既契約のフォローや職域活動など)は、
誰よりもやっていたんですが、
結局は数字に結びつかず・・・。

気づいたら2年目の途中から毎月の給与は
1桁台。つまり10万円を切っていました
私は一人暮らしをしていたので、
家賃や光熱費などで
そのほとんどが飛んでいきます。
さらに、営業にかかる諸々の経費は自己負担
何かあった時のための貯金もできない・・・。
もうマイナスです。
幸いにも離れて暮らす両親がいたので、
毎月援助を受けていました。
すごく恥ずかしいなと思っていました。

上司には何度も何度も
辞めたいことは伝えました。
しかし私の伝え方が悪かったり、
思い切りが見えなかったりなのか
全然聞き入れてもらえず・・・。
(両親からの援助の話をしてしまっていたのも仇)
ひたすら地獄の日々を送っていました。

ある時友達と話していて、
自分の年収のことを話したら
「それって大丈夫なの?」
とまじで心配されました。

20代(当時)の平均年収って
どんなもんなんだろう?
と思ってネットで調べてみたら、
100万円以上も私の方が少ない・・・。

さらには親の援助を受けて
何とか成り立っているのは、
やっぱりおかしい!恥ずかしい!と思い、
3年目の秋ごろに
「もう転職をします。」
ときっぱり上司に伝えて、
数字を追いかけながら転職活動をしました。
この時の平均月収が7万円とかです。
バイトやないかい。

転職先の内定で給与については一安心!

ご縁があって、
大学の就職サポート課(みたいな名前)の方から
紹介された会社で面接を受けて
保険代理店の内定をもらいました。
※卒業後もサポート頂けました

内定後に給与についても説明され、
・正社員(会社員)
・固定給
・社会保険完備
・賞与あり
・経費申請可
・社用携帯電話貸与

会社員スターターセットフル装備で感動。
(社会保険については生命保険会社でもあったけど)

これだよ、私が欲しかったのはこれなんだ!
と思って転職しました。

数字を上げられなくても固定給だし資格降格もない

転職後は保険代理店で、
来店型保険ショップ勤務がメインでした。
もちろんこちらも営業職ではあるので、
数字を上げないといけないのですが、
少ししか上げられない月、
まったく上げられなかった月も
最初のうちはありました。

それでも生命保険会社の頃のように、
数字が達成できていないからマイナス、
資格降格ということはなかったです。
すごく悪く言うと
「とりあえず出社していれば給料はもらえる」
そんな感じでしたね。
まぁそんなサボったことはしてないですけどね(笑)

備品や交通費も会社が負担してくれる

社用携帯電話も貸与されるし、
会社で使う付箋やクリップや
マーカーペンのような文房具も、
会社で用意してもらえましたね。
時々外出した時の客先までの交通費も、
経費申請をすれば
自分のところに戻ってきました。
この負担がないだけでも財布の中身の減り方が、
生命保険会社の時と保険代理店の時で
全然違いましたね(笑)

賞与の額に感動した

入社後初の賞与が冬季賞与でした。
明細を見てびっくり。
入金された賞与を見てびっくり。
こんなにもらえるんだ・・・!と。

今回エピソードは省いておりますが、
生命保険会社から来店型保険ショップに転職して
かなり苦労はしました。
本当に頑張ってよかった・・・!と思えたし、
また次へのモチベーションにも繋がりました。
会社員だからこそできたことかもしれない。

パワハラで休職になったけど傷病手当金で助かった

元々保険代理店に入社した時から、
店長である男性の先輩と上手くいかず、
不満だらけでした。

私も勉強不足だといけないと思って、
保険や金融についての本を読んだり
ネットで調べたり、
時にはこの先輩にも聞きながら
自分の営業スタイルを
確立していったつもりでした。

しかしどの商談をしても、
先輩からよかったことを
あまりフィードバックされず、
ダメだったところを指摘してきたり、
否定してきたりの
とにかくパワハラな日々でした。
自信を持って商談しようにも
だんだんとモチベーションが下がってきました。

ある日会社へ行こうと準備してましたが、
お弁当を作ってメンタルが限界を迎えました。
上司に
「すみません、もう無理です。」
と話して、
そこからしばらく休むことにしました。

心療内科を受診して、
私はうつ状態と診断されました。
休職して療養することになりました。
(約5カ月休職しました)

保険の仕事をしているから
傷病手当金の存在は知っていたので、
なんとか生活はできました。
これって、会社の健康保険に入っていないと
受け取ることができないんですよね。
自営業だったりフリーランスだったりすると、
国民健康保険なので出ないんですよ。

休職する前まで保険の商談をしていた時も
(生命保険会社の時も含めて)
会社員であれば万が一休職になった時は
傷病手当金を受け取れます。

って話してました。

本当に自分が受け取っちゃいましたね。

収入がないと生活が成り立たないので、
傷病手当金でまじで助かりました。
会社員じゃなかったら
ゼロだったのかもしれないし、
より心が落ち着かなくて
別の道に行ってたかもしれませんね。

まとめ

私の中で『会社員でよかったこと』は、
書いてきた通り
金銭面での安定・安心があることですね。

生命保険会社(生保レディ)の時は、
常に不安定な給与形態でした。
だから心も不安定。
それを脱却するために会社員へ転職して、
固定給で安定して、心も安定。
さらに賞与で自分の「頑張ってよかった」
感じることができたので、
本当にお金って安心を与えてくれますね。
それがより分かったという感じ。

もちろん、生保レディのような個人事業主も、
上手くいけば青天井という仕事なので
ゆくゆくは安心するとは思います。
でも私にはもうこういう働き方は・・・
ごめんだ(笑)

ちなみに現在私は、
会社員で事務職として働いております。
かなり裏方な仕事にはなりますが、
それでもキャリアアップのための
教育もあったり、
昇給や昇格のチャンスもあります。
これまで書いてきたお金も大事ですが、
目標は教育や昇格に対して積極的になって、
活躍して信頼される存在
として働きたいです。

おわりに

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!
書き出したら止まらないエピソードを、
何とかまとめてみました。

冒頭にも書きましたが、
普段は新卒の頃から順番に振り返りながら
noteを書いているため、
まだ公開していない話については
これから追加します!
今回書いた話を
もっと詳しく書く回もありますので、
続きが気になる方や、
私に興味を持ってくださった方は、
是非スキ♡やフォローをお願いいたします(^▽^)


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