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生きてるだけでいい。

実家に帰ると、いつも自分の生きてる価値をそっと優しく教えてもらえる。

最近はなんだかとっても疲れていて、
眠れないし、動悸息切れ目眩が慢性化してるし、なんだか急に物凄く悲しくなって涙が出てくるし、
それでも中々ストレスだと気付けない私は、「ちょっと疲れてるから、お野菜いっぱいであったかいものが食べたいかも(*´ω`*)久しぶりの母ごはん、楽しみにしてるね!」なんて、

画面の向こうでヘトヘトになりながら、軽くSOSを出してみたのだ。

家に帰ると待っている、
暖かいごはんの香り
私のためにと暖められた部屋
私が喜ぶからと用意された大量のみかん(一晩でそんな食わんわ
何より嬉しそうな母の顔。

追加投入のように帰ってきた父は、母の買ったお菓子と全く同じものを買っていて

「買ってあるなら言ってよ!」とお互いにぷんすかしているのを見て、
涙が堪えられずボロボロ泣いてしまった。

ああ、摂食障害でも、ダメダメに落ち込んでても、仕事ができなくても、恋愛下手でも、
家族だけは受け入れてくれるんだ。

私の病気や母の病気のことであれだけ揉めて荒んで、誰も笑顔を見せなかった家庭が、今じゃこんなにあったかい笑顔で溢れてる。
それは、冷たく沈んだ心の中で、家族のみんなが、家族を諦めずに向き合い続けたからだ。
苦しい中で、私を見限らずに見続けてくれたからだ。
そんな私って物凄い幸せものじゃないか。何を目の前のことばかり見て落ち込んでたんだろ。

そんなふうに自然に思えて、本当に心から、「いつもありがとう」って言葉が出てきた。

この間、仕事で落ち込んでいる友達にも思った。
仕事で病んでいく社員を見ても思う。

あなたはきっと誰かの光で、
あなたがどんなに仕事ができなかろうが、
あなたに救われ、あなたが大好きな人は側にいる。
仕事ができないくらいであなたを見限るような奴は捨て置いていい。どうせそんな人は、あなたの人生の中のちっちゃな黒ポチにしかならない。
もっと大切な、あなたの人生の中で消えない大きな痕になるものを見てあげて。
その時は引っ掻き傷のような、痛くて消したい痕かもしれないけど、
あとから思い出したら、何も残さないどうでもいい黒ポチよりもマシな財産になってるはず。

こんな言葉をかけるとに、ぜーんぶ自分に跳ね返ってくる。むしろ自分に言い聞かせてるのかもしれない。

私の中の大きな大きな傷痕は、今思い返すととっても大切な時間だった。
そのおかげで今なんとか働ける強さを得たし、
反面自分がどんなに弱い存在か自覚できた。
何より自分がどんなに重苦しく愛されているのか、わかったと思う。

今こうして目の前で本当に幸せそうに笑っている家族と、そうやって愛されてる自分を実感できる時こそ、
自分の暗い過去を重ねて思い出す。そしてそんな辛い思い出を思い出す時こそ、一番自分が生きて居るだけで誰かの光になれてることを、自惚れでもなく冷静に思い出せる。

私は摂食障害でも、ダメダメに落ち込んでても、仕事ができなくても、恋愛下手でも、生きてて良いんだ。
実家に帰るたびほんわりと教えてくれるこのくすぐったい気づきを忘れずにいなくちゃなあ。

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