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著者が語る:『東大生の論理』<最大多数の最大幸福>!

本書は、私が2009年度夏学期に東京大学の教養課程で行った「記号論理学」の講義内容と、200名近くの受講生との知的交流を描いている。といっても、専門的な「記号論理学」そのものをカバーするものではなく、毎回の講義の導入のために「論理的思考」に関連した話題を取り上げた際のエピソードが中心になっている。本書を読み進めるうちに、読者は、東大で全15回の講義を彼らと一緒に受講しているイメージを味わうことができるはずである。

優秀な学生は、もちろん東大ばかりでなく、どんな大学にも必ず存在する。とはいえ、クラスの大多数の学生が向学心に燃える志向性を共有し、相互に刺激し合うことによって、さらに知的好奇心が増幅されるようなグループとして考えると、やはり東大生は他に類をみない抜群の知的集団だった。できれば、本書の全エピソードをお楽しみいただけたら幸いである。

功利主義と民主主義

近代の「快楽主義」すなわち「功利主義」の創始者として知られるのが、イギリスの哲学者ジェレミィ・ベンサムである。ベンサムは、社会全体の「幸福」を個人の「快楽」の総計だとみなした。そして、一人より二人、二人より三人と、より多くの個人が、より多くの快楽を得ることのできる社会を目指すべきであり、その「最大多数の最大幸福」こそが、宗教的権威に変わる新しい道徳だと考えたのである。

それでは、幸福や快楽をどのように客観的に比較すればよいのだろうか。ベンサムは、『道徳および立法の諸原理序説』において、人間の快楽を一四種類に分類している。「感覚・富・熟練・親睦・名声・権力・敬虔・慈愛・悪意・記憶・想像・期待・連想・解放」の快楽である。彼は、これら一つ一つの「快楽」を分類して、その量を数値化して計算すればよいと考えた。たとえば、「感覚の快楽」は、さらに九種類の「味覚・酩酊・嗅覚・触覚・聴覚・視覚・性的感覚・健康・新奇」の快楽に分類される。

ベンサムは、これらの快楽について、①どのくらい強いのかという「強さ」、②どのぐらい続くのかという「持続性」、③どのくらい確かなものなのかという「確実性」、④どのくらい待たなければならないのかという「遠近性」、⑤どれほど他の快楽を伴うかという「多産性」、⑥どれほど他の苦痛を伴わないかという「純粋性」、⑦どれほどの数の人々に影響を及ぼすかという「範囲」の七点を数値化し、それを最大にする行為を計算で導き出そうと考えたのである。

ここで東大生の手が挙がって、「そんなに細かな主観的な概念を、どうやって客観的に数値化するんですか」という質問が出た。たしかに、そのとおりである! 実はベンサムは、著書の中では一度もその数値化した実例を示していないのである! ただ、彼がこの理論を主張した一七八九年といえば、フランス革命が起こって人権宣言が決議され、一方ではニュートン力学が確立されて機械論的な世界観が広まってきたような時代である。つまりベンサムは、理論上、人間心理も物理的に数値化して計算できるに違いないと想定した上で、彼の功利主義を主張したわけである。

簡単な例を挙げよう。たとえば、五人の学生が一緒に食事に行くとする。とりあえず、大学の近くにある和食か中華かイタリアンの三軒から選ぶとしよう。ここで「最大多数の最大幸福」というのは、各自が行きたい料理店を順に並べて三点・二点・一点を付けて、それぞれの料理店の合計得点を出すようなものである。そうすれば、五人の集団がトータルで最も望んでいる料理店が最も高い得点になるわけで、その店に行けば五人にとってトータルで最大の幸福を得ることができることになる。

この方式は、まさに多数決の「順位評点方式」になることがおわかりいただけるだろう。そして、その多数決に基づくのが「民主主義」なのだが、実は完全に民主的な社会的決定方式が存在しないことは、すでに一九五一年、コロンビア大学の数理経済学者ケネス・アロウによって証明されているのである! この「不可能性定理」が、拙著『理性の限界』の大きな一つのテーマなのだが、この証明がもたらす意味を話した際には、クラスの東大生も大きな衝撃を受けていた。というのも、投票方式が異なるだけで、現実に実施された選挙結果から、アメリカやフランスの大統領でさえ異なる当選結果の生じることが示されるからである。

さらに、功利主義にはもっと根源的な問題も指摘されている。まず「最大多数」という言葉を考えてみると、そこにどうしても切り捨てられる個人が出てくることが予想できるだろう。たとえば、さきほどの例で五人の中の四人が中華料理店を第一希望に選んだとすると、もちろん最高得点ということで彼らは中華料理店に行くことに決定する。しかし、残りの一人にはアレルギーがあって、中華料理をまったく食べられないときには、どうすればよいのだろうか? つまり、四人は全員が与えられた条件で最高のプラスを得るとしても、残りの一人が大きなマイナスになってしまうような場合、どうすればよいのかという問題である。

読者は、ベンサムの「功利主義」について、どのようにお考えだろうか? 「最大多数の最大幸福」の導く「多数決」に基づく「民主主義」については、いかがだろうか? どのようにすれば、集団の「民意」を集団の「決定」に反映することができるのだろうか?

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