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著者が語る:『哲学ディベート』<命の授業>!

『哲学ディベート』は、最初に大学生が特定のテーマに関わる時事問題を提起して、それに対する賛成論と反対論の多彩な論点を5人の大学生がディスカッションし、その哲学的意味を教授が解説するという形式になっている。本書の目的は、読者が臨場感を味わいながらディスカッションに一緒に参加して、自分自身の見解を自由自在に考え抜くことにある。

その「第1章:文化」の「命の授業」に対する「文学部A」の問題提起は、次のようになっている(pp. 73-77)。

 私は、教職課程を履修していて、先日教育実習を終えたばかりです。東京都のある区立中学校に三週間お世話になって勤務してきたのですが、学内は、かなり荒れている状況でした。
 私がいた間だけでも、二度も警察官が中学校に来ました。最初の事件は、先生に注意された生徒が逆ギレしてバットを振り回して壁に大きな穴を開けたこと、次の事件は、生徒がネットのブログに他の生徒になりすまして勝手な書き込みをしたというもので、こちらは被害者の親がコンピュータの調査会社に依頼して犯人の生徒を割り出して、警察に訴えたそうです。
 校長先生も他の先生方も、後から後から巻き起こる問題の対応に苦慮されていました。どちらかというと、生徒に対してよりも父兄に対する対応が大変なようで、今春も二名の先生がその理由から退職されたそうです。
 私の受け持ちのクラスが体育の授業中だったときにも、事件が起こりそうになりました。私が教室で次の授業の準備をしていたら、突然体操着姿の女子生徒が泣きながら部屋に入って来て、筆箱からカッターナイフを出して、自分の手首を切ろうとしたのです。私は慌てて止めましたが、この女子生徒はイジメにあっていて、手首には数え切れないくらい自傷行為の跡がありました。その後彼女がどうなっているか、今でも思い出すたびに心配になります。
 新聞などを見ても、殺伐とした事件が後を絶ちません。ざっとこの一ヶ月だけでも、自分の産んだ幼児を虐待して殺害した若い母親、父親を憎んで自宅に放火した少年、「生きていても仕方がない」と飛び降り自殺した少女、「人を殺す体験がしてみたかった」と行きずりの老人を殺害した若者の記事が見つかりました。
 どうすれば「命の尊厳」を若者や、とくに子供たちに教えることができるのでしょうか? 調べてみると、今度は別の意味でビックリするような授業が行われていることが分かりました。それは、福岡県のある県立高校の一年生を対象に実施されている「命の授業」です。
 この高校の生徒は、自分で鶏卵からヒヨコを誕生させ、名前をつけてニワトリになるまで愛情をもって育て、最終的に自ら解体して食べるというのです。その目的は、「命の喪失」を具体的に体験することによって、「命の尊厳」を実感することにあるそうです。
 この授業に参加した生徒たちは、次のような感想を述べていました。
「始め一人ひとりに一個づつ卵が渡された時、卵が割れそうで恐る恐る持っていました。そんな小さな卵からフワフワのぬいぐるみのようなヒヨコが出てきました。丸っこくて可愛かったです」
「毎日餌をあげたり、水をかえたりしてみんなで協力しあい、世話をしてきました。……ヒヨコの声はピヨピヨとかわいい声だったのに、だんだん低くなりました。それにつれて羽もどんどん大きく成長していき、色も黄色から茶色になりニワトリらしくなってきました」
 ニワトリの成長は早く、二ヵ月後には、解体の日が迫ってきます。
「解体する鶏を絶食させるために他のかごに入れました。明日殺されるとは知らずにかごの中に座っています。とても悲しかったです。ちゃんと世話をしてきたかとかいろいろ考えました」
「明日鶏を殺します。とてもいやです。自分達で育てた鶏を、育ててなくても生き物を自分の手で殺すのは、辛く苦しいです。命の大切さを学ぶためと言いながら、なんで殺さなければいけないのだろうと考えました」
 そして、解体日を迎えます。生徒二名で組になり、一名がニワトリを押さえつけて、一名が頚動脈を切るのです。
「私は、自分の手でニワトリを殺す日が本当に来て欲しくなかった。だけど、解体をする瞬間が近づくばかりでした。もう前半の人達が殺しているのを見て、涙が出てきました。それを見て手足が震えてきました。そして、ついに私達の順番がきました。私はすごく怖かった」
「私は、殺すなら動脈を一回で切ってやろうと思っていました。でも、できませんでした。一回目では深く切ることができず、二回も切ることになったのです。首を切ると、真っ赤な血が出てきてニワトリは、足をバタバタさせながら死んでしまいました」
「その後私は、とても不思議な気持ちになり、手が震えてきて涙が出てきました。この気持ちはなんだろう、言葉では言い表せない気持ち、でもこの気持ちが大切なのかもしれないと思いました」
 死んだニワトリは熱湯に浸して羽をむしり、皮と内臓を切り離して、肉を取り出します。鶏ガラでだしを取って、水炊きにするのです。
「水炊きを前に、みんなで大きな声で『いただきます』と言いました。私は気づきました。初めて心の底から『いただきます』と言えたと。このたった六文字の言葉の意味がこんなに深いものだとは知りませんでした」
 この高校の「命の授業」は、二〇〇一年、全国の小学校・中学校・高等学校の中から「創造性に富んだ教育を実践した学校」に贈られる時事通信社教育奨励賞・文部科学大臣奨励賞を受賞しました。その理由は、「生き物の命と人間の宿命を感得することで、『生命の尊重』を『人と人との在り方』にまで昇華させていることを高く評価した」というものでした。
 この授業の模様は、テレビのドキュメンタリー番組としても全国放映され、注目を集めたようです。放送直後から、「命の重さを実感できた」「大変意義がある」といった賛成意見と同時に、「ショックを受けた」「残酷すぎる」などの反対意見も、放送局に寄せられたということです。
 一方、この高校と同じ形式の「命の授業」は、秋田県のある町立小学校でも実施されていました。ところが、こちらは二〇〇一年一一月、解体日直前に取り止めになりました。解体を嫌がった生徒の保護者が教育委員会に連絡し、教育長が校長に中止を命じたためです。
 この小学校の担当教諭は、子供たちが給食を残すことに心を痛めて、「命の授業」を実施することにしたそうです。彼女は、次のように述べています。
「子供たちが安易に食べ物を残すのは、『食べ物がもともと命のある生き物だった』ことを『知っている』けれども『感じたことがない』からではないでしょうか。私は、子供たちが『命を奪って口にする』という、普段の暮らしの中では見えにくくなっているけれども現実的な体験をすることで、自分の命をしっかりと見つめ、人の命や生き物の命の尊さに気づいてほしいと考えました」
 私が問題提起したいのは、高校生ならばまだしも、小学生に「命の授業」を行う意義はあるのか、ということです。

真鍋公士氏の実際の授業

さて、私が2007年初版発行の『哲学ディベート』を執筆する際に参考文献に挙げたのが、福岡県立久留米築水高等学校の2000年版「実習文集」である。その高校の真鍋公士教師による実際の授業風景が、毎日放送の「情熱大陸」で2013年3月に放映され、現在では、Youtubeに公開されている。

この動画を改めて見ても、真鍋氏が20年前と変わらずに、彼の信念に基づいて「命の授業」を実践していることがわかる。そして、学生の反応も20年前とソックリであり、その社会的評価に対しては、今でも賛否両論の議論が続いている。

読者は「命の授業」に賛成だろうか? 「命の授業」を実際に受けてみたいだろうか? 子どもがいたら「命の授業」を受けさせてみたいだろうか?

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