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著者が語る:ゲーム理論を生み出した天才ノイマンは、経済学も根本的に変えた ――コンピュータの特許権は放棄

『フォン・ノイマンの哲学』は、20世紀を代表する天才のなかでも、ひときわ光彩を放っているジョン・フォン・ノイマンの生涯と思想に焦点を当てた。単に「生涯」を紹介するだけではなく、彼の追究した「学問」と、彼と関係の深かった「人物」に触れながら、時代背景も浮かび上がるように工夫したつもりである。ノイマンの哲学とは何か、読者に一緒にお考えいただけたら幸いである。

さて、その第6章「コンピュータの父」には、次のような場面が登場する(PP. 206-210)。

EDVAC

一方、アメリカ合衆国では、数学者であり、陸軍中尉でもあるハーマン・ゴールドスタインがコンピュータ開発プロジェクトを推進した。彼の下で、工学者のジョン・エッカートとジョン・モークリーがペンシルベニア大学で「ENIAC」の試作品を設計し、ノイマンの助言によって、その計算能力が飛躍的に向上したことも、すでに述べたとおりである。

原爆投下を目前にして、ロスアラモスの業務に忙殺されていたノイマンは、仕事の合間にコンピュータの「論理構造」を考察し続け、手書きメモをゴールドスタインに送った。

一九四五年六月、ゴールドスタインは、それらのメモを『第一草稿(First Draft of a Report on the EDVAC)』と題する一〇一ページのタイプ原稿にまとめた。もちろん、その著者名は、「ジョン・フォン・ノイマン」になっている。

「EDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Computer)」は、「ENIAC」の後継機として開発されるコンピュータの名称である。ここでノイマンは、「入力(Input)→ 中央処理装置(CPU: Central Processing Unit)→ 出力(Output)」という現代のコンピュータの根本となる「ノイマン型アーキテクチャー」を設計した。

「中央処理装置」は、「制御装置(CU: Control Unit)」、「算術論理演算装置(ALU: Arithmetic and Logic Unit)」、「記憶装置(MU: Memory Unit)」によって構成される。そこで重要なのは、「記憶装置」が「プログラム内蔵方式(Stored Program Method)」になっている点である。

かつて人類史上に存在した機械の大部分は、各々が特定の目的を果たすために制作されてきた。たとえば、時間を示すのは「時計」、計算するには「計算機」、写真を撮るためには「カメラ」を使う。複雑な弾道計算のできる「微分解析機」や、暗号解読を行う「コロッサス」も、ある特定の目的を果たすために制作されたという意味では、同等である。

それに対して、現代の「スマートフォン」には、「電話」の機能はもちろん、「時計」・「計算機」・「カメラ」に加えて、「メール」・「カレンダー」・「ゲーム」など数多くのソフトが組み込まれ、ボタン一つを押すだけで、一台の機械が多彩な目的を果たす機械に早変わりする。

要するに、同じハード(機械)を使いながら、ソフト(プログラム)を変換すれば、多目的に対応することができる。その「プログラム内蔵方式」の概念を史上最初に明確に定式化したのが、ノイマンだったのである!

ゴールドスタインは、ノイマンの『第一草稿』を謄写版で印刷し、軍部と政府の関係者や、アメリカ各地の研究者に配布した。この草稿が瞬く間にヨーロッパに伝播し、その後のコンピュータ開発の「バイブル」になったわけである。

ところが、エッカートとモークリーは、『第一草稿』に自分たちの名前が入っていないのは「不公平」だと激怒した。彼らは、「ノイマンは、我々が工学的に組み立てた電子回路を数学的な言葉で書き換えただけで、設計の功績は我々にある」と主張した。

たしかに、彼らが工学的な設計に多くの工夫を凝らしたことは事実だが、その全体像をまったく斬新な概念で定式化したのは、ノイマンである。彼の天才的発想がなければ、「ノイマン型アーキテクチャー」は完成しなかったに違いない。

実は、エッカートとモークリーは、コンピュータの特許権を取得して、巨万の富を得ることを夢見ていた。しかし、ペンシルベニア大学のプロジェクトは、陸軍の資金援助によって成立している。だからこそ、ゴールドスタイン中尉は、陸軍顧問のノイマンに助言を求めたわけである。

ゴールドスタインが『第一草稿』をタイプした時点では、戦争が継続中であり、原爆設計に必要な新たな計算機を開発するために、ノイマンの定式化を早急にまとめて、陸軍に提出する必要があった。だから彼は、タイプ原稿に『第一草稿』という表題を用いたのであって、続く改訂版では、主要関係者の功績についても詳細を言及していく予定だった。

一九四六年三月、ペンシルベニア大学は、「戦時下のコンピュータ開発プロジェクトにおける発明の特許権を、すべて大学に譲渡する」という協定書に署名するように関係者全員に要求した。この文書への署名を拒否したエッカートとモークリーは、大学を辞職せざるをえなくなった。二人は新たに会社を設立して、「EDVAC」の特許権を主張した。

一方、資金援助していた陸軍の法務部は、その資金によって生じた成果として、通常の手続きによる特許を申請した。というわけで、陸軍と大学と会社の三者が「EDVAC」の特許権を主張することになったのである。三者の代理人弁護士は何度も会合を重ねたが、各々の主張は変わらず、事態は紛糾するばかりだった。

一九四七年四月八日、陸軍兵器局長官の要請により、「EDVAC特許に関する調停」を目的とする会議が開かれた。ここに陸軍とペンシルベニア大学の代表者、ノイマン、ゴールドスタイン、エッカート、モークリーが一堂に集まった。

そこで誰もが認めざるをえなかったのが、「EDVAC」に関する『第一草稿』が、一年半前に出版されて、すでに世界中で読まれている「公刊物」だという事実である。つまり、『第一草稿』の内容は、すでに法律上は「私的」な特定の特許の対象とみなすことができない。よって、エッカートとモークリーも、ノイマンとゴールドスタインも、大学と陸軍も、「誰も特許権を主張することはできない」という決定が下されたのである!

あまり注目されていないが、この会議における決定は、科学史上でも「画期的」なものである。なぜなら、この決定によって、世界中の誰もが『第一草稿』に表現された「ノイマン型アーキテクチャー」を、特許権などいっさい気にすることなく、完全に自由に使用できるようになったからである。

『第一草稿』の著者ノイマンが特許権を放棄したことが、現代のコンピュータの急速な発展をもたらしたことが、ご理解いただけるだろう。このテーマは、次の「講談社現代新書」サイトにも掲載されている。ぜひご覧いただけたら幸いである!

この記事は、次の「Yahoo!ニュース」サイトに転載されている。こちらには、読者のコメントもあるので、ご参照いただきたい。

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