こそあど言葉はどこへ【国語力がセーフティーネットになる時代】
記事の裏側を読み解く|ろくさんの【読み書き算用チャンネル】 #note
テキストデータの価値が上がると、発言の重要性があがる。すると、適当な言葉や曖昧な言葉が減ってくる。
発言の厳格化が起きる。
一対一の関係なら、「あれ」、「それ」とがで通じていた事がテキストでは、まったく通じない。
「あれ」や「それ」は、相手の仕草や表情、共通の認識で通用していた。だから、ハッキリとした表現が難しいメールを嫌がり、電話で要件を伝えたりする。
電話を嫌がる世代は、メールで何かと連絡をとる。
テキスト表現が曖昧でも慣れているのである。
習慣化された曖昧な表現は、日常会話でも頻繁に出てくる。
だから、ハッキリとしない感じを受けるのだろう。
思いや感情はあるけれど、表現の仕方が乏しいので、相手に伝わらず、ますます自己嫌悪におちいる。
略語にしても、自己を主張できる表現ツールの一つである。
感情を伝えるために、独自の言葉で表現しているだけである。
苦手でも、言葉で表現できる方が楽しい。
こそあど言葉でも、共通の認識を得られることは楽しい。
略語よりは、共通性があって良いと思う。
未婚率の高さは経済的な理由の他に、他人とのコミュニケーション能力の問題も大きいと思う。
表現できない、表現しない事が対人関係を悪化させている。
楽に生きるためには、一人でいる方が楽ではあるが、それは若い内だけである。
長い目で見れば、一人でいるより二人でいる方が楽しい。
楽しさを共有できることは、人生を豊かにさせてくれる。
たとえ結婚というカタチだけではなく、自分と違う誰かと楽しさを共有させることが大切だと思う。
人間は一人では生きられないので。
誰かの助けが必要だ。
助けを求められる人が一人でもいる事が、心の支えになる。
本当のセーフティーネットとは、【誰かに何かをしてもらう】ことより、助けを求める相手がいて、心の支えになっている状態である。
声なき声は、身近にあるのだと思う。一人でいる孤独はだれにも届かない。
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