もう真ッ白山

【妊活、子育て、アイデア】の記事の書いています。

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  • 【生活の記事】と【漫画やイラスト】

    読み物と漫画 学級新聞のようなスタイル。

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不妊治療のおわりと編み物のはじまり

2020年の春さき。 地方の産婦人科から都会の産婦人科へと病院を替えた。コロナ禍の中での転院だったので、都会での感染におびえていたのを思いだす。 お医者さんと相談をして、人工授精から、体外受精へと切り替えた。 不安のうずまく、コロナ禍の時代。 明るい希望がみえたようで、心身ともに、夫婦ともに、病院からの帰りのあしどりは軽かった。 そして採卵その時期、妻の方は薬を飲んだり、注射をしたりと慌ただしかった。幸いコロナの影響で、仕事の合間に通院でき、自分の方も、時間にゆとりもでき

    • 宮崎駿と細胞分裂

      『目標をもった組織が、実は非人間的なんじゃないか。』宮崎駿哲学者のような宮崎駿の言葉。 組織が大きくなるにつれて、組織は細分化されていく。 人は人間から、組織へ細胞へとかわっていく。 組織が大きくなるにつれて、人間的に機能しなくなる。 改めて人間としての意義を問われている気がする。

      • 効率社会と限られた時間

        ビジネス書でも 【時間の有効利用】 【好きなことを尊重する】 【マルチタスク】 など、記事がおどる。 ひと昔前だと、「石の上にも3年」と言われた。でも、現代の風潮や流れのなかで、貴重な時間を3年も費やせない。という論調が多い。 ・石の上にも3年 ・貴重な3年間 どちらも正しいと思うけれど、これはどちらか選択するような意味ではない。 人間は、石の上にも3年のいるような忍耐力が必要である。 部活や勉学、アルバイトなどで我慢することを習得できた人は、もうこれ以上【石の

        • 近づいているようで、遠ざかる。

          技術は進化しているが、分業化が進んで、プレイヤーばかり増えていき、一個人は本質から遠ざかっている。 クリエイターとなりたい人は、どんどんとプレイヤーとして消費されている。 アニメ業界だけでの事ではなく、社会全体が同じような風潮になっている。

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          現実の象徴

          左(こども用)カレー右(おや用)カレーきらびやかな世界がある反面、星くずのカレーもできるのが現実の世界である。 いま、平等と言われる世界は、左の星のカレーをみんなに届けようと言う社会だ。 もし、こどものなかに、右のカレーを出した日には【いじめ】と言われてしまう。 同じチーズカレーなのに、差別となる。 そして、このことを重大に受け止めているこどもも多くいる。 今回の画像は、親子のカレーの1場面なので、まったく問題は無い。 けれど、このやりとりが一歩、家をでると問題に

          制作

          制作するとき、資料を集め、イメージを作り、脚本を作る。 方向性や具体的な内容に至るまで、なかなか時間が掛かってしまう。 今回は、やっと道筋が出来たので、これから作画に入るけれど前途多難。 コツコツ作ろうと思います。

          勝つか学ぶか、勝って学ぶか。

          人生において、勝つか負けるかの一代勝負は、なかなか無い。 部活動や運動会など、学生時代しかない気がする。 動画の中で 【勝ちか学ぶかしかない。負けは無い】という言葉が、心に刺さった。 チャレンジして、負けたとしても、そこに学びがあれば負けではない。 【勝って学べ】ば1番良いのだけれど、そうそう勝つことばかりではない。 反省と学びが大切である。

          勝つか学ぶか、勝って学ぶか。

          黒い海苔と黒いピアノ

          ピアノを一つ置いた舞台に、暗闇の中からの現れた男性。 2000人程の人の前で、初めて披露する。 一つのピアノと、自分の指だけが頼り。 ピアノには、譜面などなにもない。 割れんばかりの拍手のなか、一礼をして、静寂に包まれる。 背筋を伸ばし、指をピアノに触れようとした瞬間。 空気や時間が止まった。 溢れる感情が、1音目の音色とともに会場に伝わっていった。 もう号泣だった。努力とか賛美とかを超えた。 魂の演奏だった。会場が一体となって音を紡いでる。自分の気持ちが音

          黒い海苔と黒いピアノ

          困った人を助ける事は素晴らしい。

          外国人の人が、道に迷っていたら助ける。 落とし物の財布を交番に届ける。 困った人を助けることは、日本の素晴らしい気づかいである。 けれど、 【困った人を助けること】=【平等】は違うと思う。 そもそも、この世の中に【平等】は無いと思っている。 いつの時代も不平等てあり、平等に見えるだけで、本質は不平等である。江戸の昔から、【不平等を知りつつ、困った人を助ける】ことを庶民は行っていた。 不平等と不満に思う前に、困った人を助けることを優先すれば、感謝に満ちた世界になる。

          困った人を助ける事は素晴らしい。

          レビューやクチコミや言論の自由

          Amazonの書籍のレビューの中に 【梱包がしっかりしていました】 【ビニールの袋に包まれてなくて、がっかりしました】 などがある。 それは本の感想ではなく、配達や配送の感想だと思う。 本質とかけ離れたレビューは、読むのも心苦しい。 グーグルのクチコミにも似たようなコメントがある。 蔵を改築した喫茶店のコメントに 【建物が狭く落ち着かない。コロナ禍のなか怖くて再度いけません】もう、驚くしかないコメントである。 建物は蔵なので、それ以上は大きく出来ないし、見た目で

          レビューやクチコミや言論の自由

          お地蔵さま

          小学5年生のころ、学校の校区内に山があった。 高さで言えば600mくらいの山だった。 家からふもとまでは歩いて行け、小川も流れていた。 小川の手前の草むらに、お地蔵さんの貯金箱が落ちていた。 プラスチック製で、後頭部の部分にお金を入れる穴があいていた。 そのお地蔵さんを、草むらの平らな所に立てて置いた。 1ヶ月後、その道を通るとお地蔵さんに前掛けが掛けられて、花が添えてあった。 更に1ヶ月後、お地蔵さんは何故か2体になって祀られていた。 その道を通るたびに、お地蔵さんは強

          考えることから遠ざかる。

          時間が足りない。 間に合わない。 残業しないと終わらない。仕事をしていると常に時間との闘いである。 だから、ルーティンワークで作業をする内容を決めて、行動する時間を短縮したり、脳に負担を掛けず作業を終わらしたりする。 脳を休ませるのは、作業効率を上げるためには、重要な行動だ。 仕事の負荷が大きい分、休日は何も考えたくないし、動きたくない。 身体が自然と自衛しているのだ。 現代では、スマホ1台あれば何でも出来る。 1日ずっとゴロゴロ出来る。 スマホを止めて、テレビをつけ

          考えることから遠ざかる。

          むかし話で育った。

          『むかしむかし、あるところに、、、」ももたろうや、かちかち山、うらしまたろうに、こぶとり爺さん。 むかし話は、言葉。 口伝(くでん)で伝わっていった。 おじいちゃんの話す、むかし話は怖かった。 おばあちゃんの話す、むかし話は面白かった。 世代を超えて、道徳心や自然の道理が伝承されていった。 文字じゃないから、伝わりやすい。 日本人は昔から、うわさ話、迷信、つくり話など【話】が好きだ。文字として残さない風潮が庶民にあった。 それが現代に近づくにつれて、 絵となり、紙芝居

          むかし話で育った。

          わからない日本の姿

          理(り、Lĭ)とは、中国哲学の概念。 「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになる。 それが抽象化され、秩序、理法、道理などの意に使われるようになった。 儒教においても 儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。 と、日本人の思想の源流にあるのは、中国哲学からの影響が多くみられる。 そうすると、【日本人独自の思想はないのか】という疑問が浮

          わからない日本の姿

          さんちゃん農業から2ch農業

          3ちゃん農業(さんちゃんのうぎょう)とは、それまで農家の働き手であった男性が出稼ぎに出たり、農業以外の職業に従事したりして、老年男性と老年女性と主婦、すなわち「じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん」により農業が営まれることである。 昨日、農家のお手伝いに行った。 久しぶりの畑での作業。 1時間もしたら、ヒザ・モモ共に笑いだす。 のどかな風景と三ちゃん農業。 【じいちゃん、ばあちゃんと息子】とワタシ。 三ちゃん農業というより2ちゃん農業かな。 令和の時代になっても、2ちゃん

          さんちゃん農業から2ch農業

          現実に見える世界などない。

          いま見えている世界は、物質が見えているだけの世界である。振り返ったときに、自分の行いが【良かった・悪かった】がわかる。 社会も同じで、いまの政策が【良かった・悪かった】など時代が過ぎないとわからない。 いま、現時点では何もわからない。 過去を振り返らないと善悪はわからない。 現実の世界は何も見えない。 のである。 現実に見える世界などない。だから、みんな自分が思う、最大限の正しさに従うのだ。 見えない世界で、信じれるものは【自分自身】だけなのだから自分を頼りに進むしかな

          現実に見える世界などない。