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ロコワークジャーナル Vol.1弘前市編 03.伝統の津軽打刃物を後世に残す 刃物事業再建に取り組む8代目の挑戦

ロコワークジャーナルとは…
各地を飛び回るロコワークメンバーによる取材レポートです。観光/テレワークよりも一歩踏み込んだ地域とのかかわりができないか?というロコワークが考える視点で地域を探し出し、地域のユニークな人や資産をレポートします。

前回記事では津軽塗のアップデートに挑戦する葛西彩子さんの活動をお伝えしました。

今回は、津軽地方に350年続く伝統技術を受け継ぐ二唐刃物鍛造所の8代目・吉澤剛さんにお話を伺いました。

弘前市03.
伝統の津軽打刃物を後世に残す、刃物事業再建に取り組む8代目の挑戦

「津軽打刃物(つがるうちはもの)」は、弘前の伝統技術で350年の歴史があります。藩政時代には数多くの刀匠が作刀に力を入れ、全盛期には城下町に100軒以上の鍛冶店がありました。その刀鍛冶の技術は現在、リンゴの剪定(せんてい)バサミやノコギリ、包丁といった生活に寄り添ったものに活用されています。二唐(にがら)刃物鍛造所はその伝統を受け継ぐ鍛冶店のひとつ。刃物事業が落ち込んだ時代を経て再建を図る8代目吉澤剛さんにお話を伺いました。

「二唐」は継ぎたくなかった

今では8代目として会社に携わっている吉澤さんですが、実はその意識が芽生え始めたのは5、6年前からだったと言います。「きっかけが2つありました。1つ目は6代目が亡くなった時。『入社させて育てなさい』という遺言があり、二唐刃物鍛造所で働くことになりました。2つ目は入社後に慕っていた兄弟子が退社した時でした」と吉澤さん。

 入社以前の吉澤さんは、長男として会社を継ぐことを期待されていましたが、継ぎたくないという思いから弘前を離れて遠くは九州まで営業の仕事をしていました。二唐刃物鍛造所に入社後もまだ自分から継ごうという意志はなく、周囲の期待に応えるように鍛冶屋の修業を始めています。

▲8代目として刀鍛冶と会社も運営する吉澤さん

「最初は和釘ばかりを作らされていました。いわゆる下積みです。次第に包丁の加工を手掛けるようになり、和釘を作っていた経験がつながり、生かせるようになり始めた頃、鍛冶のおもしろさが感じるようになりました」。

 しかし兄弟子であり師匠でもあった人が退社したことで、職人が吉澤さん一人になってしまいます。ようやく面白さを感じ始めていた時と重なり、危機感と自分の中で意識が変わったと振り返ります。

一時は下火になった刃物製造事業を好転させた
伝統技術による斬新なデザイン

二唐刃物鍛造所が会社として創業したのは1949(昭和24)年。吉澤さんの大叔父・二唐廣(号 国俊)さんが戦後の変革期に会社としての組織作りが必要になったことが始まりでした。1963(昭和38)年には溶接部を開設。刀の金属加工技術を鉄骨製造に応用し、建設現場の鉄骨や町内のごみ箱といったものまでを製造・修繕するようになります。

 吉澤さんは「7代目の父が会社を継いだ時は鉄骨部門の売り上げが当社の9割は占め、刃物の仕事はたった1割でした。刀鍛冶から始めた会社ではありますが、刃物製造以外の収益の柱がなければ続いてはいませんでした」と語ります。

▲溶接部では鉄骨などを製造する

現在の二唐刃物鍛造所の看板商品である「暗紋(あんもん)」は、減少していた刃物製造の事業を好転させる新商品となりました。独自の技法で描かれた波紋のような模様が特徴で、異なる金属を幾重にも重ね、独自の下地付けの作業を経た刃物を磨き上げることで生まれます。渦巻きのような模様は、白神山地にある「暗門の滝」の滝壺に広がる波紋をイメージ。7代目が商工会議所などを巻き込んで開発した商品で、神秘的なデザインと品質は350年の伝統を継ぐからこそ可能にしたと言えます。

▲独自の技法で描かれる、水の波紋をイメージした暗紋

人気は少しずつ広まります。近年は国内だけでなく海外にもその人気が波及。過去に経験したことがないような注文数があり、製造現場の体制強化が早急な課題となりました。「海外のSNSなどで注目を集め、引き合いが強くなっています。見本市への出展のほか、ネット注文に対応する業者が増えたため、2、3年前では想像もできなかったような受注数で、刃物事業の売上が会社全体の3~4割まで占めるようになりました」と吉澤さん。

▲1点ものであるため、模様もひとつひとつ違う

海外からも増えた引き合いに
県外から人を受け入れ、生産体制を整備

生産現場の整備が急務となりましたが、吉澤さん1人しかいなかった鍛冶場に現在は、6人の若手職人が働くようになっています。体制の強化には、総務省の地域おこし協力隊の制度を活用しました。

地域おこし協力隊は都市部から地方に移り住み、その地域の活性化のためにさまざまな活動をする人を受け入れる制度。任務期間中の給与は国が負担するというものです。

 二唐刃物鍛造所では2017(平成29)年から2人の隊員を受け入れ、3年間見習いとして従事。隊員だった花村英悟さんと丸山敦史さんの2人は任期を終え、今は社員として働いています。そして、吉澤さんの弟・吉澤周さんも手伝うようになったほか、ナイフを作りたいと入社した清野雄輝さん、そして、2021年10月には鍛冶職人を目指す津畑俊宏さんが新潟から加わりました。

▲現在、刃物製造部門に在籍する6人

活気の戻った鍛冶場。様式にとらわれない発想を形に

鍛冶場ではお互いを切磋琢磨し、話し合いながら生産性の向上や技術を磨いていると言います。作業工程の見直しや、職人たちのスキルが底上げされ、一人でやっていた鍛冶場に活気が戻りました。また、効率を良くするためにこれまでの形式や様式にこだわらず20〜30代の職人たちの意見を聞き、取り入れていくことが必要にもなります。「すべてがいいことなのかと言えば別の意見があるかもしれませんが、社風として新しいことを積極的に取り入れようとしています」と吉澤さん。

 新しいアイデアがすでに形になっています。鋼ではなくステンレスの包丁にも挑戦。「津軽打刃物」では1200度の炉の中で、「鍛接(たんせつ)」と呼ばれる鉄と鋼を叩いて接合する技法が使われますが、ステンレスではさらに高い温度で焼き入れする必要がありました。電気炉を導入し、熱処理の方法や材料の購入ルートなどを調査。一人ではできなかったことが実現しています。地域おこし協力隊を受け入れたことが評価され、さらにそこから仕事が広がりつつあります。

▲作業の合間に相談しながら、自身の技術や工程の改善点を話し合う

伝統を引き継ぐために、会社としてのマネジメントが課題

しかし、生産に追われ、職人たちのマネジメントや鍛冶以外の業務管理といった仕組みまで整える余裕がなかったと吉澤さん。「地域おこし協力隊だった2人を任期後も引き止めるために、条件面の整備や労働環境の相談をしました。長く父と兄弟子といった少数の職人しかいなかった部署です。労務はまだしっかりとしていないと言わざるを得ない」とも。

 結果として2人は任期後も残り、会社としては生産体制を安定化させることができましたが、増える注文数に対応できるような管理やマネジメントは今後、しっかりとしていくことが必須となりました。吉澤さんは勉強不足を自覚。管理の方法や自分自身がさらに学ばなければいけないという意識を持ち始めています。

自分の力だけでどうにかなるような問題ではなく、今後もさまざまな人の力を借りて進めていかなければいけません。今までやってこなかったことを一つ一つやっていきます」。次世代の匠(たくみ)として期待される一方で、会社を継続させ、伝統をどう引き継いでいくかを模索する吉澤さん。二唐刀物鍛造所に勤務し始めて10年となり、継ぐことに否定的だった姿はすでにありません。

(弘前市編04に続きます)