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ロコワークジャーナル Vol.1弘前市編02.津軽塗の魅力をもっと伝えたい。職人とキュレーターの顔をもつ移住者がつなげる伝統工芸の新たな動き

ロコワークジャーナルとは…
各地を飛び回るロコワークメンバーによる取材レポートです。観光/テレワークよりも一歩踏み込んだ地域とのかかわりができないか?というロコワークが考える視点で地域を探し出し、地域のユニークな人や資産をレポートします。

弘前市編・前回記事では地元の起業家を支援する「Next Commons Lab弘前」の森田優子さんの活動をお伝えしました。今回は、津軽地方の伝統工芸・津軽塗を現在にアップデートしようという葛西彩子さんのお話です。

弘前市02.
津軽塗の魅力をもっと伝えたい。職人とキュレーターの顔をもつ移住者がつなげる伝統工芸の新たな動き

全国には会津塗や京漆器など30を超える漆器の産地があります。青森を代表する津軽塗は、1975(昭和50)年に伝統的工芸品に選ばれ、2017(平成29)年にはその色模様の多様性が認められ、重要無形文化財指定を受けています。漆芸分野では輪島塗に次いで全国2例目。その魅力に魅せられたのは、弘前の漆塗り工房・イベントギャラリー「CASAICO(カサイコ)」代表の葛西彩子さん。仙台から弘前に移住し、津軽塗の商品開発をはじめ県外出身者だからこそできる新たな取り組みにもチャレンジしています。

津軽塗の表現の奥深さに魅せられた葛西さん

葛西さんは宮城・仙台出身。子どものころから金属工芸に傾倒し、山形の東北芸術工科大学へ進学しますが、実習で知った津軽塗の奥深さに魅了されました。「漆でもメタリックな表現ができるという点が私にとって大きな驚きでした。漆といえば朱色や黒の器といったイメージしかありませんでしたが、津軽塗でできる表現はまさに無限大です」と葛西さん。

▲カサイコ代表の葛西彩子さん

 大学院卒業後は仙台で漆のスタジオを開き、漆塗り教室や漆作品の制作を続けます。転機が訪れたのは2008(平成20)年。結婚を機に弘前へ移住し、拠点を仙台から弘前に移します。津軽塗の産地である弘前に移住し、津軽塗のために何かできないかと立ち上げたのがカサイコでした。

弘前に、職人と作品が交わる拠点をオープン

 「カサイコを始めるまでの弘前の生活は、迷いのある時でした。外から来た人間が津軽塗のために何ができるのか、何をすればいいのかと悶々と考えていました」。

カサイコを始めた理由は一つではなかったと言います。弘前で活動する若手の漆塗り職人が独立するまでの間、自身の工房を持てず漆を塗る作業場がなかったという話を聞きました。「シェアできるような工房があれば、職人同士が集まり、刺激をし合える場にもなる」。そう考えた葛西さんは漆教室も開ける工房を作ることを考えます。

▲カサイコはセレクトショップとして津軽塗りなどを販売する

 一方で弘前に移住した当初、アート雑貨や小物をそろえたセレクトショップや作品を展示するようなギャラリースペースがなかったと振り返る葛西さん。「今にして思えばあったのかもしれないが、ホームページやSNSでの情報が今よりなかった時代です。店がないのであれば作ってしまおうと始めたのがカサイコでした」と話す。

 オープン当初のカサイコは制作現場とセレクトショップ、そしてギャラリースペースを備えた施設になりました。倉庫を改修し、葛西さんにとって弘前で始めた大きな一歩です。弘前に移住してから3年がたっていました。

▲使われていなかった倉庫を改修してできたギャラリースペース<カサイコ>


津軽塗の魅力とは。職人の探求心と技術が結実した表現力

津軽塗の最大の特徴は「研ぎ出し変わり塗り」という漆工技術にあります。漆で凸模様を描き、さまざまな色漆を塗り重ねて平滑に削り出すことで、最初に描いた模様と色の層が現れるという仕組み。下地を含めると40数回の工程と2カ月以上の日数を費やして仕上げられます。葛西さんによると、「唐塗」「七々子塗」「紋紗(もんしゃ)塗」「錦塗」の四技法が津軽塗では有名ですが、他にもさまざまあり、そのバリエーションの多さこそが他の伝統漆器にはない魅力があると言います。 

▲津軽塗りの技法のひとつ「七々子塗」

江戸時代に考案された「研ぎ出し変わり塗」は「鞘(さや)塗り」とも言われ、もともとは武家の刀の鞘を彩るために塗られてきました。模様や塗り重ね方、色などを工夫することで多様な表現が可能となります。葛西さんは「武士たちは自分の好きな色や模様を選び、自分らしいおしゃれを楽しんでいたようです。時代の流れの中で、何度も衰微に拍車がかかることもありましたが、職人の反骨精神と探究心、消費者のおしゃれへの憧れによって、津軽塗はいつの時代もハイカラでモダンな表現に挑戦し続けてきました」と解説します。


津軽塗の表現力を紹介するイベントを企画

そんな幅広い表現力を持つ津軽塗を紹介するイベントをカサイコ開業10周年に合わせて開催しました。弘前の漆芸家で2005(平成27)年に84歳で死去された藤田清正さんの生誕100周年を記念した漆芸展で、模様の見本として見せるためのプレート約500枚を展示。このプレートは藤田さんが若手職人たちの商品開発の参考になればと制作したもので、しばらくの間眠っていたものだったと言います。「見本例としてあったものだが、一つの作品として展示したところ想像以上に大好評で、ほかでもやってほしいという依頼もあった」と話します。

▲漆芸家で研究者の藤田清正さんが残した塗り模様の見本となる津軽塗手板500枚


過渡期に差し掛かる津軽塗への挑戦

漆として他にはない魅力と歴史があるにも関わらず、現在の津軽塗は担い手不足や高齢化の問題に加え、産業として伸び悩みがあり、大きな過渡期になっているのではないかと葛西さんは指摘します。

 「津軽塗はもっと可能性があるのにそのチャンスを生かしきれていない。若手の職人も増え、問屋もあり、先輩たちがあらゆるものに挑戦した製品や作品があるにも関わらず、弘前の地元住民ですらそれを知らないこともある。職人たちの一生懸命にがんばっている姿を見ているからこそ、それが一番悔しい」

 葛西さんは自分でしかできないことがあるのではないかと、さらに模索するようになりました。


異業種メンバーで団体立ち上げ、若手職人へ新しい活路を

2021(令和3)年1月に葛西さんは津軽塗の振興を目的とした団体「津軽漆連(つがるうるしれん)」を立ち上げます。所属するメンバーは約20人。40代を中心とした津軽塗り職人のほかに、弘前大学の講師やギャラリーのオーナー、研究所の職員、ライターやデザイナーなど。月一回ほどのペースで集まり、情報の共有や活動の悩みなどを話し合う場になっているそうです。

「津軽塗の団体は職人のみが所属する会などが主流だった。職人以外の人たちが関わることで、新しい動きができるのではないかと考えた。そもそも津軽塗の業界に若手の団体が今までなかった」と葛西さん。 

▲津軽漆連の打ち合わせの様子(葛西さん提供)

 青森県では津軽塗の職人の育成研修事業があります。3年間の研修を終えれば職人としての基礎知識を得られるという制度です。しかし、終了後は職人同士のつながりを作る機会はほとんどなく、作業はこもることが多いため他業種との交流は自分から探すしかありませんでした。津軽漆連はそういった交流の受け皿としての役割を担うものでもあります。

また、葛西さん個人の活動にも少しずつ兆しが見えるようになってきました。2019(平成31)年にピアスやネックレスなどに津軽塗を施したアクセサリーブランド「K A B A(カバ)」に参画し、商品の開発に着手。2021年10月には展示会を行うようになりました。葛西さんは「私にできることは漆を塗ることではなく、商品開発のサポートに力を入れていくことでした」と話します。

 10年というカサイコの活動があったからこそできたこと、と葛西さんは振り返ります。カサイコを通じて職人との交流が生まれ、さまざまな悩みや課題を打ち明けてもらえるようになりました。その中でデザイナーやプランナーが入った津軽塗の商品を開発する場合、漆を知らないオファーや相談があり、難航してしまうことも多々あったという話もあったそうです。「自分にできることは職人には作ることだけに集中してもらえるよう制作以外の雑務は私が行うなど、その間を取り持ち、双方にとって気持ちの良い仕事ができるようなお手伝いをすることかもしれない。職人としての知識やカサイコを続けてきたキューレーターとしての経験がある私ならできると感じています」と葛西さん。

 現在は津軽塗に関する情報を一元的に見ることができるポータルサイトを構想中で、次々と取り組むべき課題が津軽漆連の活動から見えてくると言います。葛西さんは「カサイコも10年の中で形を変えながら継続しています。時代やニーズに合わせ、さまざまな人たちの知恵を借りながら、できることをこれからも続けていきたい。津軽塗をキーワードにいろんな繋がりを作っていけたら」と意気込みを語っていました。

  (弘前市編03に続きます)