絵を描くのが苦しいのに、私はなんのために絵を描いてるんだろうなという話
はじめに
これを書いたのは、仕事をしながら趣味で絵や漫画を描いているアラサー女です。題名は分かりやすく絵にクローズアップをしましたが、文章内では引っくるめて『創作』に対して書いています。
最近Twitter界隈で賑わっていた話の出処は詳しく分からないのですが、創作について本気を出して考えてみたら長くなってしまいました。
AIが原因のひとつでもあるかもしれませんが、今回は触れないでおきます。
※人名はすべて敬称略とさせていただきました。
私は絵を楽しんで描けない絵描き
絵を描くのがつらい。描いていても楽しいと思えないし、描いていて楽しかったのってどんな感じだったのか、もう思い出せません。最初は楽しかったはずなのに。
絵は楽しんで描くべきという意見はご尤もですが、ならば楽しんで描けないのなら描いている意味なんてないのでしょうか。そんなに苦しいならやめちまえと自分でも思いますが、私は楽しく描けないのに、描くことをやめられずにいます。この思いを捨てられたらどんなに楽だったか、そんなことを思っている仲間に届くことを祈って書きます。
いつから絵を描いているのか?
幼稚園時代
幼稚園児のときにはすでに絵を描いていたようです。どうして描き始めたのか理由はもう定かではありませんが、おそらく園内のイベントでお絵描きをする時間があり、その時に初めて描いたのでしょう。
夜、足元にさくらんぼが咲き乱れる中、ハートの風船を持っている女性立っている絵ですが、ちゃんと人間の形はしているようです。
小学校時代
親が保管していてくれました。もうイラストの体を成している。我ながらすごい成長です。しかし眉毛にも睫毛が生えています。
私は外で遊ぶのが苦手だった子どもで、放課後は友達の家で人形遊びをするか、帰宅してひとりで絵を描いていたタイプでした。よく祖母に「またデコ(方言で人形の意)ばっか描いて」と呆れられましたが、構わず祖母のいるリビングで絵を描いていました。
親は絵を「見せて」とも言わず褒めることもしませんでしたが、すごく協力してくれていました。父は新聞に挟まっている裏が白いチラシをお絵描き用にくれたり、母は不要になった罫線入りの紙を500枚くらい繋げた自作のお絵描きノートを何冊もつくってくれたりしました。そこに紙と鉛筆さえあれば、罫線が入っていようとチラ裏であろうと問題ありませんでした。
NARUTO
NARUTOに出会ったのは小学3年生くらいのときで、私が一番影響を受けた漫画になりました。クラスの男の子たちは印を結ぶ練習をし、教室で忍者ごっこが行われていました。ずっとNARUTOの模写をしていました。いまでいう『沼』というものに浸かった瞬間で、なんとなく「漫画家っていいな」と思い始めていました。
Windows XP
小学5年生の頃、パソコンが我が家にやってきました。当時は固定電話の回線からダイヤルアップ接続でインターネットへ繋げており、よく母から「電話をしたいからインターネットを切ってくれ」と言われました。
パソコンにはまだお絵描きソフトが入っておらず、絵はお絵描きBBSでマウスを使って描いていました。
同人界は個人サイト全盛期で、検索エンジンで漫画やアニメの名前を検索すると同人のサーチエンジンがヒットしてしまう時代でした。Pixivはもちろんありません。なにも知らない子どもの私は、うっかり同人サーチに辿り着いてしまい、男同士のCPの存在を知り、小学生にして腐女子へ転落しました。
腐女子の坂を転げ落ちると同時に、二次創作という世界があることを知ったのも、自分で二次創作することを始めたのもこの頃でした。Microsoft Wordで小説を書いた記憶があります。なぜだか書かずにはいられませんでした。これが私の『二次創作』の始まりです。
ペンタブレット
マウスで絵を描く私に見兼ねたのか、クリスマスプレゼントにワコムのペンタブをもらいました。ペンタブに付属されていたAdobe Photoshop Elementsで絵を描き始めました。
個人サイト
好きな個人サイトを見ているうちに「私も個人サイトが欲しい」と思い始め、親に内緒でホームページの作り方を調べ、内緒で親のメールアドレスで無料のレンタルサーバーを借りて、内緒でホームページをつくって、内緒でアップロードをしました。親はきっと気付いていただろうとは思いますが、特になにも言われませんでした。なにも言わず自由にさせてくれたことに救われていました。
中学生時代
ノートパソコン
私がほぼ独占していた家族共用のパソコンは階段の踊り場にあったのですが、それも見兼ねたのかクリスマスプレゼントにノートパソコンを与えてもらいました。ダイヤルアップ接続からADSL接続に変更もしてもらえました。ありがたい限りです。
将来の夢
漠然と「漫画家っていいな」と思っていましたが、この頃はホームページをつくるのが楽しくて、だんだんと「Webデザイナーっていいな」と思うようになっていました。
高校生時代
絵を描く友だち
中学には周りに絵を描く友だちがいなかったのですが、高校は似たような子たちが集まったクラスだったので、絵を描く子やコスプレをする子がいました。休み時間に友だちと集まって絵を描いていました。オタクばかりのクラスだったので変な目で見られることもなく、周りの環境に救われていました。
Twitterも、3年生の頃に友だちから「一緒に始めようようよ」と言われてから始めました。クラス内にクローズドのmixi型SNSが存在していたが、卒業を機に閉鎖になるため、代わりとして挙がったのがTwitterでした。初期のTwitterはタグもなけりゃ引用RTもない、トレンドもない、リストもない、ブックマークもモーメントも予約投稿も投票もなく、画像は一枚しか投稿できなかった記憶があるので、いまほど積極的には使っていませんでした。
お絵描きソフトはAdobe Photoshop ElementsからペイントツールSAIを使うようになっていました。
同人イベント
『おでかけライブ』は友だちと一緒に一般で参加した、初めての同人イベントになりました。その後、その友だちとサークル参加もしました。リレー漫画形式のコピー本で、確かジャンルはヘタリアだったと思います。
夏のインテにも友だちが誘ってくれたので同行しました。
美術部
部活中に漫画を描いていた絵の上手い先輩がいました。私は油絵を描いていましたが、キャンバスが乾くのを待っている間は落書きをしていました。人前で原型を留めていない二次創作はもはや描けず、オリジナルキャラクターを描いていました。そこが『一次創作』の出発点になりました。
大学受験
絵を仕事にすることで、描くことを嫌いになりたくないと思い始めていました。この頃はたびたび「思ったように描けない」と思う時期があり、描けないことが怖かったんだと思います。趣味を仕事にするのではなく、特技を生かしてWebデザイナーになろうと決めました。母に「四大卒の肩書を付けて欲しい」と言われ、奇しくも絵を仕事にするつもりはないものの、美術部の先生の薦めで美術系の大学へ進むことにしました。
受験で必要科目だった静物デッサンを学ぶために画塾に通ったことで観察眼が身に付いて描ける絵が増えたと同時に、自分の絵に満足できなくなり、やっと「絵が上手くなりたい」と思うようになりました
大学生時代
進学を機に一人暮らしを始めました。大学には絵の上手い子がたくさんいました。私なんてまだまだだと気付けたし、個性的な子ばかりの学部生に刺激を受けました。友だちとはおすすめの漫画を交換し合ったり、ルーズリーフに4コマ漫画をリレーで描いたり、描くキャラと描き手をくじ引きで決めて提出し合ったりしていました。
デザイン学部だったので絵を描く授業はデッサン以外にはなかったのですが、色の使い方やバランスの取り方などのデザインの勉強をした結果、絵も比例するように上達していったのは確かです。
在学中はずっと描き方を模索していました。精神的に不安定だったんだろうなと思われる絵もたくさん残っています。
初めての同人誌
大学2年生頃に初めてオフセットの同人誌をつくりました。ヘタリアでした。記憶が定かではありませんが、私自身はイベントには参加せず、サークル参加する友だちへ委託したような気がします。HDDのデータを一度全部飛ばしたので漫画のデータは残っておらず、本はもう手元にはありません。
ジョジョの奇妙な冒険
初めてオンリーイベントへ参加したのがジョジョでした。欲しいアンソロジーが個人通販をしていたので申し込んだところ、主宰者が近くに住んでいたことがきっかけで仲良くなり、何度もイベントへ一緒に参加しました。同人誌は2冊くらい出しましたが、いずれも短編集でした。
鬼灯の冷徹
自分の好きなもの、描きたいもの、『性癖』を発見したジャンルでした。描きたい欲が止まらず、毎日絵を描いては妄想をTwitterで流していました。
このときは精神的に不安定で、漫画を描きたいと思いながらも学業と就活が忙しいことを言い訳にして、描けない自分を許すことができず、描こうと努力することもできずにいました。
一次創作
鬼徹の影響と、在学中に能楽を観た影響で、『能』『歌舞伎』『狂言』を擬人化したものが現在も続くオリジナルの和創作の基礎になりました。名前はまだなく、「能さん」「歌舞伎さん」「狂言さん」と呼んでいました。
社会人
わたしは夢だったWebデザイナーとして会社に就職しました。
そのときに活動していた二次創作のジャンルに身を置いているのが苦しくなり、二次創作をスッパリやめました。金銭的にも余裕が出て精神面も安定し、心機一転して絵を描くソフトをペイントツールSAIからCLIP STUDIO PAINTへ変えました。理由はやっぱり漫画が描きたかったから。漫画を描くにはSAIよりクリスタの方が適していたためです。
オリジナル
一次創作をしているうちにコミティアというイベントがあることを知り、コミティアに出るべく漫画を描きました。初めてプロットを書き、初めてネームを切り、初めてストーリー性のある漫画でした。すごく楽しかった。「これだ!」と思いました。久しぶりに「創作って楽しい!」とも思いました。
おそ松さん
二次創作に舞い戻る原因になり、私の人生を変えたジャンルでした。当時付き合っていた彼と喧嘩別れをして、人生どうでもいいと怒り狂っていた直後でした。残業が月50時間を超え社内の「残業が多い社員ランキング」に名前が掲載されようと、体力と気力だけはあり余っていたので、イベントは東京・大阪・福岡を行脚し、イベント会場からイベント会場に宅配便を送り、2016年から2021年までにアンソロ主宰3回、ゲスト寄稿12回、個人本18冊、合同本6冊の同人誌を出しました。もう二度とこんなに活動できるジャンルはそうそう現れないと思います。
友だちやフォロワーと作業通話をしながら討論をして、考察をして、それでも描きたいことが毎日増えて、描いても描いても描ききれず、描いているだけは煮詰まるので映画を観て、小説を読んで、参考資料を買い、旅行へ行き、写真を撮るようになりました。絵が上手くなりたいだとか漫画が上手くなりたいだとかを考えている暇もなく、描かないと先に進めないから描いていました。
創作をしていて一番モチベーションが上がる瞬間は「私って絵がうまいな」や「この私が描いた本、めっちゃ解釈に合う」と思ったときだと私は思うのですが、それに至ってしまいました。永久機関の完成です。私が描けば私は喜ぶし、私が描かなければ私は喜べない。
書ききったと思ってしまったのか、この本がおそ松さんで出した本の最後の同人誌になりました。300ページに近い小説本でした。コロナ禍だったというのもありますが、結局イベント頒布はせず通販のみになりました。書きたかった全ての集大成だと勝手に思っています。
あと、ここで一旦小説を書くのは据え置いて、漫画をに専念しようと思いました。
ネームを切ったのに完成させられなかった本はあります。いつか描きたいとは思っているのですが、なかなか腰が重いのが現状です。やはり満足しちゃったのかもしれませんね。
この表紙、自分で言うのもなんですが、めちゃくちゃかっこいい。
このあたりで転職をしました。
くわしくは上記のnoteを参照。
ツイステッドワンダーランド
友だちの影響でツイステを始めました。それまで自分の絵柄とか個性とか味みたいなものを大切にしてきたのですが、このとき改めて感じたのは『絵のトレンド』の存在でした。流行りの絵柄、人気のある描き方、トレンドのカラーなどさまざまありますが、久しぶりにアップデートしなきゃ駄目だなと思わされました。どうしたって自分の絵が流行りの絵ではないことは確かだったので、自分が「いいな」と思ったものをさり気なく取り入れました。
同人誌も一冊だけ出しました。出したことで結構満足したのもあるのですが、コロナ禍になり嵐の休止が私の中でとても消化しきれるものではなく、創作している気力がなかったというのが正直なところでした。
上記のnoteでも触れているのですが、創作は『アウトプットする趣味』です。でもアウトプットだけしていても煮詰まってしまうため、私は『インプットする趣味』も必要でした。嵐を心の支えとして映画を観て、小説を読んで、参考資料を買い、旅行へ行き、写真を撮ってインプットをしていました。コロナ禍と嵐の休止が一度に襲って来たため、インプットできなくなったことでアウトプットする気力が失われ、精神的につらい日常を過ごしていました。それを救ってくれたのがVtuberだったのですが、それは上記のnoteに全部書きましたので合わせてどうぞ。
商業BL
私の同人誌を読んでくださった担当さんから、「ぜひ描いてみませんか」と声をかけていただき、商業BLを描く機会を与えていただきました。いままで「自分が描きたいと思ったものを自由に描く」ことを二次創作でも一次創作でもしていましたが、読み手を意識して描くことや、一定のクオリティで仕上げることはとても良い経験になりました。ただやはり仕事ですので、自由に描けないという制限の中で描くのはなかなか難しかったです。ですが、仕事にして嫌いになりたくなかったと思っていたことを、仕事にできたのは大きな財産になりました。
正直、『漫画描き』としての画の力というのは、ここで一段階上がった気がしています。
2023年現在〜
次回の商業漫画の連載準備の間に、また二次創作を描き始めました。
うん、なんか、上手くなったような気がしています。私の頑張りは無駄じゃなかったんだなと最近になってやっと思えることができています。
なぜ絵を描いているのか?
言いたいことが言えなかったのに、言いたいことが山程あったから。
絵は私にとって自己表現のひとつでした。悲しいことがあったから泣いた。私は泣く代わりに絵を描いた。
生きていると言いたいことがあっても、自分の気持ちを素直に伝えることができない状況は必ずあって、言わなくても私が我慢すればいいかと諦めて、誰にもなにも言えませんでした。その感情をぶつけた結果が紙と鉛筆でした。絵はその副産物でできたもので、単純に絵を描くのが好きだったからという理由だけで、私は絵を描いているわけではないんだろうと思います。
私は絵が描けるから絵を取捨選択しましたが、小説が書けたら小説を書いているだろうし(現に書きました)、歌が歌えたら歌を歌っているだろうし、楽器を演奏できたら楽器を演奏しているだろうし、音楽がつくれたら音楽をつくっているだろうし、映画がつくれたら映画をつくっているだろうし、踊れたら踊っているだろうし、走れたら走っているだろうと思います。
きっと表現先の媒体はなんでも良い。
なんのために絵を描いているのか?
ストレス発散のためです。
言いたいことが言えないのに、言いたいことが山程あるのはめちゃくちゃストレスです。絵を描くことでストレスを発散しているのが私の創作の根本です。
描かないと先に進めないから描いていたのは、きっと抱えて進むには重荷すぎたから。私は締め切りというゴールがないと創作ができないタイプなのですが、その締切がストレスになって、さらに創作しないとやってらんない病になるという、馬鹿みたいな創作サイクルを繰り返していました。締め切りのストレスは脱稿のみで発散可能です。馬鹿の永久機関です。
もともと頭の中でごちゃごちゃ考えてしまう性格で、そのくせそれが結構なストレスになっていて、定期的に気持ちを整理してスッキリさせないと苦しいんです。だからこうやってnoteを書いています。吐き出さないと発狂して暴れて、平気で他人を傷付ける人間になっていたかもしれません。
そもそも死ぬことが人生のゴールだとしたら、死ぬまでに手にしているものを全部捨てて身軽になりたいわけです。未練のない状態とも言えます。でも、生きているとどんどん荷物が増えます。定期的に断捨離が必要になります。その断捨離が私にとっては『創作』です。旅路の途中で溜め込んだものを放出する、抱えているものを手放す、重荷を降ろす、気持ちをリセットする。そのために私は創作をしていて、その思いに一番適していたのが漫画でした。なので私は漫画を描いています。
創作することは生活の一部である
絵を描いていなかったときの記憶はもうないので、幼稚園児のときから絵を描いていれば、それはもう生活の一部かもしれません。呼吸と一緒です。
またはストレスが溜まったので今日は甘いものを食べちゃおうとか、カラオケに行こうとか、お酒を飲もう、煙草を吸おう……、そんな位置づけに私の創作があります。
疲れないのかと言われます。疲れます。疲れるけど創作しちゃうんですよね〜。絵が描けないときはメモ帳にネタだけ書いています。本当に疲れたときにはアウトプットではなくインプットする趣味をします。温泉旅行とか山でリフレッシュすると創作意欲が湧きます。
創作することは孤独であり苦痛である
創作がしたいだけで絵を描きたいわけではないのですが、漫画は描きたいんです。でも漫画を描くには絵を描かねばならない、苦痛です。あんまり分かってもらえない苦痛なので共感もなかなか得られず孤独です。AIが自分の絵柄で漫画を描いてくれたら良いのにと思う今日この頃です。AIの話は掘り下げないと宣言したので、これ以上は言及しません。
最初に述べたように、そんなに苦痛なら絵を描くのをやめたらいいじゃんと言われます。でももう生活の一部になっているので捨てられないんです。絵を描くことすら手放せたらきっと楽でしょうけど、もはや捨て方も分からない。だって絵を描いていないっていう生活が分からないんですから。絵を描くのをやめたとて、そのうちまた描き始めるんです、こやつは。
ストレスを発散できずにいる苦しみより描く苦しみの方が楽なので、絵を描いてしまうんだろうと思います。
苦しいけど絵は上手くなりたい
幼稚園の頃と比べたら、確かに絵は上手くなりました。でも、絵が上手いっていうのはどういう状態を指すんでしょう?
自分がいま現在描ける範囲で描けて、なおかつそれで楽しいし満足しているのなら、上手くなる必要性はないんじゃないかと私は思うんです。高校生までの私のことです。
絵は単純に「上手」や「下手」では片付けられないものだと思います。ただ、上手であれば自分の描きたいものが描けるし、より簡単に自己表現ができるようになり、より的確に相手に思いを伝えられたり、評価がもらえたり、ファンが増えたり、ちやほやされたりすると思います。そういう意味では下手より上手である方が良いと言えると思います。
私が、絵が上手くなりたいと思うのは現在に満足していない証拠ででした。「こんな絵が描きたいから」とか「あのひとみたいになりたいから」とか「イラストレーターとして成功したいから」とか、絵が上手くなりたい理由や目的は様々あると思いますが、私は明確に「描きたいものが描けないから、描けるように上手くなりたい」でした。私は自己表現ができるほどの表現力が欲しかった。そのために絵は上手くなりたかった。
なぜ描くのが楽しくないのか?
絵を描くのが上手になったからと言って、楽しく描けるようになったかと言えば、それは別問題でした。
絵が下手なので楽しくないひとはいると思いますが、絵が下手でも描くこと自体を楽しめるひともいるでしょう。下手なひとも絵を楽しんで描いて良いので、下手だから描くなと言うことは決してありません。創作は自由ですもん。自由に描くべし。
自分の絵に満足していた高校生までは確かに楽しかったんです。おそらくいまが楽しくなくなってしまったのは、練習中だか修行中だか、そんなことだろうと思います。なので私はもっと描けるようになるはず! そう信じているので、苦しくても頑張れるのだと思います。こうやって頑張れるのも才能のひとつだと思います。きっとそうであれ。いつかこの苦しみから脱却して、「わー! お絵描き楽しいー!」になりたい。いや、絶対来る。そう思いたい。そうじゃないとこんなことやってられない、ストレス、わわ、早くなにか描かないと……。
「楽しくなかったときなんてないよ」というお絵描き星人は高橋留美子だけであれ。天才と凡人は比べられない。私は凡人なので苦しさを耐えてこそ。
やはり修行僧なのではないか、私は。早く悟りが開けないかな。
承認欲求との戦い方
私は承認欲求とは違うところで戦いながら絵を描いている自己完結型の人間です。こやつは親に「描いたから見て〜」すらしなかった。あまり参考になりません。
承認欲求は気にしないのが一番だと思うのですが、個人的に承認欲求に囚われているひとは、いつか絵を描くことをやめてしまうひとなんじゃないかと思っています。絵の世界で生き残るにはちょっと残酷なような。
おすすめなのは絵以外のことでその承認欲求を埋めることだと思います。そうしたら幾分かは開放されるんじゃないでしょうか。そもそも、創作の承認欲求の苦しみって、創作の苦しみとはまた別物なんじゃないかと書きながら思いました。苦しいと思いますが、そこは自認して受け入れないといけないのではないかなと思います。詳しいところは分からないです、共感できたら良かったのですが……。
そう考えると『同人女の感情』、すごいですよね。面白くて好きなので積極的に追って本も買いましたが、共感できる創作形態の同人女がおらん。共感できなくても好きなので全然良いんですけど、みんなすごく情熱的だなあと思います。周りばかり気にして苦しくないのかな? なんか、やはり創作する土台自体が違うつくられ方をしているのではなかろうか。
いろんな感情のひとがいるのは創作の参考になります。対岸の火事。
ちやほやされたい
ちやほやされたあとの目標を新しく定めた方がいいんじゃないかなと思います。おそらくちやほやされたくて、実際にちやほやされたところで、それだけで満足できる体ではなくなってしまって、余計につらくなる気がしています。
人気者になりたい
人気者になるには人気者だと思っているひとの分析、トレンドの把握、色の使い方、なにがひとの感情を突き動かしているのか魅力の調査、見栄えのする構図、デザインセンスを磨く、心理学とか黄金比とかフィボナッチ数列……とか、絵の他に学ぶべきことがいっぱいあるんじゃないかなと個人的に思っています。
友達が欲しい
ネット上で友達をつくるのもリアルで友達をつくるのも、自分から話かけてコミュニケーションを取る工程は一緒でした。共通のジャンル外の話もできると良いんじゃないかなあと思います。
反応・感想が欲しい
残念ながらもらえないことを前提にしていた方が幸せだと思います。
自分よりあのひとのほうが人気なのが許せない
比較しない方が幸せだと思うので、ブロックしましょう。自分のためにも目に入れないのが一番だと思います。
解釈が違う
自分の解釈でぶん殴るしかないです。少なくとも、私はそうやって生きてきました。
それはともかく創作のすゝめ
創作は良いものです。自分の欲しいものが自分の手で生み出される喜びは、なにものにも代え難いものです。これが欲しいのに全然見つからないなとか、あれが欲しいのにどうして誰も魅力に気付かないんだとか、そんな欲求不満を解消できます。自分の欲望を埋められるのは自分だけです。
同人誌は形に残るので良いですよね。私は夢だったWebデザイナーになりましたが、どんなに頑張って自分がデザインしてもWebは残らないんです。期間限定サイトは期間が終われば閉鎖されるし、新しいものに上書きされて置き換わっていきます。ちょっとそれが寂しかったので、形に残る印刷物が羨ましかったんです。だから同人誌はいいぞ、頑張りを残せる。
一次創作でも二次創作でも大丈夫です。気軽に始めてみましょう。二次創作なんてと思っているあなたは、歌川国芳の『風俗女水滸伝』を見てみましょう。『水滸伝』の二次創作の女体化パロです。暴論ですが現在あるものは大抵江戸時代にもあります!
さいごに
気軽に創作を始めたところで描きたいものを描ける力や、書きたい情景を書ける力は一朝一夕で身に付くものではないので、日々精進あるのみですなと思います。
私は描きたいものがなくなるまで、苦しくても描いてしまうだろう人間です。そして苦しくても頑張っている自分が好きなんです。それもやめられない理由かもしれないですね。絵を描くのが楽しいからという理由で描いていられたら良かったなと思いながら、こうやって苦しみながら創作をしている仲間がひとりでもいたら嬉しいな。
1万字。書いたらめちゃくちゃスッキリしました。スッキリするの、気持ちが良いものですよね。
やはりそれが全ての原動力なのかも。