#19 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~
第11章 生きること、死ぬこと
注射の拒否
9月に入り、ご飯を食べなくて注射が打てない日も出てきた。
足は力弱く、前足は何度もガクッと崩れる事が増えた。
意地のようにお散歩を54分歩く事もあったが、左に寄って行きフラフラしていた。
注射への拒否反応は日に日に凶暴になり、注射を始めてキッチリ100日目。
ジュビ子は注射をしないと決めた。
断固として打たせない。近づかせない。
吠える、噛む、逃げる。
翌日、病院に相談するも、力づくでも押さえつけて何としても注射を打つしかもう方法は無いんだよと言われる。
私もそうしたい。
でも、頭を過ぎる。
私は自分の延命治療は拒否したい。
口から食べられなくなった時、胃瘻をするつもりは無かった。
ME/CFS重症患者で、胃瘻をしている方。体重は20kg台になり、24時間の点滴が必要と聞いた。
イギリスでは若い女性が尿の生成が出来なくなり、脱水で亡くなった。初めてのME/CFSが死因と認められた例だった。
ジュビ子に一秒でも永く生きてほしいと思うのは私のエゴかもしれない。
私も痛みや苦しさは知っている。
ジュビ子の方がとても重いとは思うが。
その苦しみを、半端に延ばして命を繋ぐ注射を、100日して
「絶対に受けない」という強い拒否の態度を示してきた。
そこには、もう、痛くて嫌な治療法をやめて欲しい。これ以上インスリンの量が増えるのは嫌だ。
という事なのか、
私が注射をするのが怖くて嫌で、その思いが伝わり「そんなに嫌ならやってくれなくていい!」という事なのか、もしくは「そんな想いをさせるなら自分がかみついて暴れて打てないという状況を作って、打てなくても仕方ないと思わせる現実を作ってあげる」という、どこまでも私想いの行動なのか。
それでも、打たなければ死ぬ。
何もしないで見過ごす事も、極度に辛くて怖い。
ネットで何か無いかと探し続けていると、注射が出来ない犬に薬を出してる病院がある事を知る。
すぐにジュビ子を連れていった。
今までのインスリンの打ってきた記録を表にして、体重の移行や食欲、下痢、散歩の情報などもまとめて、パソコンが出来ない私は全て手書きで、もう頭が回らないけれど、必死に書き上げた。
色分けをして分かりやすくする工夫もした。
しかし、努力も虚しく、
「ここまで多いインスリンを打っても下がらないのに、飲み薬で効くとは思えない。
飲み薬自体が、効果を期待できるものでもない。
医師が打てば注射を打たせてくれると言っても、毎日ここへ通うのは、お母さん(私)が限界でしょう。
お金も安くはないですよ。注射となると。」
と告げられる。
ああ、本当に障害年金の不支給が憎かった。
そして、働けない自分の身体を呪った。
大切な子を救う為に働く事さえ出来ない。
そしてまた、私の体も限界が来ていた。
ジュビ子の少しの変化も見逃したくなくて、夜はジュビ子が眠るまで、寝ることが出来ずにいた。
それは朝方になる事もある。
朝になれば両親が起きてくるので、交代して私が眠ることが出来たが、7時にはご飯で8時には注射だったので、2時間睡眠などもよくある事だった。
このまま行けば、私が先に倒れるかもしれない。
けれど、注射を完全に辞めれば急速にジュビ子の体は蝕まれる。
ここでまた、レイキヒーリングをして頂いた方に相談した。
注射を拒否する為に凶暴化してしまったこと。家に入らないこと。
すると、少しだけ話が出来るからと、ジュビ子に聞いてみてくれた。
ジュビ子は沢山話したのか、一言しか話さなかったのか、
その方からは「とにかく注射が嫌らしいです」とのみ返事が来た。
悩みに悩んで、私がジュビ子なら…
と思った結果、注射を辞める事にした。
それがどう言う意味かはわかっていた。
けれど、「正しい飼い主」である前に、ジュビ子がジュビ子の生き方を選べる事も大切にしたかった。
私なら、治療法は自分で決めたいから。
自分が「ここまでで良い」と思ったら、それ以上の延命治療は望まないから。
「注射を辞めようと思う」と、その方に告げると
「それで良いと思います。本人の意思もあるから…」と言って頂けた。
決めるのは飼い主になってしまうけれど、常識として、や、飼い主の責任として、だけの観点ではなく、生命の尊厳や魂の意思の話が出来る方に、相談出来たことは本当に心強かった。
それでも、最後まで本当に良かったのか?正しかったのか?
の迷いは拭いきれなかった。
9月25日
治療を始めてから120日目。
カリカリは食べなくなっていた。
ジュビ子の大好きなオヤツだけは食べてくれた。
お散歩は、もう、門の一歩外まで。
お昼から水を飲みまくって吐きまくる。
22時55分~0時20分、特に水を飲みまくり吐きまくる。
水のボウルの中に吐き出すようになる。
水の前に座ってる。
2時、動かずに吐いてる。
3時、車の横に移動して目を開けたまま伏せてる。眠れないみたいだ。
9月26
朝イチで病院へ電話。
痛みを和らげる何か注射とか出来ないか相談するが、今の状態になると、もう何をしても苦痛を延ばすだけでかわいそうだ。
安楽死をしてあげる事も考えた方が良いのでは。と告げられる。
ずっとジュビ子の頑張る姿を見てきた。
もう限界をとっくに越えていることは頭ではわかっていた。
けれど、心では理解出来ていなかった。
まだまだ、頑張れる。
「その日」はもう少し先だと、思っていた。
安楽死
その選択をまた、飼い主がしなければならない。
今日だけ様子を見て、判断させて欲しい。
そう思い、できる限り傍で見守ろうと努めた。
9時、家の周りを2周回る。
水をがぶ飲みし、あちこちに吐きながらも、家に結界を張るように、わんわんパトロールをするように、記憶を焼き付けるように、ゆっくりとしっかりと、隅から隅まで歩き始めた。
私は後ろを付いて回った。
12時、大好きなマグロの刺身も食べない。おやつも要らないと受け付けない。
12時半、玄関先に横になって寝る。
ゆっくり眠らせてあげようと一度私は家に入る。
1時間毎に見に行く。
白い曼珠沙華の横でオシッコをしようとして出ていない事に気づく。
慌てて声をかける。
「ねえ、それ、私の病気じゃない?絶対に持っていこうとしないでね。それ、私のだから、大丈夫だからね。」
ジュビ子はちゃんと目を見つめて聞いていた。
尿の生成が出来ない…それで水をがぶ飲みしたら……
いよいよ、もう、安楽死をさせてあげなければいけないのかもしれない。
こんなになっても頑張って生きてる理由が私についていてくれる為だったら?
こんな小さな体で苦しみをずっと我慢して、頑張って頑張って、それでも安楽死を決めるのは私の役目でしかない。
どうしたらジュビ子が1番幸せか?
痛みを早く解放してあげることなのか。
ジュビ子が決めたその瞬間まで寄り添って見届ける事なのか?
わからない。決められない。
そんな事を言ってる場合ではない。
目の前で水を飲んでは泡や液体を吐き出してる姿に、痛みと悔しさが込み上げた。
苦しい筈なのに苦しさを見せないでぴちゃぴちゃと水を飲んでは「何でもありません」みたいな顔をしてみせる。
もう、ダメだ。私が決断しなければ。
私は一生懸命笑ってジュビ子に言った。
「仕方がないよね。もう、サヨナラするしかないか」ニッコリ笑って言った。
ジュビ子はそれを聞いた瞬間に、ハッとした顔をして、嬉しそうにジャンプをした。
え!痛いでしょ?苦しいでしょ?飛んだらダメだよ。
ジュビ子はキラキラと目を輝かせて「遊ぼう!お散歩行こう!」と「ほら、こんなに元気」と言ってきたのだ。
私はジュビ子の前で泣くのを堪えた。
ジュビ子は生きる力でみなぎっている。
安楽死なんて考えてもいないのだろう。
「何言ってんの?こんなに元気だけど?」
もう、完全にムリがあるのだけれど、私はその演技派女優のような芝居に乗ることにした。
お散歩行くの?待ってて、用意するからね。
リードとお散歩バックを持ってきて、首輪を繋ぐと、ジュビ子は嬉しそうに何度もジャンプして、門へ走り寄った。
でも、門を開けると一歩も歩かなかった。
もう、歩けるはずは無かった。
私は「あれ?行く気なくなっちゃったの?しょうがないな~。じゃあ、また今度行こっか」と笑って片付けた。
ジュビ子はどっと疲れたように、フラフラともう歩く事もままならず、ヨロヨロと移動しては、座った。
16時20分、庭の真ん中に移動。寝そうで寝ない。
19時半、車の横で伏せ。
20時、家にいるといつものようにすりガラスに白い影が映った。
父親が「ジュビ子来たぞ」と言った。
そんなわけないと目を疑ったが本当にジュビ子は、もうそこへ登れる筈のない体でそこまで挨拶をしに来ていた。
ドアを開けると、どす黒い赤茶色の液体を口から吐き出しながらそこまでたどり着いた跡が足元に広がっていた。
ジュビ子。もう20時だから病院閉まっちゃったよ。
何で今こんなに赤茶色の液体を吐き出すの。
もう少し早かったら迷わずに安楽死を選んで連れて行ってた。
もう、明日の朝まで待つしかないのに。
すぐに抱き上げて家に上げた。
両親に挨拶に来たようだった。
皆になでられ声をかけられると、また外へ出たい!とドアへ向かった。
抱き上げて外へ出すと、いつもの寝る場所まで移動して横になった。
少し寝たいのかな?と思い、「また来るからね」と声をかけ家に入った。
22時半、そのままそこで寝ていた。
23時、探してもいない。
庭中探し回ると、赤い曼珠沙華の横に倒れていた。
周りには水が撒かれたように濡れていて、きっとジュビ子が吐いた液体だろう。
その赤い曼珠沙華の下には、チビが埋まっていた。
そこを選んだのだろうか?
ここで、眠りたいと思ったのだろうか?
家に連れていくのは、私のエゴだろうか?
2~3分迷ったが、どうしても1人で庭で逝かせることは出来なかった。
「ごめん、お家に運ぶよ」そう声をかけてジュビ子を抱き上げた。
20kgで重くて持ち上げるのが大変だったジュビ子は、こんなに軽くなっていた。
私でも持ち上げられるよ。家まで運べるよ。
長い夜
ジュビ子は家に上げられるとキョトンとた顔で、え?家?という顔をして外に出ようとしていた。
ジュビ子、お願いだよ。家に居て。一緒に居させて。
何度も頼んだら、仕方なさそうに部屋をウロウロしてから落ち着いてくれた。
痛みや苦しみで眠れそうにないのか、横になる事も出来ずに伏せの状態で息は荒い。
私の判断が遅かったから、最大限の無理をさせてしまっていた。
もう、明日の朝は一番で病院へ連れて行こう。
安楽死をお願いしよう。
それまでどうか、痛みを少しでも和らげられるように。
そう祈るしかなかった。
ジュビ子を撫でながら、何も言えずにただ寄り添っていた。
2時、急にジュビ子が歩き出した。
そんな力をどこに残していたのか、ビックリするほどに。
そんなに歩いたら、また血を吐くかもしれない。
ジュビ子、、じっと寝てて。と言う言葉も聞かず、テーブルの周りをぐるぐる周り始めた。
いよいよなのかもしれない。
ジュビ子は何かを確かめるように、何かを伝えるように、想いを残すように、父親の席、母親の席、そして私の席ではよく一緒にくっついて寝ていた所でお座りをして、噛み締めるように思い出すようにそこで止まっていた。
その後ろ姿から、これ以上ない愛が溢れていた。
ジュビ子が父親の所でばかり寝るようになって寂しかった事も、注射を拒否してからは噛み付いてきたり吠えたり、家に入らないと逃げ回ったり、近づかれるのが嫌そうに見る目も、私は疎まれているのだろうか?とすら思った時もあった。
それに対する無言の答えがそこにあった。
こんなに愛してる。
ジュビ子は命懸けでずっと私を愛してくれていた。
いつもいつも私を見てくれていた。
ひたすら待ってくれていた。
寄り添ってくれていた。
ジュビ子……涙が溢れてきて抱きつこうとしたら、スっとジュビ子の席へ移動した所で後ろ足が完全に崩れて二度と立つ事は無かった。
そこまで無理して最期の力で、私に伝わるやり方で私に教えてくれたのだった。
どこまでも深すぎる愛に、私は触れていた。
こんなにも温かくモフモフの君。
両足には感覚さえなく、伏せや横になる事も出来ずにブランブランと自分の意思では何も出来ない足になっていた。
ジュビ子が苦しくない姿勢はどれだろう?
吐いているから横にするのは苦しいかもしれない。
私は胡座をかいて、その上にジュビ子が伏せのような向きで被るように抱き上げて座った。
顔もグッタリとしていて、下になると辛そうだったので、水平になるように右腕の肘の内側にジュビ子の顎が乗るように支えた。
喘息の発作の時の苦しい呼吸音のように、ジュビ子の苦しい呼吸音だけが静かな夜に響いていた。
私は泣かない。
そう決めてジュビ子にはお散歩やおやつの話をしていた。
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