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「新しい働き方LAB」第三回:人体の神秘

 あれ?

 こんにちは。新しい働き方LabのSlackのアドレスが分からないとまよこ りゃんシーです。
 今月の収入は1000円でした。(ココナラ、lancers含め)

 前回は午後の話をしたので、今回は午前の話をします。
 前回もお話ししたように、僕は家事はわりと好きです。特に掃除が好きです。片付けはちょっと苦手ですね。
 料理自体も好きですが、やはり健康を目指すことが好きなんだと思います。潰瘍性大腸炎になっておいて何を言うんだって感じですが。
 と言うか、そもそも、人体が好きなんだと思います。だから、人体にまつわる食物、菌、ハウスダストなども関連して好き、と言うか興味があるので、掃除したりすることで除菌できることがまた楽しいんですよね。
 僕の人体への興味は、育ち方にあると思います。
 と言っても別に親が医者だったとかではないのですが、親がミステリーが大好きだったんですよね。
 昔のミステリーはトリック重視ですけど、最近の洋画ドラマはやはり解剖シーンが多いじゃないですか。子供ながらにそういうのばかり見て育ったので、「人ってどうなると死ぬんだろう」とか、「人ってなんで生きられ
てるんだろう」みたいなことを当然のように考えていました。
 そしてもうひとつ、大きなきっかけが祖母の死です。祖母は癌でわりとあっけなく死んだのですが、自宅で葬儀をしました。
 普通の家庭なら違うんでしょうが、父も母も発達障害の傾向のある我が家は、わりと放任主義の色が強くてですね。僕が祖母の死体に触って遊んでいても誰も気付かないみたいな家でした。今はどうかわかりませんが、当時は遺体の扱いも家族任せみたいなところがあって、そういうもんでした。
 祖母が死んだのは幼稚園くらいの頃です。まだ「死」というものも掴めないまま、「死の概念」より先に「死体」に触れることになりました。
 動かない。笑わない。息をしていない。このあいだまでいっしょにあそんでくれたおばあちゃんは、もう二度と動かなくなった。
「怖い」という感情はあまりありませんでした。怖いよりも「衝撃」でした。人はいつかこうして動かなくなり、燃やされて消えていくのだとまざまざと教えられました。
 実際のところはわかりませんが、体感では二時間くらい祖母の死体を眺めていたように感じます。ずっと眺めていました。それでも動くことはありませんでした。
 たぶん、そういうことが重なって、僕は「人体」というものに物凄く興味を持ったんだと思います。いつか動かなくなるもの。人間を生かすもの。人間のなかには、そういうものが入っていて、所詮生きるということは、それが動いているだけなのだと。幼稚園のとき、そう悟ってしまったのです。
 と色々書きましたが祖父も健康オタクだったらしいので普通に遺伝だと思います。あと、発達障害は体調を崩しやすいので、自然とそういうものに注意しなければならないというのもあるかもしれませんね。

 あと梱包とか組み立てとか、絵コンテ作り、コピーライティングも好きですよ。
 どうも僕はものを「作り出すこと」よりも、売り出したり宣伝したり紹介したり、広めることのほうが好きなようです。
 自閉症は他人と関わるのが嫌いだとよく言いますけど、僕の場合は僕の世界が他人に伝搬することは何よりの幸福なんですよね。
「商品」を通じて――悪く言えばダシにして社会と繋がり、手応えの得られる宣伝業務が大好きです。
 もともとあまり自分に自信があるほうではないので、どうしても「自分の作ったもの」というのを人に見せるのは抵抗があるのですが、他人の作ったものをおすすめするだけなんだからこんなに気楽なことはないし、楽しいです。
 掃除も梱包も料理も、ほかの家族はわりと嫌いなのでいい役割分担になってます。

 以上、僕の午前中の過ごし方でした。
 次回は4つ目の感情、就寝前の話をします。

 ではまた次回。
 誰かSlackのアドレス教えて下さい。

次の記事はこちら「僕の四分割その3:才能とカタルシスと」

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