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人間関係構築術。18「出来事の意味づけ」

どうも。
青春のナンバー「18」でございます。
18回目にして初めて、
ほろ酔い状態で綴ります。
美味しい台湾料理に舌鼓を打ち、
ビールをいただき、
家に帰りついたところです。

家が近づいてきた時に
「今日のnoteは何書こっかな」
と考えている自分がいました。
しかも酔った頭で。
こいつなかなかやりますね笑

物を書くのが好きだという自覚はありつつも
継続という点については
からっきしダメだという自覚も同時にあったので、
どこまで続くかしらんと思っていましたが
何やかんやで続いていますね。
もしかしたら継続してる、という意識すら
ないのかも?
好きでずっとやってることを
「継続できている」とは思わないですもんね。
ライティング愛が怠け癖を凌駕しているんでしょうか。


本日は「出来事の意味づけ」についてです。
これは昼間、妻との会話で

「有用な経験」「無用な経験」ってあるよね?
今まででどんなことが有用/無用だった?

というような流れになった時に
ふと思いつきました。
その時は、2人して

ポジティブな結果を生んだものが「有用な経験」
ネガティブな結果を生んだものが「無用な経験」

だという論調になりました。

目一杯楽しんだから、あれはよかった。
思い出に残ったから、これはよかった。
ひどく落ち込んだから、あれはよくなかった。
何も残らなかったから、これはよくなかった。

誰もがそう思いますよね?
間違っていないと思います。

ですが、その経験の意味づけを
「いつの、誰が」やってるのか

考えてみてください。

はい

言うまでもなく

「今」の、
「経験済み」の
自分です。

「よかった」「よくなかった」
の判断は全て、
諸々の出来事をくぐり抜けた後の自分が、
事後的に行っているんです。
もちろん、その出来事の渦中にあって、
判断が下せないわけではありません。
楽しければアガるし、
苦しければサガります。
ですが
まだ進行中、あるいは経験して間もない出来事には
その感想に
「現時点では…」
という枕詞がくっつきます。

めちゃくちゃしんどい出来事だったとしても、
後々になってから
「あの苦い経験があったから、今の自分があるんだよな」
とか、
その時は勢いに任せてゴリゴリに遊んでても、
時間が経ってから
「ノーテンキに楽しんでたけど、もうちょい真面目にやっとけばなぁ…」
なんてことは、山ほどありますよね?
僕なんかもう、
「当時と今で、経験したことの意味の捉え方が真逆」エピソードだけで
広辞苑並みの分厚さになる自信があります。

では、このほろ酔い男は
一体何が言いたいのかというと!

「今苦しくても後々自分のためになるから
この時を一生懸命生きなさい」
「今楽しいだけじゃ後で後悔する羽目になるから
今から頑張っておきなさい」
なんて、
説教くさいことを結論にする気は毛頭ないです。

もうちょっとフランクな結論です。

「何が役に立つかわからんから、
いろんなことに首突っ込んでみたら?」

です。
流石にこの後に「知らんけど」を
くっつけるほど投げやりになってはいませんが笑

過去の経験に意味づけをするのは
今の自分です。

その時の経験が
本当の意味でどうだったかというのは
全て事後的にしかわかりません。

今、苦そうに見えても
未来の自分は同じように顔をしかめてるのか?
今、楽そうに見えても
未来のあなたは同じようにのほほんとしてるのか?
そんなこたぁ今の自分には判断できません。

どんな出来事であれ、
自分の身に起きた事の
是非を保留して、
未来の自分がどんな意味づけをするのか、
それをじっと待つ。

もちろん今動くのも自分ですが。

その時その時の損得勘定や、
利害の計算だけでは
僕らの人生は帳面が合うように
できていないと思うんです。

山も谷もありますが、
一望俯瞰できる日がきっと来ます。
そのことを忘れずに生きていきましょう。



…明日は仕事です。
日曜なのに6:30起床予定です。

…未来の僕はどんな意味づけをするのやら。

それではみなさん、良い週末を。
さようなら。

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