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『お前のチーズどこあんの?』~自己啓発本の著者100人が無人島に遭難したら~ 【短編】

こないだ、世界の端っこで自己啓発本の著者100人が無人島に遭難したので、その時の話をします。

100人が乗っていた船は、自己啓発本の著者だけのために貸し切られた豪華客船で、出港してまもなく、座礁してしまいました。そして、100人は、無人島の浜辺で目を覚ましたのです。

1日目


まず、比喩をふんだんに使って、遭難の原因についての推測が始まりました。

世界的ベストセラー『お前のチーズどこあんの?』の著者は、原因は「チーズの置きどころを誰も理解していなかった」ことにあり、自分はずっと分かっていて、問題提起をしていたが、誰も耳を貸してくれなかったと憤慨しました。

じゃあいったいどこにあったんだ、と聴衆は訊きましたが、「いまはもう海の底。これは比喩でもなんでもない。後悔してもどうしようもならない。未来、つまり明日のチーズを見ようじゃないか」という答えが返ってきて、みんなはウンウンと頷きました。

そして、チーズの置きどころを知っていた著者が、「我々の未来は無人島からの脱出。無人島というネズミ捕りから、脱出というチーズを手に入れること。それが我々のチーズでもあり、フォンデュでもあるのです」と続けると、みんなすっかり啓発され、心配事もきれいさっぱりなくなり、その日はヤシの木の下で100人ぐっすり寝ることにしました。

2日目


この日は大混乱から始まりました。

代表作『8万5千個の習慣』で知られる著者は、まだみんなが寝静まっているうちに早起き(著者が勧める302個目の習慣)し、遭難者を数えていると、98人しかおらず、2人いなくなっていることに気づきました。

『ウザがられる勇気』の著者に力を借りて、まだ夢の底に沈んでいる啓発者達を叩き起こし、緊急会議を開きました。

不機嫌そうに目をこする啓発者達が何も言わずに立っていると、『他人を好き勝手に操るたった一つの方法』の著者は、適当な岩の上に立ち、聴衆にこう語りかけました。

「2人がいなくなってしまい、みんな心配だと思う。明日は我が身だと思うかも知れない。だが、2人を探し出すのは最優先事項ではない」

聴衆はザワつきます。

「我々に必要なもの、最優先事項は、リーダーを決めることに他ならない。私の講義を聞いたことがある人なら誰しも、優れたリーダーを持つことの重要性に異論はないはずだ。ご希望とあらば、ぜひここにあるポケット版で復習をしてもらいたい」

「優れたリーダー」、この言葉を聞き、啓発者全員がそわそわし始めます。98人全員が、自分こそは「優れたリーダー」だと自負しているからです。ただこの場の流れを汲むと、岩の上に立って聴衆を見下ろしている『他人を好き勝手に操るたった一つの方法』の著者が、リーダーに相応しいのではないかという雰囲気もありました。

そこで、幾人かが口を揃えて、彼をリーダーに推薦しました。しかし、驚くことに、岩の上の男はこの提案を、自分の胸に手を当て、非常に丁寧な方法で断ったのです。

「推薦してくれてありがとう。でも、私はただの老いぼれに過ぎない。時代が必要とするのは、新しいビジョンを持った若きリーダーだ。それをみんなで決めて欲しい」

大討論が始まりました。

啓発者達は、その巧みな弁論でお互いを啓発し合いながら、その啓発度合で勝敗を決めようとしました。啓発のラップバトル。点数は聴衆の拍手の大きさで決まります。

『お前のチーズどこあんの?』の著者は、「無人島にある神々のチーズ。人類から隠されてきた真のチーズを見つけるのは今であり、実はそのチーズはブルーチーズでもあるかもしれない」という新理論を掲げますが、それに反論するのは『金持ちじいさん貧乏ばあさん』の著者。

「無人島遭難という究極なまでに実質的な状況で、新興宗教まがいの持論を持ち出して100人の人間の運命を決めるのは、なんとも鼻持ちならない。まさに拙著で述べた通り、成功と失敗を左右するのは目下の問題を額面通りに認識し、取り組めるか否にかかっているのだから」

そして、「詳しく知りたい人は、ここにあるポケット版を読んでもらいたい」と付け加えました。

拍手喝采。みな我先にとポケット版に手を延ばします。それとほぼ同時に、ほとんどの啓発者が自著のポケット版をポケットに入れたまま遭難していることが分かり、啓発ラップバトルはそっちのけ。

無人島でリーダーを決めるための啓発、さらには、無人島から脱出するための啓発が見つかるはずだと、それぞれの本を回し読みし始めました。なにせ、世界最高の自己啓発者達が集まっているのだから、見つからないはずはありません。

しばらくして、『8万5千個の習慣』の著者は、ふと、自著の6万7千944個目の習慣が、「無人島に遭難したらまず辺りを見回せ」であったことを思い出し、読む手を止め、辺りを見回し、はっとしてこう言いました。

「おい、みんな聞いてくれ。どうやら2組の足跡が、あっちの方向に延びていっているみたいだぞ。数人のグループで探しに行ってみてはどうかな? ついでに水や食料も見つかるかも知れないぞ」

『8万5千個の習慣』の著者は森を指さしましたが、みな読書に夢中で話など聞いてはいません。中には声を耳にして首を上げました人もいましたが、あまりに具体的な解決策で、啓発に乏しい言葉に苦笑し、また読書に戻りました。

こうして、啓発に満ちた高揚感のまま、2日目の夜がふけていきました。

3日目


3日目、昨晩の高揚感は薄れ、残っていたのは至極現実的な空腹と喉の渇きでした。最初の2日は議論と読書に夢中で、全く何も飲み食いしていなかったことにようやく気づいたのです。

「まったく、俺たちはどこまで行っても知の巨人だな。無人島でも、腹の充足をそっちのけにして、頭の充足を優先してしまうんだからな」

そう言って笑いあう元気があったのは、昼の容赦の無い太陽が照りつけ始めるまで。それぞれが浜辺の端にあるヤシの木の影に隠れます。

これまで盛んだった議論も途絶え、普段なら際限なく出てくる啓発の言葉すら沸いてきません。この無人島には、印税が届くはずもなく、印税が届かなければお手伝いさんを雇う金もなく、お手伝いさんがいなければ料理、掃除、洗濯もされないのだという事実に、示し合わせることもなく、みなが気づき始めていました。

洗濯もされない――

3日も熱帯で過ごしていると、中年の苦労と汗が服に染みこみ、「つんッ」と芳しい香りを放っていました。

「これがブルーチーズなのか・・・」、『お前のチーズどこあんの?』の著者がそうボソりと言い、また静寂が訪れ、波打つ音と、熱帯の奇妙な鳥の鳴き声だけが残りました。

夕暮れ前、『8万5千個の習慣』の著者が浜辺を歩き回って啓発者を数えると、今度はさらに30人減って68人しかいませんでしたが、もう誰にも言いませんでした。

ひとり誰かが森のほうへ歩いて行く姿も見えましたが、そのことも誰にも言いませんでした。

森に隠れた『知の充足は生の充足』の著者は、泣きむせびながら、自著のポケット版のページをちぎって食べました。

4日目


浜辺に残った生存者は、もう30人足らずでした。

それから、ぽつり、ぽつりと、食料を求めてか、錯乱してか、また何人か無人島の奥の方へと消えていきました。

朝のうちに、浜辺の自己啓発者は指折り数えるほどになり、『お前のチーズどこあんの?』の著者は、ヤシの実を見上げながら、「真のチーズは殻に覆われている。割らねばならん」と繰り返しつぶやいていました。

みなの目はうつろになり、ぼんやりと水平線を見つめていましたが、助け船が現れるのを待っているというよりは、いまだに内から来る啓発を待つともなく待っているという風で、啓発が来なければ暗闇が来るのだろうとも何となく予感されて、おぞましくもありました。

『他人を好き勝手に操るたった一つの方法』の著者は、おそらく遭難した啓発者の中で最年長でした。

若者の書く自己啓発書はどこか半熟で、身勝手な精神論やえせ心理学を売り物にしている過ぎないと思っていましたし、時おり優れた自己啓発書を読んでも、自著から学んだであろう端々ばかりが目について、素直に褒めることもできませんでした。

彼は目をつむり、暗闇を見ます。朝の涼しい海風が、肌に張り付くパリパリのズボンの裾を揺らします。

自分が傲慢すぎたのかもしれない。
そう思うと、さめざめと泣くのでした。

これまでの人生で、最後の暗闇に飲み込まれてしまう人を見たことは多くありました。彼の亡き妻もそうで、目をつむっていると、暗闇の奥に彼女の姿を見、だんだんと近くへと歩いて行っているような心地がしました。

寄って引く波の音の向こうで、彼女は何かを言っていました。

「お・・・・・・ず・・・・・・まえ」

老著者は、暗闇の中で耳を澄まします。

「お・・・・・・ず・・・・・・まえ」

聞き取れるのは断片だけですが、だんだんとその声が大きくなってきているような気がします。そして亡き妻は四股を踏み始め、ずん、ずん、と地鳴りも聞こえてきました。

老作家は驚いて目を開きます。声も地鳴りも、妄想の中の亡き妻ではなく、島の奥、森の向こうから聞こえてくるのでした。

「お・・・・・・ず・・・・・・まえ」

老作家がヤシの木につかまりながら立ち上がると、浜辺のほかの啓発者達も異変に気づいていたようで、みな顔を見合って頷きます。

残った啓発者達は、好奇心と恐怖とに突き動かされ、声と地鳴りのするほうへと進んでいきました。

森の開けた場所に出て、声の正体を突き止めた時の昂揚は、どんな言葉でも言い表せないものでした。これまでずっと転がしてきた「啓発」という言葉すら、陳腐に思えるほどでした。

そこには、いなくなった仲間の啓発者達が、ひざまずき、祈りを捧げているのでした。彼らの輪の中心には、森のどんな木よりも大きな大きなブルーチーズの塊があり、ほのかに内から光を放っているのでした。

「おチーズ様、我が啓発をお救いたまえ」

この光景に泣き崩れたのは、『お前のチーズどこあんの?』の著者でした。そして、涙を流しながらも、穏やかな笑顔を浮かべて、祈りの輪に加わりました。しばらくして、一人、また一人と、祈りの輪に加わっていき、100人の繋ぐ輪が、「おチーズ様」を囲いました。

すると、巨大なブルーチーズは、緑のカビに覆われた体の四方八方から、黄土色の蒸気を、ぷしゅーっと放ち、それまで無臭だったご神体は、甘くも酸っぱい、なんとも薫り高い啓示を、信者達の鼻にお届けになりました。

くせになるご芳香に違いありませんでした。

その後


「おチーズ様」は食用であることが分かりました。ご立派なご神体でおわしますので、少し臭いは鼻にズンッと来ますが、それでも啓発者達はペロペロと舐めました。舐めると、空腹も喉の渇きも同時に満たされるのだから不思議です。

先にいなくなった仲間達によると、何かこの世のものとは思えない力に引っ張られて、島の奥まで来てみると、ご神体があり、体が知らず知らずのうちに祈りを捧げていたと言うのです。

そして、祈りの最中に、「100人の輪が欲しいんじゃ。そしたらあんたらの将来は安泰じゃ」という啓示を受け、残りの仲間が来るのを待っていたそうな。

『お前のチーズどこあんの?』の著者は、比喩でないチーズを見るのは人生初めてで、最初は得たいの知れない物体をペロペロするのを躊躇していましたが、チーズを大陸で食べたことのある仲間達が、何も警戒することはない、パンに乗っけたりして食べるものなんだ、レストランでは薄く切ってこのくらいの皿に数枚だけ乗っかって出てくるんだと説得すると、「俺のチーズはここにあんの」と言いながら、喜んでペロペロし始めました。

100人はペロってもペロっても減らないチーズに恵まれて、もう無人島にいることなど忘れ、むしろ「100人いて、一生食べ物に困らないなら、これはもう無人島ではないな。いわばセミナーだわな」という言葉にウンウンと頷く始末。

これでずっと啓発できる。そんな甘い幸福がみんなの心を満たしました。

この世で唯一具体的なのは、チーズだけでいい。僕らは、これまで通り、どこか空っぽだけど心地の良い言葉を投げかけあい、啓発し、啓発される人生を送れるのなら、印税もお手伝いさんもいらないんだ。

100人が、そんな共同生活にもうけたルールは一つだけ。

「毎晩一人が講演会を開くこと」

永久に減らないチーズと講演会――

この世界のどこかに、そんな啓発者達の楽園があるのです。そして、毎晩、星の数ほどの啓発を、人知れず夜空に放っているのです。

みなさんも、もしブルーチーズを食べることがありましたら、本を一冊書いてみてはいかがでしょうか?

楽園行きの客船の案内が郵便受けに届く日も、そう遠くないかも知れませんよ。

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