見出し画像

他人と比較すると幸せが麻痺る。

3年前くらいに書いたものを転載します。

ーーーーーーーーーーーーーーー

カンボジアは雨季で毎日1回はスコール。偏頭痛が止まらないカメイです。

前回の投稿で私が海外に出るまでのお話をしたが
なぜそうなったのか、なぜそうしようと思えたのか、
とよく聞かれるので、そこについて。

時間を2015年に戻します。

画像1

当時、休学をして1年間のフィリピン・セブ島から帰国したばかりだった私は、日本の生活に疲れ、”早くセブヘ移住する”ってことしか頭になかった。

休学前の生活は、学校バイトの毎日、睡眠時間は2、3時間程度。時には、通勤通学の40分の睡眠のみで2、3日過ごすこともザラだった。

何がそうさせていたのか?

というと、その時は気づいていませんでしたが、今考えれば間違えなく

他人との比較**

・みんなのように大学に行きたい。(=学費も必要)
・みんなのようにお金を持っていて、同じように遊びたい
・なんなら皆よりお金持っていたい
・みんなの様に海外行きたい
・でも平均以上の成績も取っていたい
・人並み、またはそれ以上の企業に就職したい

そんなくだらない気持ちが自分の体をボロボロにさせて行きました。

あの頃は、誰が見てもボロボロだったと思います。

気分は常に夢の中。10分前に話したことがすでに夢のよう。飲み会に参加すれば謎の大号泣wまず大学の友達と遊ぶということすらほとんどなかった。

“これ“を得れば幸せだと思ってたものが、気づいたら

人よりいい物が欲しい。人より沢山欲しい。

に必死になって、結局“これ“を得ることに必死になり疲弊し
自分が幸せなのかもわからなくなった。

手に入ったから、嬉しいのか?他人より良いものだから嬉しいのか?

お金も大学生というステータスも、成績も、欲しいものは全部手にしてたけど、とにかくこんな人生嫌だと思った。

欲しいものの代わりに何かを代償にして、手にしたものを楽しむ余白もない人生は嫌だ。と思った。

しかも欲しいものって大体他人との比較から生まれてくる。

これがそもそも突然休学した理由だった。

セブ島に1年間行って見て思ったことは、
私は、日本人の人生の縮図を体験していたように思う。

沢山働いて、車を買って、家を買って、また沢山働いて、いいもの買って。みんなよりいい生活をしているように見せたがる。

欲しいもの手にしては疲れ、また手にするために動き出す。

確かに4年制大学を卒業して、いい企業に就職して、みんなくらい良い暮らしをするのが夢だった私だったけど、

**これのどこが幸せなんだ?

**

ってふと疑問になってしまいました。

セブ島にいた時は、ブランドもの身に付けたい、なんて思わないし、高い給料は貰ってないけど、みんなで道端の屋台でご飯食べて横の人と友達になって、爆笑して。

日本にいる友達が大手にインターンシップに行ってたって、全然焦らない。

頑張らなきゃ、人並みにならなきゃ、と勝手に追われていたものから解放された気分で、

超幸せでした。

画像2

疲れてまでお金を手にして、ものを買っては満足し、またその支払いのために働く生活は自分には向いていない。

長い間迷路にハマってしまっていたな、と思った。

目の前にあるもので、十分幸せなのに。

目の前の人と比較するから幸せじゃなくなる。

他人と比較すると幸せが麻痺る。

美味しいご飯を食べることと、
ご飯を美味しく食べることは違う。

人より美味しいご飯を食べることにこだわりすぎると、
ご飯を美味しく食べる方法を忘れてしまう。

本当に美味しいご飯にたどり着いても、
いつまで経っても美味しく食べることはできない。

『足るを知る。』

これは決して現状で諦めて満足していると自分を騙すことではない。
でも、いつでも自分の評価の中で自分自身を幸せの中に置いてあげること。

これが幸せに生きる根本なんじゃないかと気づいたお話。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?