廻る家 3

3

 壁をドンドンと叩いてから窓を開けて顔を出し、隣の部屋の方を向くと、同じように窓から顔を出した誠也がいる。その逆も然り。たわいもない話をし、時々互いの部屋を行き来し、休日になるとゲームセンターや映画館へ出かける、そんな日々がしばらく続いた。

 とある日曜日、いつものように壁を叩く音が聞こえた。海斗君は窓を開けて隣を覗く。だんだん隣の部屋と自分の部屋の位置にずれが生じていることに気がつく。誠也の方を少し見上げる形になって話しかける。

 ゲーセン行くか?

 生麦生米生卵

 そうか、行くか

 行かへん

 行かねーのかよ。今のは行く奴の言い方だろ。てかなんで早口言葉なんだよ意味わかんねー

 いや、正直いうと行くでも行かへんでもなく、ただ僕の美声を響かせてみただけや

 マジでなんなんだよお前

 君の相棒やで

 それは知ってんだよ

 なんだかんだで外出することになり、エレベーター亜種に乗り込み下へ降りると、ちょうど彩月先輩が壁の内側へ入ってくるのが見えた。彩月先輩は落ちこぼれとはいえ、一応大学に通っているので、常に住人たちを気にかけているわけではない。時々やってきて様子を見て、異常がなければ帰っていく。

 そもそも、部屋の中には監視カメラがあって、日々の生活は美術館の公式YouTubeで配信されているので、彩月先輩も此処にわざわざ訪れる必要はないのだ。

 住人たちは住人であるだけでなく、展示物としての仕事があり、その一つが自分達の生活を配信することだった。海斗君は平日、一日十時間カメラに自分の部屋を晒す。合計が十時間になればそれで良いので、好きな時に好きなように自分の姿を晒した。

 精神的な負担はそれほど大きくなかった。台所や風呂、トイレなどは部屋の外にあるし、何より海斗君は見られるだけでなく、見ていたのだ。美術館周辺に設置された定点カメラに映る見学人たちのことを。

 だから、お互い様だと思っていた。むしろ、海斗君は自分の住む部屋を深淵と名づけ、気に入ってさえいた。回転の影響を受けないために浮いているベッドの上で逆立ちをしたり、おすすめのお菓子をカメラに向けて紹介したりすることもあった。

 見学人たちの反応はさまざまで、ファンサービスのように捉えて喜ぶ人もいれば、一方的な眼差しで観察したいのだからこちらのことを気にするのはよしてくれ、と頼んでくる人もいた。

 海斗くんは彩月先輩のような、誰が見ても美人だというような容姿ではなかったが、謎めいた雰囲気のある儚げな青年ではあったので、人としての海斗君のファンと作品としての海斗君のファン、どちらもが増え、その結果、ファンの気質も二分化されたのだった。

 誠也もまた、以前からのファンが見学に来るのはもちろん、持ち前の文才を活かしてここでの生活を面白おかしく描いたエッセイを連載するなどして、ファンを増やし続けている。見る人の多くが愛らしさを感じる笑顔と、どこか人を冷静に見透かしているような目つきの対比の美しさに惹かれる人も多いらしい。

 二人とものファンであるとある女子大学生は、陰の中に光を感じる海斗君と、光の中に陰を感じる誠也という、正反対のようで似てもいる二人の関係性が堪らないのだと力説する。

 職員による見回りやファン同士の牽制のおかげで、出待ちやつきまとい行為は確認されておらず、住人は展示物という扱いになるので接触や撮影、ファンレター以外の贈り物も禁止されているのだが、最近、今のうちにあらゆる問題についての対策を練っておくべきではないか、との声が上がり始めている。

 海斗君は有名になる気はなかったので、この状況に少々困惑しているのだが、誠也ははじめからこうなることがわかっていたようで、時々海斗君が眉を顰めるほどの、過剰な愛嬌を振り撒くことがある。その度に海斗君は、俺の知ってるお前はそんなんじゃねーよ、と思う。

 そんなふうに各住人に熱心なファンがついたことで、遠距離ながらも常に見学人たちとの関係が続き、さらには美術館には当たり前ながら職員もいるので、異常があればすぐに彩月先輩の元へ連絡がいくはずだ。

 それにもかかわらず、彩月先輩が此処へ定期的にやってくるのは、作品への愛情か、作者としての責任か、住人への誠意か、そのどれとも判別がつかなかった。

 今日もなんとなく様子を見にきただけなのだろうと、海斗君と誠也が思った時、彩月先輩はこちらへと手を振りながら、ちょっと時間あるかな?と意味ありげに言った。

 海斗君は誠也の方を見て判断を仰ぐ。誠也が、いいんやない?暇やしな、と言ったので彩月先輩の話を聞いてみることにした。

 彩月先輩に連れられて、とある喫茶店に入った。私が奢るから、と言われたのでお言葉に甘えて、珈琲やらオムライスやらポテトやら、いつもより欲張って頼んだ。

 どうせなら、単純ゆえになかなか聞く機会がなかったあの疑問を投げかけてみようと思う。彩月先輩、ちょっといいですか。彩月先輩は、どうしたの?と言って首を傾げる。誠也も、傾げる。

 なぜ、あの廻る家の中に人が住まなければいけないんですか?

 家だから、だよ。人が住むことで完成に近づくんだ

 彩月先輩なりのこだわり、という事ですね

 そういうこと

 近づく、ということはまだ完成ではないってことですか?

 そうだよ。ところでその完成へ向けての提案なんだけどさ

 なんでしょう。

 君たち、分身を作ってみないかい?

 はぁ?

 はぁ?


 最後のはぁ?は、誠也の声である。彩月先輩は、ああ、ごめん。分身を作るのを許可してくれませんか?と言い直した。それに対して、いや、引っかかったのは言い方じゃないっすよ、という海斗君の声と、いや、引っかかったんは言い方やないんすよ、という誠也の声が見事にピッタリと合わさった。

 よく話を聞いてみると、彩月先輩は、住人たちの分身となる機械人形を作って空いている部屋に住まわせたいのだそうだ。住人と住人にそっくりな機械による生活を展示するって、すっごく面白いでしょう?と言って笑った。

 その他の理由として、今はまだ法が整備されていないため、機械人形を個人が所有して街中で歩かせることはできないのだが、美術館の展示物として管理する、かつ十五体以内であれば動かしても構わないらしく、彩月先輩は機械と人間の共同生活が一体どのようなものになるのか、試してみたいらしい。ただ、これは後付けの理由のように思えた。

 住人一人につき分身は二人で、承諾してくれなければ出ていってほしい、他の住人たちは承諾してくれた、とまで言うので、海斗君はまた、誠也の顔を見て判断を仰ぐ。流石に今すぐは決めれへんわ、と言うので、海斗君は数日考えさせほしい、と彩月先輩に言って店を出た。

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