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不思議の住処 1 (連作短編)


#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門 #小説

あらすじ

「この地では不思議なことがよく起こる。それは神や獣や妖といった森羅万象の共存の証なのだ」

 田舎町の木造の古民家に住み始めた朴訥とした性格の佐川は噂通り、様々な不思議に出会う。謎に包まれた知人以上友人未満の男、明石。竹林の奥で喫茶店を営む姉妹。重なり合う異界。日常を生きる人ならざるものたちとの交流。不思議が不思議を呼ぶ、一夏の和風幻想物語。


 清廉な風の軽やかさと、まだ喧騒にまでには至らない虫たちのささめきに、夏の訪れを知る。縁側から見える世界は日に日に彩度を増しているようで、いつかの冬の日が嘘のように思われる。

 身を少し乗り出し、陽の光を浴びながら遠くの山々の緑を眺め、大きく息を吸い込む。今日は良い日になると、根拠もなく思う。晴れやかな気分のまま、散歩にでも行こうと思い、玄関へと回る。

 こちらは少し暗く、ひんやりとした空気が溜まっている。上り框に腰掛け、靴を履く。外に出ると、家守が一匹、外壁伝いに少し歩いて止まって、じっと動かなくなるのを見た。龍神の使いに出かける途中にでも立ち寄ってくれたのだろう、と思う。

 暑さにやられてはいけないから、手ですくって玄関の内側へ入れてやった。木造の家だから、立ち去る時は何処かしらの隙間を探して出ていってくれるはずだ。休息の邪魔をしないように、静かに家を出た。

 青々とした空の下、アスファルトに揺らめく影を見ながら石垣沿いを歩いていく。初夏とはいえ、日差しが強く、眩しさを感じる。足を止めてどこかで休息でも、と思い辺りを見渡したとき、仄かに桜の香りがして、強い風が吹いた。

 ふともう一度足下に目をやると、影がなくなっていた。おやおや、何処へいったのだ、と心の中で呟きながら、視線を少し先の方へやると、私の影が一人でに前進している。

 一瞬驚きはしたが、引っ越してくる前から、この地では不思議なことがよく起こる、それは神や獣や妖といった森羅万象の共存の証なのだと聞いていたから、怖がる必要はない。

 むしろ越してきてから一年半、今まで、妖怪らしき子どもと出会ったことくらいしか不思議な出来事がなかったことの方が変だろうとさえ思う。

 少し距離を置いて着いて行くことにした。角に差しかかった時、私は走った。しかし、角の先は大きな影であった。私の影はもう既に飲み込まれた後らしく、見失ってしまった。

 影がなくなって、何か不自由なことがあるだろうか、人間でなくなってしまうだろうか、と、思考を巡らせ、焦っても仕方がないという結論に辿り着く。とりあえず人気の多い場所へ行く方が良いだろうと思い、商店街へと行く。

 見慣れた姿を見つける。私がこの地へ越してきた頃からの付き合いの男、明石だ。明石と出会ったのは竹林の奥に密やかに佇む喫茶店『阿吽』であり、そこの常連であること以外、私は彼のことを何一つ知らない。近所に住んでいるふうでもない。そうであるからこそ、それなりに心地の良い距離感でいられるのかもしれない。
 
 怪我でもしているのか、左足を引きずって歩いている。情という概念を理解しきっていないどころかする気もない、それでいて品格とは何かだけは十分に心得ているような涼しい表情で歩く彼を小走りで追いかけて、声をかける。

 やあ、明石。

 おや?その声は、佐川かな。

 ああ、そうだ。

 見えないなぁ。

 見えない?

 ああ、僕の前に来てくれ。

 もう来ている。

 明石はこちらへと目を凝らし、まじまじと見つめてくる。居心地が悪く、落ち着かない。斜め上の、何もない空間を見る。明石は眉間に寄せていた皺を緩め、頷いた。

 なんとなく見えた。そこにいるんだね、佐川

 私は何かに憑かれたのだろうか。

 君が出会ったのは志那都比古神だね。悪い神ではないから安心しなよ。

 だが、あれは私の影を盗んだ。

 いいや、借りたのさ。

 借りてどうするのだ。

 実体を得て、人の世を体験されるだけのこと。

 実体が影を作るのではないのか。

 その逆のことも、ある。

 本当に悪いやつではないのだな?

 ああ、明日か明後日にでも、元に戻るはずさ。

 ならかまわない。

 そうか、君がかまわないのなら、僕もかまわない。では。

 明石は用事があるからと言って去ってしまった。いつぞやに、君の人生に最低限しか触れないというのは、僕が君にできる最大限の敬意の表し方なのさ、と言っていたのを思い出す。

 彼は私が孤独を愛し、長く、あるいは深く続く縁というものを薄らと、それも身勝手に嫌悪していることを知っているのか、親しき仲にも礼儀ありという言葉以前に、私と親しくなろうとさえしない。

 人間に興味がないようにも見える。だが、そのような振る舞いは私の気にいるところであるし、彼自身干渉されることを嫌う性格であるから、私の方も彼が日頃どう過ごしているのか、知る気はない。足の怪我のことも、どうでもよい。

 透明になってしまっては買い物もできない。仕方がないから、商店街を抜けて、近所を数十分徘徊したところで、帰路についた。

 晩、眠っていると何やら戸を叩く音がする。すぐに、ごめんください、と、高く可愛らしい声もする。聞き間違えだろうかと思ったが、もう一度聞こえてきたため、こんな夜更けに子どもとは一体何用だろうかと不思議に思って、玄関へいって、扉を少しだけ開けてみる。やはり声から得た印象通り、十代前半ほどといった感じの少女が一人で立っている。

 何かご用かな?

 これをお渡ししたくて遥々訪ねてきました。

 その箱は何だい?

 一生分の菓子でございます。

 ほう、菓子、とな。

 先日のお礼にと思いまして。

 はて、人違いではなかろうか。

 いいえ。

 私、で合っているのかい?

 ええ、ですからどうぞ。

 少女がこちらへと手を伸ばし差し出してきた菓子の入っているのであろう白い箱を見つめ、しばらく考えた後、私は受け取らないことにした。決め手は、まだ私の影が元に戻っていなかったことだ。

 いや、お気持ちだけで十分だよ。

 しかし……。

 その時、「おい、そこで何をしている!」と声がした。少女が驚いて振り返る。私も驚いて思わず声を上げた。そこにいたのは、私であった。もう一人の私は私に詰め寄ってきて、妖め、人の子を騙すでない、と静かに、しかし毅然とした態度で言い放った。私はなるほど、と思い彼の芝居に乗った。

 くそ、見破られたか。ならば仕方がない、さらば!

 私は心底悔しそうな表情を浮かべ、裏庭の方へと走って逃げた。我ながら迫真の演技であったと思い、密やかに、ニヤリとした。草履を突っ掛けて、外の冷えた空気を吸う。

 それから息をひそめ、風に揺れる木の葉の擦れる音を聞きながら、待った。私にとっては長い時間に感じられたが、おそらく五分程度だろうと思う。

 扉が閉まる音がしたので走って様子を見に行くと、遠くの方、闇の中へと去っていく少女の後ろ姿が見えた。もう一人の私は、私の方へと深くお辞儀をし、私が瞬きをした一瞬の間に消えてしまった。強い風が私の頬を撫でて過ぎ去った。足元を見る。黒い影がつま先から伸びていた。

 翌朝、縁側に手紙を一通置いて帰っていく白狐の姿が見えた。左足に巻かれた包帯を見て、明石だな、と思ったが、引き留めないでおいた。

『この度は、影をお貸しいただき誠にありがとうございました。おかげで人の世のことを学ぶことができました。それから、あの子のことをどうか許してやってください。あの子の良心に漬け込んだ妖どもにはきつく言い聞かせておきますから、どうかお願いいたします』

 季節外れの桜の花弁がひとひら、山の香りと共に同封されていた。


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