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(連絡小説:第19話)小さな世界の片隅で。

前回巻末:歩が土手の散歩道に戻る所から

歩は、歩きながら思う。

ふと、青年が歩に向き直った時の、涙を堪えた笑顔が浮かんだ。

いや、あの青年なら、きっと会えるさ。
心の中で、一人呟く。

土手へ上がる階段を上り、再び、散歩道へ戻った。

歩が行く先に、土手の木々が見えた。

土手の木は青空に向かって大きく枝葉を広げ、西側から吹く風を全面に受け、枝葉や幹を軽く揺らしていたが、力強くそこに落ち着いていた。その力強さを感じさせたのは、地上の枝葉以上に、深く、大きく地中に広がり、幹を支えている、見えない根の大きさを、地上から見える木の大きさを通して感じたからであった。

第19話

(X-4日)
歩は、土手の散歩道を歩いていく。

お婆さんの家を後にし、しばらく行くと、前方の土手の海側の方から、賑やかな、若い東南アジア系の外国人の集団(5人組)※第一話参照:が、自転車に乗ってこちらに向かってきた。

前を行く、2台は二人乗り。後ろの1台は1人乗りだ。

近くの水産加工場の出稼ぎに来ているのだろうか。仕事を終え、(現地の言葉で)自転車ごしに、楽しそうに話し、暮れ始めたオレンジ色の夕日に向かって帰宅していく彼らの姿を見ると、どことなく懐かしさを感じた。彼らの前に広がっている未来の大きさと、自由が、時折羨ましくも感じた。

外国人の集団が過ぎ去り、しばらく歩くと、土手にかかる橋の手前に、土手から川へ降りる階段がある。その中腹に、高校生位の男の子(太一)と犬(ムク)※第一話参照:が今日も静かに座っていた。

ちょうど帰る所なのか、高校生は、座っていた階段から腰を上げ、向きを変えて階段を上がり、こちらの方に歩いてきた。

川上に沈み始めた夕日の背後で、少しづつ夕闇が迫ってきていた。周辺の民家から、ごはんが炊ける匂い、甘辛いおかずの匂いが混ざりあった夕食の匂いが、下流域の潮風に運ばれて、土手の散歩道まで流れ始めてきていた。

その高校生と、すれ違うとき、連れていた犬が、急に向きを変えて、歩の足元に走り寄った。

高校生の身体は、引っ張られるように、歩の前に投げ出された。

”ムク!ダメだよ!危ないよ!”

高校生は、すぐにリードを引っぱり、犬を再び自分の足元に手繰り寄せると、
”すみません。”と言って、歩に小さく頭を下げた。

”…。”

”いや、大丈夫だよ…。”
”そのワンちゃん、小さいけど、意外とパワーあるんだね…。”

歩は、高校生に言葉を返した。

”あぁ、はい。”
”落ち着きがなくて、急に動いたりするので。この子…。”

高校生は、少し緊張した様子で返事をした。
連れている犬は、高校生の足元で、立てたしっぽを横に大きく振り、歩と高校生の足元を行ったり来たりしていた。

”あの…、君と、そのワンちゃんは…、最近、いつもあそこ(階段の所)に座っているよね?”

”いや、僕も休みの日に、この辺をよく散歩するから、この頃よく見かけるなぁと思ってね…。”

”…。”

”はい…。最近、この時間はいつもここにいるんです。学校が終わると、いつもこの子の散歩をしてるんですけど、”

”最近、ちょっと思うとこがあって…。いつもの散歩の途中に、あそこ(階段の所)で、少し時間をとるようにしてるんです。”

高校生は、続ける。

”僕、今、高3で、受験勉強中なんですけど、進学先…、北海道の大学に行こうと思ってるんです。”

”北海道…。また、随分、遠くに行くんだね。”

”はい。一応、まだ予定なんですけど…。”

”僕、そこに行きたい学部があって…。”

”僕、そんなに頭いい方じゃなくて…。その学部がある大学はいくつかあるんですけど、どこも(僕にとっては)結構レベルが高くて…。そこの大学は、僕でも頑張れば、ギリギリ手が届きそうな所なんです…。”

”あと、僕、いままで、地元(親元)から離れた事がないので、これを機会に思い切って遠くの場所で暮らしてみたいとも思って…。”

”そこ(北海道)の大学を受けてみようかなと、思っているんです。”

”そうなんだ…。いいねぇ。じゃあ受かったら、春から北の大地で新生活だねぇ…。”

”まぁ…、受かったら、なんですけどね…。”

”…。”

歩は、若かりし日の事をじんわりと思い出していた。

はじめて降り立った、見知らぬ土地。はじめて行った不動産屋さん(安アパートの物件探し)。家電や日用品の買い出し。荷物が届く前のがらんとした部屋。がらんとした部屋で食べた、コンビニごはん。部屋の壁に張った地図。誰も知り合いがいない町で、本当に一人になるという事。解放感と期待、心細さが同居する気持ち…。そして…、旅立ちの朝…。

記憶の奥で色褪せていた、当時の思い出が断片的に浮かんでいた。

”…。”

連れていた犬が再び、歩に近づき、鼻先を歩の足元へ向けて、立てた耳をゆっくり下ろし、頭を下げた。

”あ、この子の名前…、”ムク”っていうんです。”

高校生が再び声をかけた。

”ムクちゃんっていうんだ。何歳位になるの?”

”僕が小学生の時に家に来たから…、もう、7歳位になるのかな…。”

”7歳かぁ、まだ若いんだね。”

歩は、すこしかがんで犬の背中をそっと撫でた。
犬は触れられたとき、背中をキュッと丸くしたが、触れていく内に、緊張が和らぎ、ゆっくりと柔らかい背中に戻っていった。

”僕、小さい頃から、ずっと犬を飼いたくて。”

”親にずっと頼んでたんですけど…、あんたじゃ絶対、毎日世話なんかできないでしょって、いつも反対されてきたんです。”

”でも、ある日、家に帰ったとき…、部屋の真ん中に見慣れない段ボールが置いてあって、”

”中を覗いたら、毛布にくるまれた、小さなこの子がいたんです。”

”さみしいのか、寒いのか、小さい体を震わせて、ずっとクンクン鼻をならしてて、”

”何をしてほしいのか分からなくて、僕、何もできなかったですけど、この子の側にて、ずっと撫でてあげたんです。”

”そしたら、この子。安心したのか、いつのまにか寝ていたんですよ。”

”それで…、”

”そのとき…、母親が後ろにきて、言ったんです。”

”そこに居るのはなんでしょう?”
って。

”…。”

”何でいきなり許してくれたのか分からないんですけど、母親が新聞の隅の
犬の里親募集の欄を見て、貰ってきたみたいなんです。それで…、数匹いた中で、何故か、一番体の小さかった、この子を貰ってきたんだと。”

”…。”

”この子、僕に似ている所があるんです…。”

”見てのとおり雑種だし、体も小さいし、芸だって、”お座り”と”待て”位しかできないし…。”

”待て”もあまり長い時間だと、耐えなれなくなって勝手に食べちゃうし。”

”強がる割には、臆病だったりして。人影が遠くにある内は、ワンワン吠えてるんですけど、近づいてくると、逃げて小屋の中に入っちゃうんですよ…。小屋の中で吠えてたりとかして…。本当に…。番犬にもならなくて…。”

”僕、飽き性で、今まで続けてこれた事とかないんですけど、この子の世話だけは、何故かずっと続ける事が出来たんです。”

高校生の脳裏に、犬と一緒に過ごした時間の記憶が浮かんでいた。

”もし、大学に受かったら、滅多に帰ってくることもできないだろうし、この子とも、しばらく離れなきゃならないなと思うと、何だか、時々、切なくなるときがあるんです。”

”(大学の)4年間って、犬にとってはすごく長い時間ですから…。”

”散歩も、いつもは、20分位で済んじゃうんですけど、最近は、ここ(土手の階段)で少し時間をとって、夕日を見てから、ゆっくり帰るようにしているんです。”

”何もわかってないと思うんですけどね…。この子は…。”

”でも…、なんていうか…、小さい頃から…、ずっと一緒にいましたから…。”

高校生は、そういうと、優しい目を犬の方へ向け、犬の頭をそっと撫でた。

犬は、耳を下ろして、頭を高校生の方へ向け、少し下げたしっぽを小さく左右に振っていた。

”そうなんだ…。ワンちゃんとしばらく会えなくなるのは、少しつらいけど。楽しみもあるじゃない。これから…。”

”新生活とか、良いもんだよ…。”

歩も犬の頭を少しなでてやった。

”知らない所へ行ってみたりさ、新しい人と出会ったり、全部自分でやってみたりさ。世界が広がっていくみたいな感じがして、今までと、生活は変わって大変だけど、その分、楽しいよ。特に若い時はさ。”

”そうでしょうか…。”

”僕…、見てのとおりフニャフニャで…。何もできなくて…。今まで親に、迷惑と心配ばかりかけてきたと思うんです。だから、自分がしっかりして、早く親を安心させてあげたい、”

”他の人と同じように、(僕も頑張って)親にも何か一つ位、誇れるものを持たせてあげたいって、そう思っているんです。”

”いいじゃない。”

”今まで、大した事出来なかったですけど…、頑張って、そこに行く事ができれば、僕も何か変われますかね?”

”…。”

”僕が一人前になって帰ってこれたら、この子も一人前になれるかな。”


優しい風が吹いて、土手の木々が静かに揺れた。

”すみません…。何か、一人で喋ってしまって…。”

”…。”

”いいや…。
”なれるよ。当たり前じゃない。それに…。”

”そんなに、その子の事を考えられるんだから…、今だって十分、一人前だよ。”

”僕なんて、いい年してさ、今、訳あって人生やり直してる途中なんだけど、自分の事だけで精一杯だもの。恥ずかしいよ。”

”何ていうか…。さっきそこで(散歩道のおばあさんの家)会って話した男の子にも言ったんだけどさ、抱えてる事情は、皆それぞれあるだろうけど、お互い、肩肘はらずにさ、頑張ろう…。”

”とりあえず、今は、目の前にある事を精一杯やるしかないけどさ…、”

”一人じゃないからさ。皆一緒に生きてるから…。そう思えるだけでさ、少しは心強くなるもんだよ。”

”こんなおじさんと一緒にされちゃ、嫌かもしれないけど。”

そう言って、歩は少し笑った。

”そんな事ないです…。でも…、何か本当にうれしいです…。”

”先の事考えて…、ちょっと不安だったり、切なくなったりしましたけど、少し気持ちが楽になりました…。”

歩と高校生は向かいあって、お互いに頷いた。

”じゃあ…、またね。”

軽く手をやった。

”ありがとうございます。勉強…、頑張ります。”

高校生はそう言って軽く頭を下げ、犬と一緒に歩の元を去っていった。

夕日が沈んだ土手は、まだ明るさを僅かに残し、ぼんやり白く陰っていた。

その陰りに向かって、遠ざかる、一人と一匹の足元に、今にも夕闇に飲み込まれそうな儚い影が、寄り添う様にピッタリと長く伸びていた。

高校生を遠目で見送ると、歩は、ゆっくりと橋を渡り、家路についた。

帰宅した歩は、居間のソファーで横になり、一日を振り返っていた。
ばあちゃんの墓での事、散歩道で話をした主婦、青年、高校生の事…。
色々な事があった一日だった。少し疲れはしたが、それは、心地の良い疲れの様な気がした。

傍らで、テレビのニュースがぼんやり流れていた。

今日の出来事に意識は向かいつつ、テレビの音声は歩の耳をかすめ続けていた。

<本日、ある宗教団体の施設に警察の家宅捜索が入りました。そして、その信者の一部が、混乱に乗じて、脱会を求め脱走している模様…、云々…。>

アナウンサーが淡々と伝えている。

不意に意識がテレビの方に向いた。

”ここらにも、そんな施設あったんだ…。”

ふと思った。

”っていうか、一週間前にも、こんなニュースあったっけ…?”

歩は、ゆっくりテレビの方に身体を向けた。

”なんだか、物騒だねぇ…。”

奥にいた母親が、なんとなく呟いた。

”…。”

”まぁ、いいや…。”

考えるのに疲れた歩は、そのまま風呂に入り、早めに寝る事にした。

自室のベッドで横になりながら、予測できない明日を思うと、不安と期待が混じり合う複雑な気持ちになった。

あの高校生の姿が目に浮かんだ。

そして、若い頃の自分の姿も浮かんだのだった。

※本日もお疲れ様でした。
社会の片隅から、徒歩より。

第18話。

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